後編

 ――数日後。


「オハヨウ」

 スライムはいつものように、彼に挨拶をする。


 彼は、スライムの訓練の結果をコンピュータに送信した。

 訓練は数パターンこなしたが、どれも悪くない結果だった。


 この結果を受けて、兵器として合格したとしよう。

 そうなれば、軍の方に移動される。こうなったら、会うことさえままならなくなってしまう。

 とはいえ、不合格となれば、今度は廃棄処分である。


 廃棄処分なんてもってのほかだ。でも、合格したらしたで、接することさえできなくなる。

 ―― 一体どうすればいいのだ。彼は、頭を抱えこんだ。


「ダイジョウブ?」

 端末にこんなメッセージがあった。これはどういう意味だ。彼は、端末を凝視した。

 次に、ガラスの筒の方を見る。スライムが、ガラスにベッタリと張り付いていた。


「そんな言葉をどこで覚えたんだ」

「オシエテクレタ」

「そうだったか?」

 彼は、頬を人差し指で掻く。思い返すが、教えた覚えがまるでなかった。


「そうだ。今日は、外に行こう」

「ココカラデルノ?」

「実際に出るわけじゃない。けれど、私も一緒だ」


 研究所にあるバーチャルリアリティは、戦闘訓練用だけではない。

 研究所内にいながら周辺を散策する、ということも可能なのだ。これは主に、研究員がリフレッシュするためのものである。


 ただ、この機能は、あくまでも研究員用である。実験体であるスライムに使うと、色々面倒なことになるかもしれない。


 彼は、起こりうる様々な可能性を考えた―― 一対一で過ごせるのは、これで最後だ。この機会を逃してなるものか――最終的に、こう結論づける。


 彼は端末を操作した。ガラスの筒に色が着く。 

 同時に、彼の目に、覆いがかかるように、目に帯の様なものが巻きついた。

 この帯のようなものが、バーチャルリアリティのゴーグルの様な役目を果たすのである。


 しばらくすると、殺風景のきらいがある研究室から、一気に、色鮮やかな花が咲き誇る風景に変わった。穏やかな日差しが、辺りに降り注ぐ。


 人工楽園内の『春の庭園』と呼ばれる場所である。


「どうだ?」

 スライムに呼びかけたが、返事がない。よく考えたら、スライムには目がなかった。そもそも感覚器官が見当たらない。


「……どうだ?」

 彼はもう一度、呼びかけてみた。


 ――ホー、ホケキョ。

 ちょうどその時、どこかでウグイスのさえずりがした。

 スライムはさえずりがしたと思われる方向に向かう。彼は後について行った。


 スライムは、一本の桜の木の前で止まる。その根元から、這うように木の上に登る。這い上がる様は、まるで巨大なナメクジだ。


 枝の先に、ウグイスが止まっている。先のさえずりの主のようだ。今も、ホーホケキョとさえずっている。スライムは、ウグイスの止まっている枝の辺りで動きを止めた。


「……ウグイスに、何をする気だ?」

 彼は嫌な予感がした。

 次の瞬間、スライムは体を広げ、ウグイスに覆い被さろうとする。


「ストーップ!!」

 彼は大声をあげた。スライムは動きを止めた。その間に、ウグイスは飛び去った。


「早く、降りてこい」

それを聞いたスライムは、登った時と同じように、這って戻ってきた。


「さっき、ウグイスを食べようとしていなかったか?」

 彼はスライムに、先程の行動の説明を求めた。


 もっとも、先のウグイスはバーチャルな存在だ。もし、食べたとしても、実際に食べている訳ではない。

 彼はその事を分かってはいる。ただ、心境的に嫌なのだ。


「タベルンジャナイ。トリコムノ」

「……どう違うんだ?」

 どっちにせよ体の中に入れるのだ。なんでわざわざ言い直すのか。彼は理解に苦しんだ。


「トリコムト、ウグイスノコエガダセル」

 相手の能力を得たい場合は、食べるのではなく、取り込むらしい。説明を聞いても違いが分からなかったが、違うと言ってるのなら、違うのだろう。


「もしかして、声を出して話したいのか?」

 ちなみに今、端末を使わないで会話しているが、これはバーチャルリアリティ内だからできることだ。

 とはいえ、先のウグイスもバーチャルだ。取り込むのは不可能だろうが。


 スライムは、何も言わなかった。

 代わりに、体を腕のように伸ばす。それを彼の右手に絡めた。右手がベタベタする。


 スライムは、なんでこんな事をしたのだろうか。彼は理解できなかった。

 けれど、彼は、それを嫌だと思わなかった。


「なんでこんな事をするんだ?」

 彼はスライムに尋ねた。


「ワカラナイ」

「そうか」


「デモ、コウスルノ、スキ」


 彼はスライムを見つめていた。スライムは春の日差しを反射して、光り輝いていた。


「……ルミエール!」

 彼はスライムに、そう呼びかけた。


「ルミエール?ナニソレ」

「君の名前だ」


 彼は絡め取られているままの右手で、スライムの体を強く握った。スライムもそれに応じて、強く絡める。


 ――どういう経緯であれ、命を創造していることに変わりはない。私としては、むしろ命懸けでやって欲しいもんだがね――


 かつてギョームが言ったことを、彼は反芻していた。



***


 ――彼は、バーチャルリアリティを解除した。春爛漫の風景から一変、元の殺風景な研究室に戻る。


 続けざまに、端末の操作をする。今度は、ガラスの筒が開いた。スライムが、中からでろんと出てくる。


「ルミエール、私を取り込んでくれ」


 彼はスライムの目の前で、両手を広げた。まるで、その身を差し出すように。


 スライムは「食べるのと取り込むのは違う」と言っていた。もし、そうであるならスライムの方で何らかの痕跡が残るということだろう。


 彼は、今後もスライムと一緒に居続ける方法が、これしか思いつかなかったのである。


「イイノ?」

 スライムは端末を操作した。


「いいとも」

 彼は即答した。


 スライムは体を持ち上げる。まるで、彼の顔をを見るかのように。彼は両手を広げていた。


「トリコンダラ、オハナシデキナイ」

 スライムは、再度、端末を操作する。


「……嫌だと言うのだな。そうか。でも、私たちは、もう一緒にいられないんだ。頼む、取り込んでくれ。そうすれば、私たちはずっと一緒だ」

 彼は訴えた。声から悲痛さが感じられる。


 スライムは、再度体を持ち上げる。持ち上げた体を、彼の顔に近づけた。

 彼は、目を見開いていた。瞬きをひとつもせず、スライムのことを見続けていた。


「ワカッタ。デモ、ソノマエニ」

 スライムはメッセージを返す。その後、こんなメッセージを送った。


「コドモガホシイ」


 スライムは、彼にのしかかろうとする。


「何をするんだ!」

 彼は抵抗したが、ぶよぶよの体を押し返すことはできない。あっという間に組み伏せられてしまった。


 彼は、「子供の作り方」を教えた記憶はなかった。それよりも――


「ルミエール!それは野蛮なことだ!君にそんなことをさせたくない!!」

「コドモ、ホシクナイノ?」

 彼は、説得を試みたが、スライムは聞き入れなかった。


 ――親の体を使って産まれてくる、なんて、野蛮なんだ――

 だからこそ、そうやって産まれてくる地上のものに、深い嫌悪感を抱いたのではないか。なぜ、同じことをさせてしまうのか――


 しかし、今の彼は、深い多幸感に包まれていた。同時に嫌悪感と罪責感に苛まれる。

 次第に、彼の意識は遠のいていった――



 ――数時間後。

 警備ロボが研究室に殺到する。それに伴い、研究室は「立ち入り禁止」となった。


 研究室には、見覚えのない青年がいた。

 青年は、彼と似たような背格好をしている。身にまとっているものは、先程まで彼が着ていたものだ。


「何をするつもりだ!」

 青年は叫んだ。同時に、右手を刃に変える。

 警備ロボも、武器を構える。その場は、一気に緊張感に包まれた。


「何事かね」

 ギョームは研究室の前を通りかかった。警備ロボの隙間を縫うように、様子を伺うように覗き込む。


「危険です。この場を離れてください」

 警備ロボが警告を発する。


「私は、ここにいるスライムに用があるんだが」


「そのスライムが危険なのです」


 ギョームは、警備ロボに追い返されてしまった。



「――まったく、警備ロボというやつは、融通が聞かなくて困る。願わくば、スライムを殺処分せんことを。


「彼は、何をしたかは知らない。言えることは、命を賭したということか。そうであるなら、スペアを使って、再配属される可能性が高いかもしれないな。ただし、二度とスライム開発に関われない可能性が高いが。


「『この世で結ばれることが叶わぬなら、命を絶つ』という選択肢を取らせぬ、か。うむ、実に惨たらしい罰だ。我々はもう、ロミオとジュリエットになれないのだ」


 追い返されたギョームはひとり、こんな事をぼやいていた。

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兵器として作ったスライムに懐かれたみたいなんだが 奈々野圭 @nananokei

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