第25話

「カズヤァァァァァァァァァッ!!」


 カズヤが落とされた瞬間、セレスタは事件の真犯人への当惑を振り切って、一直線にバルコニーに向かって駆け出して、投げ出された従者の名前を叫んだ。

 だが、ここは地上50メートルに位置する高所。打ち所が良かった、なんていう理由で助かる可能性の介在しない絶対的な高さだ。

 万が一にも、カズヤが生還することはない。

 セレスタは思考を巡らせるまでもなく、それがわかってしまった。

 大切な者を失い、他人に見せたことのないほどに取り乱すセレスタ。

 そばにいたジェイドは、狼狽する彼女に足音を殺して近づくと、


 彼女のいた空間を、斬り上げる剣閃で斬り裂いた。


 しかし騎士になるため剣術の研鑽を積んできたセレスタの直感は、放たれた不意打ちを察知して、反射的にとった防御行動によって迫る刃を受け流す。

 一歩さがって、セレスタはバルコニーの遥か下方に向けていた意識と視線を、正面の若い青年騎士に移した。


「ジェイド様…………」

「言いたいことがあるなら聞こう。忌憚なく言ってみたまえ」

「……どうして、カズヤを……いえ、どうしてこんなひどいことをしたのですかっ!」

「単純な話だよ。すべては、世界を壊すため。この僕の手で、この平和な国を足がかりとして、全世界を破壊するためだ。その計画に必要だったから、一部の者には犠牲になってもらった。それだけだ。別段、カズヤたちに恨みがあったわけじゃないよ」

「なんですのそれは……あなたは、そんな愚かなことを考える人じゃなかったでしょうに!」

「おかしいな。君が僕の人間性を語るなんて。僕の本性は隠していたつもりだったのに、セレスタくんには筒抜けだったのかな?」

「…………っ」


 邪悪な影を潜める薄笑いを浮かべて、ジェイドはおかしそうに返答する。


「物事を滞りなく進めるためには入念な下準備が必須だろう。人は、何かを思いどおりに行う際には広い範囲に手を回すものだ。ときに立場を利用して、ときに組織を利用して、ときに友を利用して、ときに好意を利用して。優れた条件を整える過程こそ、計画において最も肝要であり、僕はそれに倣っただけだよ。賢明と称賛されども、愚劣と罵られる謂れはないはずだけどね」

「……それが、あなたの本性であるというのですか。模範的な騎士としてのあなたは、この日を迎えるためだけの偽りの姿であったというのですか」

「偽りではないよ。ただ、演技をしていただけだ。悪く思わないでほしいね。騙されたのは君たちの責任だろう?」


 憧れた存在の理想とかけ離れた言動を前に、愕然と立ち竦むセレスタ。

 ジェイドは剣をおろして、セレスタの首元で光る白い輝きに目をやった。


「それにしても、まさかセレスタくんが“それ”を持っているとはね」

「……この宝石について、知っておりますの」


 その返しが意外だったのか、ジェイドは僅かばかり頬を弛緩させた。


「おや? 知らずに持っていたのかい? まったく、ルナフランソ女王も解せぬ人だ。託す意味すら教えずに、そんな高価なものを渡してしまうとは」


 そういって鼻で笑い、ジェイドはセレスタとの距離を詰める。


「セレスタくん、君は僕の障害だ。カズヤ同様、もちろんここで消えてもらう。だけど、手向けに教えてあげよう。その首飾りについているのはホワイトオパールという宝石だよ。フリッグ小国の王都、女王が住まう居城には巨大なホワイトオパールがあってね、その加護によって国全体を守っているんだ。街にカルマが直接湧かないのは、僕の持つブラックオブシディアンと対極をなすその宝石に阻まれているからだよ。この国の女王は、その絶大な守護の力を有する巨大なホワイトオパールを削り取り、その欠片を時々誰かに託すことがあるという」


 対抗するための刃を構える余裕もなく、ジェイドの声に耳を傾けることだけに、セレスタの全神経が注がれる。

 硬直するセレスタを剣の射程に捉えて、ジェイドは足を止めた。


「宝石を託された者とは、すなわち女王が国を預けるに値すると確信した者たち。こうして国が危機に瀕した際に、防衛を託すことができると信じた騎士だ。君は女王の思惑通り、敵対存在である僕のもとに駆けつけた。しかし未熟だったね。君では僕に勝てない。僕が君の敵であるように、君は僕の敵だ」


 『君では僕に勝てない』。

 彼が突きつけた言葉は、否定のしようがない事実だ。

 騎士としての技量では、セレスタのそれでは彼の実力に遠く及ばない。

 これから何年も鍛錬して腕を磨けば、あるいはジェイドを超えることも可能なのかもしれないが、セレスタはいま彼に勝たなければ意味がない。

 勝てなければ、“これから何年”という未来は永久に訪れない。

 加えて、セレスタは未だに尊敬していた人物の本性を前に戸惑いを捨てきれずにいた。迷いを抱えた状態では、ただでさえ劣っている実力の本領さえも発揮できないだろう。

 それでも自衛のために、セレスタは困惑したまま剣を正眼に構える。

 そんな気の抜けた心境では、ジェイドの一閃を防げるはずもないと知りながら。

 敵の刃が振り下ろされれば、同時にセレスタの意識は途切れるだろう。

 ジェイドはそれらすべてを理解したうえで、

 冷徹な瞳に禍々しい殺意を湛えて、


「恨むなら、宝石を与えた女王を恨むんだね――」


 そう告げて神速の刃を頭上から斬り下ろそうとした瞬間――


 空から飛来してきた物体が、セレスタとジェイドの間に割り込んだ。


          *

          

 ふたりの間に割り込んだ“物体”は間髪いれずに立ち上がり、ふたりの内の若い男を視界の中心に捉えて、右手に持った騎士団の剣よりも短い片手剣を突きつける。

 瞬間、照準をあわせた若い男との距離が文字通り一瞬で埋まり、肉薄して駆け抜けざまに手にした剣を薙ぎ払う。

 状況把握に頭が追いついていないが、若い男は磨きぬかれた剣術で迫りくる鋭い剣閃をなんとか防ぐ。

 だが、背後に抜けた相手を視線で追おうと振り返ったとき、


「がぁッ――!」


 甲冑の装甲の上から、厚い鉄板を砕くほどの強烈な拳を腹部に受けた。

 常に冷静で弱みを見せたことのない若い男は、無様な呻き声をもらすと、殴ったあと再び自分の背後にまわった相手を目で追いかける。

 そして、つい数秒前に手にかけようとした女性騎士の隣に並ぶ相手を、片膝をつきながら憎悪に歪む眼光で睨みつけた。


「カズヤ……!」

「形勢逆転だな、ジェイド」


 向けられた殺意に対して、カズヤは不敵な笑みを返してみせた。


          *

 

 殺されたと思っていた守護者の再登場に、セレスタは先ほどまでとは異なる種類の困惑を覚える。


「カズヤ……その剣は、まさか……」

第二開眼セカンドヴィジョン・神剣クラウソラス。初めて会ったときにおめぇがいってたのはマジだったな。俺はとんでもねぇ力を与えられたみてぇだ」

「神剣クラウソラス……対象と定めた獲物を殲滅するまで、たとえ地の果て海の底、空の彼方までも音速で追いかける能力を有する剣……!」

「そんな感じらしいな。地上ギリギリのとこでこいつの能力を使って、“空中を対象として”飛んで戻ってきたっつーわけだ」


 カズヤは刃を傾けて、刀身に反射する緩んだ自分の顔を見た。


「まったく妙な解釈をされたもんだ。これじゃあストーカーじゃねぇか。俺たちはそういうのとは違うってのによぉ。なぁ、おめぇもそう思うだろ?」


 緊張感のないカズヤの発言に、セレスタは虚を突かれたように目を丸くする。

 けれどもそれが、迷いに懊悩するもつれた思考をほぐしてくれた。

 表情に活力を取り戻して、セレスタはカズヤと似たような笑みを浮かべる。


「まったくそのとおりですわ! そんな不埒な輩と一緒にしてほしくありませんわね!」

「そうだよな。――ああ、ほんとにそうだ」


 意思が通じていることが嬉しくて、なんとなく楽しくて、緊迫した場にも関わらずカズヤとセレスタは微笑する。

 だが、目の前に倒すべき敵がいることを忘れたりはしない。

 カズヤはひとしきり笑うと、手にした剣の先端をジェイドに向けた。


「ジェイド、いますぐそのヤバそうな宝石の力を止めろ。でなきゃ強引に止める。俺はおめぇにムカついてんだ。素直に従わなきゃ、どうなるか知らねぇぜ?」

「……なるほど。とても素晴らしい力だ。君には何度も驚かされるよ。第二開眼を手にした守護者ガーディアンが相手では、生身の人間である僕に勝ち目はないだろう」

「御託はいい。さっさと降参して宝石を止めろ。でなきゃ――」

「忘れてもらっては困るよ」


 カズヤの勧告に声を被せたジェイドが、焦燥していると思われた顔に酷薄な色を浮かべる。

 直後、ジェイドとカズヤが対峙する間の地面に、ドロドロとした混濁する黒色の泥が湧きはじめた。

 泥は瞬時に人体を形作り、相応しい色を手に入れて、“本物”と遜色ない意志を持つ偽物に変貌した。

 猫背に無精髭、およそ品位のない、騎士団の白い制服をまとった男。

 死んだはずの男を模した偽物の騎士が、カズヤとセレスタの前に再び立ち塞がった。

 思わぬ敵の増援に、カズヤはセレスタを見て声を荒げる。


「おいセレスタ! あいつはおめぇが倒したんじゃねぇのかよ!」

「そのつもりでしたが……地面に解けたのは、倒したわけではなく、逃げたというわけでしたのね」

「僕がそう指示していたんだ。勝算が怪しくなったら、躊躇せず引くようにね。シャドーは任意のものに変異する特殊能力は優れているが、戦闘能力はさほど高くない。それでも並の騎士ならば相手にできただろうが、セレスタくんは僕の想像以上だったようだ」

「はっ……んだよ。じゃあそいつを呼び戻しても状況は何も変わらねぇじゃねぇか。俺はおめぇより強い。セレスタもそいつより強い。そうじゃねぇか?」

「このままなら、ね。だから――」


 そういうなり、ジェイドと彼の守護者は思わぬ行動をとった。

 急にバルコニーの欄干を飛び越えて、あろうことか自ら地上50メートルの足場のない空中に身を投げ出したのだ。

 あまりにも唐突に自殺にはしった敵を目の当たりにして、意味がわからず頭の中が真っ白になるカズヤとセレスタ。

 少しの間を置いて我に返り、焦りを額に浮かべて欄干の下を覗き込もうとする。

 カズヤとセレスタが顔をバルコニーから出そうとした刹那、


 巨大な黒色の影が、バルコニーの寸前を下から上に駆け抜けた。


 一度上空に舞い上がり、カズヤたちの視線の先、バルコニーから20メートルほどの距離を空けた虚空に、巨大な黒色の影が滞空する。

 全身を黒色の鱗で鎧のごとく覆い、睨まれただけで足が竦んでしまいそうな鋭い眼光を湛える頭部からは、頑丈な二本の角が生えている。

 滞空するためにはためかせている両翼は、薄闇の世界に更なる深い影を落とすほどに大きく、広げるだけで威圧的な存在感を主張する。

 眼下から舞い上がってきた“最強の生物”を目に留めて、カズヤとセレスタの表情から余裕が消失する。

 最上級の変身を遂げた守護者の背にのっているジェイドは、普段の冷静沈着なイメージを捨て去って、高揚した様子でバルコニーに呆然と立ち尽くすカズヤとセレスタを見下ろした。


「この圧倒的な力で、君たちをねじ伏せてあげよう。国を滅ぼす前哨戦だ。これで決着としようじゃないか!」


 あらゆる騎士の戦意を喪失させるほどの力を持つ、最強の守護者――

 アヤネの第一開眼ファーストヴィジョンと寸分も違わぬ姿をした漆黒のドラゴンが、カズヤとセレスタの最後の敵として、ふたりの視線が交錯する薄闇に姿を現した。

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