第26話
模倣できるのは外見だけ。
ならば、外側を似せるだけで充分な“強い生物”に変身すればいい。
そういった思索の果てに、アヤネのドラゴン形態の贋作となることが、シャドーを正面きっての戦闘に参加させる際には最良と判断したのだろう。
手の届かない位置に滞空する、神秘的で巨大な最強生物。
同一の存在を目の当たりにして逃げ出した過去のあるセレスタだが、今回は敵前逃亡することなく、獰猛な2つの瞳を正面から見据えている。
だが、強がってはいても、額から流れる汗は隠せない。
恐ろしくてしかたがないのだろう。
驚異的な力だけでなく、手も足も出ない場所から一方的に蹂躙される可能性さえある、この絶体絶命の状況に。
当然、セレスタに空を飛ぶことはできない。
彼女が空中で可能なのは、重力に任せて自由落下することくらいだろう。
どうしようもなく不利な状勢だ。
相手の攻撃に対してどのように応手をとるべきか、セレスタが必死に思考を巡らしていると、
クラウソラスの柄を強く握りしめたカズヤが、大きく上げた片足を欄干にかけた。
「セレスタ。正直にいうけどよぉ、俺はいま、自分が何をしてんのかあんまよくわかっちゃいねぇ。俺はここに比べりゃあずっと平和な世界の、中でも特に恵まれた争いとは無縁といってもいい国で生まれて育った。こんな命がけの戦いをする日がくるなんざ、夢にも思っちゃいなかった。だからな、いまいち実感がわかねぇんだ」
将来何の役にも立たない遊びを楽しんで、誤ったところで命を落とすわけでもない小さな悩みに苦しんで、今日を生き延びないうちから明日の心配をしたり、昨日の失敗をいつまでも悔やんだり。
こんなふうに、生きるか死ぬかの瀬戸際で行動を迫られるなんて、経験したこともなかったし、一生経験することもないと思っていた。
「だが、これだけはわかる。誰かがあいつを止めなきゃならない。そして、そいつが自分にできるってわかっちまったんなら――」
わからない。
わからないが、知っている。
何かが正しいと感じたとき、何かが間違っていると疑ったとき、
あれこれと言い訳を並べたりするのではなく、
「そいつをやるのは、俺に与えられた役割なんだってなぁッ!!」
己の信じるように率先して動くことこそが、正義であることを。
クラウソラスの重力を無視して対象をどこまでも追いかける推力を利用して、バルコニーから落とされた際に舞い戻ってきたように、カズヤは滞空して待ち構えるドラゴンの頭上まで一旦飛び上がり、
薄闇に支配される天高くに神剣を掲げると、
「これで終わりにすんぞッ! ジェイドォォッ!!」
加速する風圧を総身に受けながら、戦うべき敵を倒すための突貫を開始した――
*
詰所のそばの空中で繰り広げられる戦闘は、傍目から見ればカズヤの優勢であった。
右手の剣を推力として高速で薄闇を飛び回るカズヤを相手にドラゴンは翻弄されて、格段に攻撃動作の鈍いこともあり、素早い連撃に対応しきれていない。
けれども、カズヤも敵に致命的なダメージを負わせるには至っていなかった。両翼の端、尻尾の先を幾度か斬りつけることには成功しているが、リスクを負わずして与えられるダメージはその程度が限界だった。
――こんなもんじゃあ、いつまでも経っても終わんねぇ。
体力をジリジリと削っていても埒が明かない。
この最強の生物は、見るからに底無しの耐久力を有していることが明白である。
決定打を入れるには、懐に潜り込んでの一撃が必須だろう。
しかし、いくら鈍いといえども、その膂力は比類なく絶大であることに違いはない。
突進を見切られて反撃に応じられれば、剣による防御など無視して全身の骨を粉砕するほどの衝撃を受けてしまう。そんなものを一度でも食らえば、それで終わりだ。
捨て身では駄目だ。まずは、飛び込むための隙を作らせるしかない。
カズヤは神剣の出力を上昇させて、死角を探して縦横無尽にドラゴンの周囲を飛び交う。
もっと速く、敵の視線が追いつかぬほどに飛行速度を研ぎ澄ます。
何度も何度も、飛びぬけざまにドラゴンの身体の端々を斬りつけて、相手に焦燥を募らせる。
音速を超越した推力の加わった剣閃はクラウソラスの白銀の軌跡を空に残すほどにもなり、暗黒に包まれる世界を美しく彩りだす。
数十回にも及ぶ翻弄の末、ドラゴンの背後から顎下の空間まで駆け抜けたとき、遂にドラゴンの完全な死角に潜り込むことができた。
――決めるッ!
自らの勝利を確信して、剣先を立てて突きの構えをとるカズヤ。
視線が此方を向いていないドラゴンの顎先に標的を絞り、身体ごと激突させる覚悟の最大出力をもってしてトドメを刺そうとする。
しかし――
それまでとは明らかに異なる俊敏な動作で首を回したドラゴンが、剣呑な輝きを秘めた両眼に迫るカズヤの姿を映した。
「詰めが甘いね、カズヤ!」
「なに――!?」
それだけではない。
振り向いたドラゴンの鋭利な牙がのぞく顎からは、真紅の火炎が微かに漏れており、口元から首へと伝う喉元にも薄っすらとした赤い光を帯びている。
咄嗟に突撃を中止して、カズヤは推力を斜め後方に飛ばして回避行動をとった。
直後、一瞬前までカズヤが飛行していた虚空を、離れていても肌を焼かれるほどの熱源が焼き尽くした。
間一髪逃れたカズヤは態勢を立て直すため、一度ドラゴンの頭上まで舞い上がる。
剣を天に掲げて滞空するカズヤを、ドラゴンの背にのったジェイドが真下から見上げた。
「模倣するのは対象の能力……飛べるんなら、火も噴けるっつーわけか」
「ご名答。それでも贋作であることに違いない。アヤネに比べれば、その威力は劣るだろうね」
「あれで劣化版っつーのか……」
「君が隙を突こうとしたのを利用させてもらったんだが、惜しかったね。でも、これでわかっただろう。ちまちまと斬られるのはともかく、致命傷を許してやるほど僕たちが甘くないってことを」
見切ったつもりになっていたが、実のところ罠に嵌められていた。
優秀な能力に慢心して生じた油断に、カズヤは自己を叱責する。
心の間隙を突くようにドラゴンが頭上を仰いで火炎の息を吐き出すが、扱い方を完璧に会得した神剣の推力を駆使して左右に飛び回り、カズヤは火炎の息吹を危なげなく回避する。
しかし、それだけだ。
いまのような膠着状態が続けば、カズヤにとってはマズいことが起きる。
「本当に大したものだよ。だけど、いつまで力を保てるかな」
カズヤの抱える懸念を見透かしたジェイドが、半ば勝利を確信して悠然と言い当てる。
両者ともに互いの動きを見切っている以上、簡単に勝負に決着がつく道理はない。
だが、体力が尽きれば“時間切れ”という形で勝敗は決する。
そして、底知れぬ体力を有するドラゴンに対して、
このまま耐久戦が続けば、先に倒れるのがカズヤであることは明らかだ。
カズヤ自身にとっても自明の理である。
現にカズヤは、微弱ではあるが疲労から生じる眩暈をすでに感じ始めていた。
「人が必死になってんのに勝った気になりやがって。ぜってぇにおめぇの思いどおりにはさせねぇ」
「ならば見せてもらおうか。君が僕を倒せるというのならね!」
「慢心してんじゃねぇぞこのクソナルシストがッ!!」
空を焼く吐息を逃れたカズヤは、ドラゴンの上空で一旦体勢を整えて、
一直線にドラゴンの頭部目掛けて猛烈な勢いで降下した。
それは、火炎を真正面から受けてしまう無謀な悪手であった。
「血迷ったね。捨て身とは失望したよ」
カズヤは頭に血が上って、冷静な判断を欠いて自滅行為にはしってしまったのだ。
そう察したジェイドは心から残念がっている様子で肩を落として、彼の守護者であるドラゴンは当然のごとく火炎を体内で生成して、喉元から溢れんばかりの熱を漏らす。
迫る矮小な相手を、塵も残さぬ火力で跡形もなく消し去ろうとドラゴンが牙を剥いたとき、
ドラゴンの喉元めがけて、カズヤは手にしていた武器を投擲した。
横回転しながら風を裂いて、正確無比なコントロールで刃は炎を湛える深淵に吸い込まれる。
それを飲み込めば、いかに頑丈なドラゴンといえども無事で済まないだろう。
体表が鱗で覆われていて堅牢であれど、体内には攻撃を防ぐ鎧をまとっていないのだから。
危険を敏感に嗅ぎ取って、ドラゴンは吐息による迎撃を中断すると、首を動かす最小限の回避行動で飛来物を避ける。
すり抜けた刃は、背に乗っていたジェイドによって弾き飛ばされた。
甲高い音が、どこか虚しく響いた。
その瞬間、ジェイドは今度こそ己の勝利を悟る。
カズヤが武器を投げ捨てるなど、もはや悪手なんてレベルではなく論外だ。
なぜならば、カズヤにとって武器は浮力。神剣クラウソラスがなければ、カズヤはこの空中戦を戦うどころか滞空することさえも叶わない。
彼にとって武器を投擲するという行為は、空で翼を失うということと同義。
それはつまり、自殺行為ではなく、自殺そのもである。
ジェイドがトドメをさすまでもない。
彼は勝手に落ちて、勝手に死ぬのだから。
だから、
ジェイドは驚くしかなかった。
自分と同じくカズヤの予想外の行動に不意を突かれたドラゴンの視界をすり抜けて、
硬い体表の背中に立っているジェイドの眼前に、
“捨てたはずの剣”を振りかぶって現れたカズヤの存在に。
「くッ――!」
若くして剣術を極めているといっても過言ではないジェイドは、そんな“ありえない一撃”にすらも対応して、カズヤの急襲を一振りの刃で防ぎきった。
致命傷になりかけた渾身の一閃を辛くも退けたジェイドの視界の端に、地表に落ちていく数瞬前に弾いた武器が映り込む。
それは、神剣クラウソラスのような立派な武器ではなく、
ナイトの守護者であるカズヤに与えられた、殺傷能力の低い、およそ戦闘用の代物ではない小さなフルーツダガーだった。
くだらない小細工にまんまと引っかかり、落ち着いていたジェイドに苛立ちの色が浮かぶ。
「くだらないことをッ! 終わらせろッ!」
自身の駆る守護者に主として命じて、下方の空間に抜けたカズヤを追いかけてドラゴンは頭を垂れる。
その行動を誘うことこそが、カズヤの真の狙いであった。
「終わるのは、おめぇだッ!!」
頭上の敵に対して叫び声をぶつけて、カズヤは再び手にしている武器を投擲する。
ドラゴンは同じ轍を踏んだりはせず、フェイントをかけて突貫してくるであろうカズヤを迎撃するため、敵を注視した状態で投擲物を回避する。
だが、先ほどと同じように、隙を作ってカズヤがドラゴンに挑みかかることはなかった。
正確には、できなかったのだ。
なぜならば、今度カズヤが投げたのは武器と呼べるかすらも怪しいフルーツダガーなどではなく、
正真正銘の“神剣”だったからだ。
浮力を失って、飛ぶことができなくなったカズヤは詰所の演習場に落ちていく。
2度目に投擲された武器が本物であることに、弾いた際の手ごたえからジェイドも気づいた。
ただ地上に向かって無抵抗に落下していくしかないカズヤに、ドラゴンはトドメを加えんと、最大火力を喉元に溜める。
そして、ジェイドの唇が勝利の愉悦に歪んだとき――
ドラゴンの生成した火炎が、一人の男を焼き殺さんと吐き出されかけたとき――
「決めろォォッ!! セレスタァァァァッ!!!!」
バルコニーから飛び降りたセレスタの全霊の剣が、ドラゴンの頭蓋を顎まで串刺しに貫いた。
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