第22話

「あんたらがどうして入ってこれたか知らねぇが、ちょうど、すんなり事が運びすぎて退屈してたところだ。歓迎してやるぜ?」


 抜き身の刃を携えて、ブラッドスは剣呑な気配を振り撒く。

 それは紛れもなく、敵に対して向けられる殺意。

 明らかな敵意を感じとったセレスタは、険しい顔でブラッドスを睨む。


「あなた、何者ですの?」

「おいおい、同じ騎士団員の名前も忘れちまったのか? ああ、そういや、あんた新米か。それじゃあ、俺の名前を知らねぇのも無理ねぇか。だったら騎士らしく、りあう前に自己紹介といこうぜ。俺の名前は――」

「ブラッドス、ではありませんよね?」

「……なんだ、知ってんじゃねぇかよ。それで合ってるぜ。俺はブラッドスだ」

「いいえ。あなたはブラッドスではありませんわ」

「なに言ってんだ? あんたは、俺が自分の名前を間違って覚えてるとでもいいてぇのか?」

「道化を演じるのはやめなさい。わたくしは既に存じております。あなたが、かつで騎士団に所属していたブラッドスという騎士の名を騙る偽物であることを」


 セレスタに真実を暴かれて、調子よく流暢に喋っていたブラッドスの嘲笑が、一転して感情を失う。

 思考の読めない顔のまま、偽物のブラッドスは僅かばかり口を開いた。


「……なるほど。あんたらが街の外に行ったって話を聞いた時点で、あんた達が“アレ”を見つける可能性も考えちゃあいたが、その通りになったんだな」

「理解したのなら、観念して名乗りなさい。あなたは何者なのです」

「そっちについては、まだわかっちゃいねぇのか?」

「考える必要などありません。あなたが名乗れば済むことです」

「くっくっ、厳しいねぇ。まぁいいぜ。そこまでバレてんなら、教えてやるよ」


 抑揚のない声で宣言して、ブラッドスは剣尖をセレスタに向ける。

 口先で惑わせて奇襲をしかけるつもりなのか。

 急に剣を構えたブラッドスに、セレスタは警戒して咄嗟に気を引き締める。

 しかし、ブラッドスはセレスタに斬りかかってこなかった。

 代わりに――


「な――」


 つま先から頭頂部、纏っている甲冑と構えた剣も含めた彼の外見が、急速に影のごとく黒く濁った色に変貌して、泥のように石畳に落ちて床の染みと化した。

 信じられない光景に、セレスタは息を呑み、カズヤは無意識に驚愕の声をもらす。

 驚くべき現象は、それだけではなかった。

 地面に吸い込まれた黒色の泥が、今度は粘土のように足元から順に人間と思しき物体を造形していく。

 それは、先ほどと同じブラッドスの姿ではなく、

 長いスカートの上から清楚な白い甲冑を身につけた見覚えのある若い女性騎士団員の身体が、黒色の影から生まれて“本物”と寸分違わぬ色を手に入れた。


「その姿――」


 まったく想像していなかった人物の登場に、セレスタは動揺した。

 そこに現れたのは、先日のカルマ襲撃の際に何者かに命を奪われかけた団員・レインだった。

 気の弱そうだったレインが、驚愕するカズヤとセレスタを嘲るように歪んだ笑みを見せる。


「先に言っておくけど、私は偽物だから。あの日、本物の彼女を刺したあと、私はこの姿で外壁から逃げたの」

「……目撃された犯人が女性用の騎士甲冑を着ていたというのは、そういうことだったのですね」

「目撃した奴も、犯行現場から逃げてきたのが襲われた本人だなんて信じられねぇだろう。顔は見えなかったって証言してたが、ほんとは見えてて、見間違いだと決めつけて黙っていたのかもしれねぇ」

「そういうこと。私は一度見たものであれば、どんな姿にも変身できる守護者なの。私の騎士は、この形体をシャドーと言ってた。あまり知られてないらしいから、今回の件では、世間の認識の甘さも利用させてもらったわ」

「自分の姿を見せずに、蛮行を繰り返していたというわけですか」

「合理的だと思わない? だって、お友達の姿で近寄ったら、いかに勇猛な騎士様でも簡単に背中をさらしてくれるのよ?」

「……そうやって卑劣な方法で、ブラッドスや他の団員たちも手にかけたのですね」


 セレスタの怒りに震える声色に偽物の彼女はすぐには答えず、レインの身体を黒く溶かして再び泥となり、身体を再構成してブラッドスの姿に戻った。

 姿に合わせて変化した口調もまた、ブラッドスの低い声と粗暴な喋り方に戻る。


「守護者を相手にすんのはしんどいからな。その点、騎士を殺るのは楽だったぜ。信頼を置く奴の姿になれば、簡単に隙を晒してくれる。なにより、騎士が死ねば厄介な守護者は勝手に消えてくれるってのがいいよな」

「容易いから。それだけの理由で、命を奪ったというのですか」

「理由がねぇわけじゃねぇぜ。命令されたからだ。俺をこの世界に呼んだ御主人サマにな」

「命を奪うという行為に、あなた自身は疑問を抱かなかったのですか」

「あんたは自分の知らん奴が死んで損でもすんのか?」


 真摯に殺人行為を非難するセレスタに、無表情だったブラッドスが心底おかしそうに嘲笑まじりに返答する。

 鋭い光がセレスタの瞳に宿る。

 説法をやめて臨戦態勢をとった彼女を正面から見据えて、ブラッドスは嘲笑より深くする。


「くっくっ、いいぜ。あんたがやりやすいように、俺もこいつの姿に戻ったんだ。存分に楽しもうぜ」

「もはやあなたに救いはありません。正しき心を持つ騎士を手にかけた罪、煉獄に落ちて償いなさい」

「ああ。どこにだって行ってやるよ。あんたに俺が倒せんならなァ!!」


 猫背で剣をぶら下げていたブラッドスが吠えて、跳ねるようにしてセレスタに飛びかかる。

 それが、戦闘開始の合図となった。


 剣を交える二人の背後に立っていたカズヤは、二人が戦闘を始める少し前から、頭に浮かんだ疑問について考えを巡らせていた。

 シャドーとは、守護者の形体の一つだ。

 ならば、彼の言う『御主人サマ』――彼を召還した騎士がいるはず。

 守護者とはその性質上、自分を召還した騎士が健在でなければ存在を維持することはできない。

 ということは、セレスタと剣を交える敵の主人はいまも確実に生きており、ここに従者がいる以上、その主人もまた、この不気味な薄闇に支配される詰所のどこかにいる可能性が極めて高い。


 そして、その主人とは、おそらく“あいつ”だ。


 偽物のブラッドスとの戦いにセレスタが集中しているいま、そいつを止められる奴がいるとすれば、自分を置いて他にいない。

 カズヤはその場で振り返り、背後に続く最上階への階段と向き合って、


「セレスタッ! そいつは頼んだぞッ!」


 相手の返事を待たずに一方的にそう告げると、螺旋を描く階段を駆けあがっていった。

 

          *


 フリッグ召還騎士団バルドル支部詰所。

 円柱状の天高く伸びる建造物の最上階にやってきたカズヤは、そこでもまた、地面にうずくまる見知った人物の姿を発見した。

 最上階に設けられているバルコニーに続く通路の中間で、その人物は片膝をついて、頭上から不可視の力に押し付けられているように頭を垂れている。

 左手だけを床について身体を支えており、虚空で硬直している右手のそばには、持ち主の手を離れた抜き身の剣が転がっていた。

 カズヤは広い空間にただ一人でいる人物のそばに駆け寄り、耳元で声をかける。


「マリナ、無事か?」

「……ッ! ……ぁ……ず……ぁ……っ!」


 苦悶に耐えて歯を食いしばっている口元から、かろうじて聞き取れる言葉が搾り出される。

 その、マリナの安否を確かめたカズヤの耳に、


「――これは意外だね。まさか、君のほうがくるなんて」


 バルコニーに続く通路の奥から、若い男の声がかけられた。

 マリナの呻き声だけが響いている静かな空間に、近づいてくる男の乾いた靴音が混じる。

 靴音は段々と大きくなっていって、さらには鎧を鳴らす甲高い音も聞こえはじめる。

 うずくまっていたマリナに落としていた視線を持ちあげて、カズヤは悠然と接近してくる男を睨みつけた。

 カズヤと男。互いに向ける眼光が交錯して、男はゆっくりとした歩みを止める。

 カズヤの前に立った男が、端正な顔立ちに似合う清々しい微笑みを湛えてみせた。

 男の余裕を目の当たりにして、カズヤは彼と初めて出会ったときと同じくらいに、いや、そのとき以上に気分を悪くしながら、目の前に現れた男の名前を忌々しげに呼んだ。


「ジェイド……ッ!」


 騎士団員たちから絶大的に信頼されている長身長髪の青年騎士。

 ジェイド=エウリュテミスが、禍々しい混濁した輝きを放つ宝石を手に、いつも通りの爽やかな表情でカズヤを見つめ返していた。

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