第23話

 落ちていたマリナの剣を拾い、カズヤはジェイドを見据えて刃を構える。


「まさかと思ったが、マジでおめぇが黒幕だったのか」

「おや、バレていたのか」

「ブラッドス――いや、おめぇの守護者ガーディアンに下手な芝居を打たせたのが決定打だったな」

「そんなに似てなかったかな、僕に」

「見た目は完璧だったろうよ。だが、俺とセレスタを騙そうと必死になりすぎたな。どうしようもなく苦しんでる詰所の他の連中と違って、下で会った“偽物のおめぇ”は苦しみ方がわざとらしすぎた。もっと演技力を磨いてやるべきだったな」

「やれやれ、慣れないことをさせるべきじゃなかったか。できれば、彼には君たちを二人とも足止めしてもらいたかったんだけどね」

「そりゃあ期待に沿えず悪かったな。ついでに、悠長にお喋りしてる場合じゃねぇんだ。早いとこ、この異常現象を止めてくれねぇか? その怪しげな宝石で団員たちの身動きを封じてんだろ?」


 懇願ではなく命令するカズヤの声音に、ジェイドは滑稽そうに微笑する。


「おもしろいことを言うね。一連の事件を起こした僕を、何の対価もなしに説得しようだなんて」

「カルマに街を襲わせてんのもおめぇの仕業か」

「そうだよ。この宝石――ブラックオブシディアンは、所有者の周囲に極めて強力な封印の結界を張れるほか、異形の怪物・カルマの兵団を所有者の傀儡とする力も秘めている。どういうわけか、君とセレスタくんには効果がないようだけどね」


 ジェイドは見せつけるように、暗黒の輝きを絶えず放つ宝石を高く掲げる。


「カズヤ、君は勘がいい。これだけ教えてあげれば、もうわかっているんだろう? 僕が起こしたのは、今回の件だけじゃないってことも」

「ああ。レインとかいう団員がおめぇの守護者に襲われた日も、おめぇがカルマを呼んだっつーわけだ。三ヶ月前にあったとかいう大規模な襲撃も、おそらくはおめぇが仕組んだんだろ」

「ははっ、正解だよ。補足すると、三ヶ月前にカルマに街を襲わせたのは下準備のためだ。ナイトに偽装していた僕の守護者を、“実在する人物”に変装させることが目的だった。先日のはカルマの迎撃中に団員を襲うことで騎士団の注意を内側に向けさせて、警戒して詰所に団員を密集させることが目的だったわけだけど、こうまで思いどおりに動いてくれるとは思わなかったよ」

「増援を封じたうえで大軍に街を襲わせて、より確実に陥落させようって算段か」

「その通り。しかし僕は臆病でね。万が一失敗したときのことを心配して、表向きは偽者のブラッドスが疑われるように計画を進行した。今日の仕上げも、僕は隠れていて、彼に犯人の役割を担ってもらおうと思っていたんだ。そうすれば本物のブラッドスの亡骸を身代わりにして、僕の守護者には、また別の誰かに変装させればやり直せるからね。――だけど、予定外の出来事が起きた」


 思うように事が運ばなかったと語りながらも、ジェイドは楽しげな微笑を崩さない。

 ジェイドの視線が、カズヤのそばに倒れている女性騎士に向けられた。


「そこにいるマリナくん、そして君に、事件の真相を悟られてしまった。だからしかたなく、僕は君たちの前に出なければならなくなってしまった」

「……それで剣を抜いて倒れてたのか、こいつは」

「危なかったよ。あと少しでも気づくのが遅かったら、ブラックオブシディアンの解放が間に合わず、僕は彼女と剣を交えて、騒ぎに駆けつけた団員たち全員を相手にする羽目になっていたかもしれない。せっかく築いた信頼が、そんなつまらないことで無に帰するのは些かもったいないからね」

「模範的な騎士らしく振舞ってたのも、全部、こうして街を潰す計画の一環だったっつーのか」

「裏で暗躍するなら、表向きは周囲の信頼を得ておくのは定石だ。カズヤもそう思わないかい?」


 平坦に紡がれるジェイドの返答を耳にして、カズヤは剣の柄を握る手に力を込める。

 街を陥落させるなどという大事件を起こしている犯人に、これ以上の問答は無駄だと判断した。

 第一開眼ファーストヴィジョンを発動している現在のカズヤは、生身の状態と比較すれば格段に身体能力が向上している。

 けれども、ジェイドの戦う姿を目にしたことのあるカズヤには、たとえナイトとしての能力を解放したいまの自分でも、彼には勝ち目がないことを自覚していた。

 それほどまでに、カズヤとジェイドの間には歴然とした実力差がある。

 カズヤが第二開眼セカンドヴィジョンを扱えれば、あるいは結果も変わるかもしれない。

 ただ――


 カズヤはまだ、第二開眼を使うことができなかった。


 異状の渦中にある詰所を目指す前、セレスタに促されて第二開眼を発動できるか試してみたが、結局なにも起きなかった。

 憧れの人を支えるために。

 セレスタの純粋な願いに誰よりも共感できるからこそ、彼女の願望の成就に助力するため、この世界に召喚された。

 しかしそれは、第二開眼を解放するための鍵となる答えではなかったのだ。

 未知の力は使えない。

 いまの実力で戦えば、勝てる見込みはどう楽観的に分析しても皆無だ。

 ジェイドが本気で襲いかかってきたら、間違いなく殺される。


 ――わかってる。


 それでもカズヤは、その場から逃げ出そうとせずにジェイドを敢然と正面から見据えた。


「カズヤ」


 いつまで経っても戦意を喪失しないカズヤを眺めて、彼の名を呼んでから、至極不思議そうにジェイドは尋ねた。


「君は、なにをそんな必死になっているんだい?」

「――――!」


 そんな、答えるまでもないジェイドの疑問に、カズヤの頭は真っ白になった。

 三ヶ月前にあった事件の真相を知って、急いで詰所に駆けつけて、セレスタを置いて一人で真犯人のもとまでやってきた。

 その理由を問われただけだ。

 だというのに、カズヤを覆っていた闘気は行き場を失ったように抜けていく。

 カズヤの心を見透かして、ジェイドは冷静に言葉を続ける。


「君はこの世界の人間じゃない。それに、ここにきてまだ数日だ。第二の故郷としての愛着だって湧いてないんじゃないか? ならば、僕がこの国を壊そうとしていると知ったところで、命をかけてまで阻む価値はないだろう」


 彼のいうように、カズヤにとってこの世界は“異世界”以上でなければ以下でもない。

 元の世界に戻りたいという思いは、理不尽に召喚された日から片時も揺らいでいない。

 向けられた敵意が衰えたのを察知して、ジェイドは説得を畳みかける。


「僕はカズヤのことが気に入ってる。君が元の世界に戻りたいと望むなら、僕の目的を果たしたあとで、君の願いに協力しよう。だから、ここは黙って下の階に戻ってくれないかい? 最上階には何もなかった。君がそういってセレスタくんを止めれば、君の命は保障しよう」


 ジェイドの甘言は、つまりこういうことだ。


 僕と戦えば君は死ぬ。

 僕を見逃せば、君は生かそう。

 代わりに、これから起こる“異世界の不幸”のすべてを部外者として傍観しろ。


 誠実そうな眼差しで、ジェイドはカズヤに魅力的な言葉を並べて提案する。

 悔しいが、ジェイドは間違ったことを言っていない。

 気持ちを奮い立たせて戦いを挑んでも勝率はゼロだ。

 そこにはコンマ数パーセントの確率すら介在しない。


 じゃあ、諦めるのか。


 何が正しいか頭で理解しつつも、無理だから、無駄だからといって現実から目を逸らすのか。

 ジェイドの誘惑に、カズヤの脳髄に記憶されている過去の出来事が呼び起こされる。


 小学生のとき、学校の上級生が万引きしている場面に遭遇したことがあった。

 幼い頃から正義感が誰よりも強かったカズヤは、相手が年上の集団だったことも恐れず、毅然とした態度で上級生たちに万引きをやめるよう注意した。

 結果としてカズヤは上級生たちに暴行されて、報復を恐れず学校に申告したが、教師たちは面倒を嫌ってカズヤの証言を適当にあしらった。


 中学生のとき、友人が他クラスの不良にかつあげされている事実を知った。

 世の中の不正を許さないカズヤは、むろん友人が盗られた金品を取り戻すために不良を詰問した。

 当時のカズヤは気が強い男子生徒だと校内で認知されており、実際にはそうではないのだが喧嘩も強いと噂されていた。

 そのおかげか、不良はカズヤと関わることを避けた。

 不良はおとなしく奪った分だけカズヤを通じて友人に返済して、カズヤも彼が改心したと思い、それ以上咎めることはしなかった。

 その数日後、友人に返済された金銭が、別の生徒からかつあげされたものであることをカズヤは知った。


 高校生のとき、いじめられているクラスメイトと、いじめている複数のクラスメイトを見た。

 被害者、加害者と同じクラスで過ごしていたカズヤは、当然そういった下劣な行為が日常的に繰り返されていることに気づいていたが、関わろうとはせず、他のクラスメイトたちと同様に気づかぬフリをした――。



「返答がないというのは、肯定と判断しても相違ないかい?」


 平坦なジェイドの声に、過去に没入していたカズヤの意識が現実に引き戻される。

 人の心は変わらない。変えられない。

 過去の経験から思い知ったカズヤは、誰よりもその真実を痛感している。

 無理なことは無理だ。

 できないことは、どうしたってできないんだ。


 そう。


 そうだ。


 たしかに、そう知っている。


「……そうだな――」


 そう知って、過去に諦めたこともあったからよくわかる。


 ――無理だ。


 ――無駄だ。


 ――無意味だ。


 ――無価値だ。


 冷えた思考に舞い込んできた弱音たちに、カズヤは内心で返答する。


 ――そんなのは知っている。

 ――無理だろう。無駄だろう。

 ――たしかに無益だし、無価値だろう。


 ――――それがどうした。

 

 衰弱した気配を振り払い、カズヤは決然と顔をあげて剣の柄を強く握る。

 元の世界で、カズヤの諦めた理想を諦めずに追い求めている女性がいる。

 この世界で、カズヤの諦めた理想を諦めずに追い求めている女性がいる。

 大人になって、いつの間にか自分も“間違っていた”カズヤに、彼女たちは教えてくれたのだ。

 正しさとは、諦めずに何度でも立ち向かうことなのだと。


 ――だから、理屈なんてどうでもいい。

 ――だから、理由なんてそれだけでいい。


 だから――――


「ここで逃げたら、俺を正してくれた“ふたり”に合わせる顔がねぇよなッ!!!!」


 カズヤは腹の底から咆哮して、手にしている剣を高々と頭上に振り上げて、

 重く地面に張り付いていた足を踏み出し、敢然とジェイドに斬りかかった。

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