第24話

 不慣れな手つきで振るわれたカズヤの剣閃は鈍く、ジェイドは最小限の動作で容易にかわしてみせた。

 無謀な戦いへの迷いを振り切ったカズヤに、ジェイドは瞳に疑念を滲ませる。


「本気で戦うのかい、この僕と。僕の実力は知っているだろう?」

「ナルシストがッ。んなもん関係ねぇよッ! 異世界とはいえ悪事に加担しちまったら、元の世界に戻ったあとで推しの顔を――こまっちゃんの顔を、まっすぐ見られなくなるだろうがッ!」


 ――まあ、いままで一度だってまっすぐに見れたこたぁねぇけどなッ!


 余計な部分は心中で吐露して、澄み切った気分のまま、カズヤはジェイドに絶えず剣を振りおろす。


「気でも狂ったのか。勝てないと知りつつ、なおも僕に挑むのか、君は」

「見りゃあわかんだろッ! 俺は正しい人に憧れたッ! 正しい奴を尊敬したッ! 正しい存在に近づきたいと思ったッ! けどなあ――!」


 溢れる感情を声に出しているだけでは、何かを為し遂げることはできない。

 応援している者に相応しくあるためには、指を咥えてみているだけじゃなく、


「憧れを抱いたら、憧れてるだけじゃあダメなんだよッ!!」


 胸の内に生まれた新たな信念を携えて、カズヤは果敢にジェイドを止めようと攻め続ける。

 ジェイドは腰に帯びている剣の柄に手をかけるが、カズヤの激情をのせた剣捌きに引き抜く間も与えられず後ずさる。

 ナイトの守護者ガーディアンとしての能力を解放しているカズヤの体力は、剣を数十回振る程度では尽きることはない。

 猛威を振るう刃に押されて、ジェイドは広間の壁を抜けて、薄闇の空の下にあるバルコニーまで後退した。一つに結われたジェイドの長い髪が、バルコニーを吹き抜ける風に舞う。

 カズヤは怯まず攻め立てて、遂にジェイドをバルコニーの欄干まで追い詰めた。

 そして、

 

 視認できぬほどの速さで引き抜かれたジェイドの剣に、カズヤの剣が弾き飛ばされた。

 

 カズヤの手を離れた長剣は広間のほうに飛んでいって、甲高い音を立てて石畳の床に転がる。

 武器の行方を追っていたカズヤの視線がジェイドに戻った瞬間、万力のごとく尋常でない握力で首を掴まれた。


「カズヤ、最初に会った際に伝えたとおり、やはり君は素晴らしい男だ。適わぬ敵に立ち向かう勇気は、決してまがい物ではなく本物だ。それは美しい。僕はね、君のように純粋な勇気を持つ人間は好きだよ」

「ぐ……おれは、おまえがきらいだ」

「かまわない。嫌われてるからといって気持ちを変えるつもりはないからね。カズヤ、君は強い男だ。しかしね、いくら人として強くとも、君は勇者にも英雄にもなれない」


 余裕とも愉悦とも取れぬ微笑で唇を歪めて、ジェイドは片手で鎧をまとったカズヤの身体を地面から浮かせる。

 喉を圧迫されて息のできないカズヤの身体が、ジェイドの腰ほどの高さにある欄干を越えて、怪物じみた腕力で足場のない空中にさらされた。

 詰所の最上階にあるバルコニーは、地上50メートルの高さに位置している。

 ここでジェイドがカズヤを放せば、いくら身体が頑丈になっているとしても耐えれないだろう。

 だが、このまま首を絞られても、じきに生命活動は停止する。

 脳に酸素が回らず、薄れゆく意識の奥で、


 カズヤの細められた瞳が、ジェイドの後ろで立ち竦む主人の姿を見つけた。


「ジェイド様……? これは、どういう……」


 自分を誰よりも尊敬していた騎士が当惑する様子を一瞥して、騎士の少女には答えを返さず、ジェイドは苦悶するカズヤの顔を無感動に見つめる。


「最後に、その答えを教えてあげよう。カズヤ、君が勇者にも英雄にもなれないのは――」


 冷たく耳に届く敵の声を聞いて、


「それが、勝利した者にのみ与えられる称号だからだよ」


 首の圧迫がやわらぐと同時に、カズヤの身体は脳天から真っ逆さまに、遥か下にある地面への落下を開始した。

 

          *

          

 さっきまで立っていたバルコニーが、瞬く間に遠くなっていく。

 空は薄闇。ジェイドの持つ不可思議な宝石によって生じた結界が、まだ陽が出ているであろう外界を隙間なく完全に遮断している。

 暗い景色のなか、頭から強烈な風圧を受けながら、一直線に詰所の最下層目がけて落ちていく。

 それがどういうことか。

 死の淵にありつつもカズヤは自分でも驚くくらい冷静に、自分の迎える結末を心の内側で言葉にした。


 ――俺は、死ぬのか。


 そして、同時に思う。


 ――それでも、いいか。


 死ぬことが怖くないわけではない。

 だが、もう助かる方法もない。

 あと数秒もしないうちに、身体が硬い地面に衝突して絶命する。

 きっと、助かる余地のない、一瞬で意識が消滅するような即死だろう。

 だったらもう、どうしようもない。

 どうせ、生きていたって何もできない。

 この世界でも、元いた世界でも。

 無理難題に挑む勇気を捨てて、自分さえよければ良いと閉じこもり、捨てきれずにいたかつての願いを他人に託して傍観を決め込んだ。

 自分が消えたところで、何も変わらないし、何も失われない。

 いてもいなくても同じ。

 益もなく、害もない本当に無価値な存在。


 それが、自分だ。


 それが、尾関和也という存在だ。


 そんなふうに考えて、


 ――なんてな。


 この世界に来なければ、カズヤは生きることを諦めていたかもしれない。

 けれども、いまは違う。


 極めて困難であると知りながらも、歌や踊りを通じて人々に元気になってもらい、いつか世界から間違った行いを撲滅したいと願う少女がいた。

 理解されずとも、愚鈍に人々の間違いを厚生する活動を続けて、いつか誰からも尊敬される立派な人物になりたいと望む少女がいた。


 正しくあることを諦めていたはずのカズヤが、アイドル・伊藤小町に強く心を惹かれたのはなぜか。

 異界召喚の儀式で、セレスタの守護者として数多の世界、数多の存在のなかからカズヤが選定されたのは、なぜなのか。


 ――応援するために好きになったんじゃない。

 ――下僕として支えるために引かれ合ったんじゃない。


「――――!」


 耳をつんざくような風の音に、微かな異音が加わった。

 カズヤは落下しながらも身体を懸命に動かして、逆さになっていた顔をあげて空を見上げる。

 手のひらに収まるほど小さくなったバルコニーの欄干から、白い甲冑をまとった女性騎士が身を乗り出していた。


 ――そうだ。


 遠くなっていく彼女に、カズヤは右手を伸ばす。

 冷めかけた心が、再燃して熱を帯びていくのを感じた。


 ――俺は、理由もなしにこまっちゃんのファンになったんじゃない。


 激しく、猛々しく、絶対的な死が目と鼻の先に迫っているというのに、カズヤに宿る生命の炎は止め処なく燃え上がる。

 不意に、カズヤの脳裏に知らないはずの知識が芽生えた。

 それは、読んだことのない本の中身がわかってしまうようなもの。

 経験した覚えのないことを、体験談として語れてしまうようなもの。

 到底ありえない現象だ。少なくとも、カズヤのもといた世界では。

 けれどもカズヤは戸惑うことはなく、それどころか歓喜に表情を綻ばせて誕生した知識を歓迎した。

 それこそが、


 ――俺は、彼女のように生きたくて、彼女と一緒に理想を追いかけたいと思ったから、伊藤小町のファンになったんだ。


 その知識、その能力の顕現こそが、


 ――俺をこの世界に呼んだ少女、


 ――セレスタと同じように!

 

 彼が封印されている真の力を解放する答えに辿り着いた、明瞭な証明であった。

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