荒川をあなたと歩く
烏目浩輔
荒川をあなたと歩く
風が冷たかった昨日とは違って、今日は打って変わって春めいている。
「おばあちゃん、今日はあったかいね」
きっと無駄だろうと半ば諦めながらも、祖母の反応をしばらく待ってみた。けれども、やっぱりうんともすんともなくて、祖母は前を見たままだんまりだった。ようするに、いつもどおりに無視されてしまったわけだ。
いつもどうりだから気にはせず、アスファルトの道に歩を進めていく。
荒川の河川敷に設けてある遊歩道は、車道のようにしっかり舗装されている。その足もと良さからか、香菜たちのように散歩する人は多い。河川敷に整備された運動場のようなグランドでは、サッカーボールを蹴る子供たちが、声変わり前の声を楽しげに響かせていた。行手には荒川にかかる国道四号線の高架橋が見える。遊歩道はその高架橋の下を通り抜けると、右にゆるくカーブしながらなおも伸びていく。
川辺に根を張る草木の合間からは、荒川のゆったりとした流れが覗いていた。陽光を浴びた
高架橋の下を通り抜けてまもなく、柴犬を連れた年配の女性が前方から歩いてきた。女性が親しげに会釈してきたので、香菜もつられて会釈を返した。だが、女性とすれ違ったあとに首を捻った。
(……今の誰?)
どこの誰だか不明だが、忘れることにして散歩を続けていると、小鳥のさえずり合う声が香菜の耳に届いた。その楽しげな鳴き声は、中学生くらいのかしましい女子を連想させた。
香菜は幼いときにも祖母とよく荒川の河川敷を散歩した。当時の祖母は香菜の家の近くに住んでいて、香菜は典型的なおばあちゃん子だった。大好きな祖母の散歩についていくのをいつも楽しみにしていた。
香菜がアラサーとなった今では、ふたりで並んで歩くことはもうない。祖母を乗せた車椅子を押しながら歩く。心がどこか遠くにいってしまった祖母は、自力で歩くことすら困難なのだった。
ついていく祖母との荒川散歩は、いつしか連れていく散歩になった。
やがて遊歩道は『虹の広場』に差しかかった。五月には七色のチューリーップが河川敷の花壇を彩るが、それはもう少し先のことだった。今は足もとにあるタイルの一部が七色に塗られているだけだ。
背後から軽快な足音が近づいてきたかと思うと、若い男性が香菜たちをさっさと追い抜いていった。なぜランニングシューズは蛍光色のものが多いのだろうか。
祖母が認知症と診断されたのは二年ほど前のことだ。当初はときおり言動がおかしくなる程度だったが、症状が進んだ現在は表情も目の焦点もうつろで、言葉を発することもほぼなくなっている。心がどこか遠いところを彷徨っていて、身体に戻ってくることは滅多にない。
認知症を患う前の祖母は荒川での散歩を日課にしていた。
祖母の娘――つまり香菜の母に、
「もうこんな暑い日にまで……熱中症になったらどうするの」
などと小言を言われても散歩を欠かさなかった。
香菜は幼い頃に、
「おばあちゃんと散歩するの好き。ずっと散歩する」
などと言っていたが、中学生あたりで散歩をやめてしまい、けれど祖母はずっと荒川の河川敷を歩いてきた。
香菜が今日もこうやって祖母を散歩に連れだしているのは、幼い頃によく遊んでくれた祖母への恩返しみたいなものだ。ずっと続けてきた荒川での散歩を、認知症になってからも、なんとか続けさせてあげたかった。
もっとも、認知症が進んだ祖母とは意思の疎通が困難で、車椅子での散歩を喜んでいるかどうかは不明なのだが。
祖父は香菜が生まれる前に亡くなっていて、祖母は長年ひとりで暮らしてきた。しかし、認知症になってからはそうもいかず、現在は香菜の両親に引き取られて、介護ありきの生活になった。
香菜は五年ほど前に結婚したのをきっかけに実家を出た。その後も実家の近くに住んではいるものの、さすがに毎日祖母と散歩するというのは難しい。それでも、なるべく時間を作って実家まで出向き、祖母と荒川の河川敷を散歩するようにしている。
香菜の夫もそれにはまま協力的で、
「俺もばあっちゃん子だったからなあ」
と言ってくれている。
夫の祖母は早くに亡くなってしまって、恩返しや祖母孝行ができなかったそうだ。それもあって夫はこの件に関して協力的なのかもしれない。
車椅子を押しつつさらに遊歩道を進んでいると、白いものが跳ねるようにして足もとを横切った。
(え、ウサギ?)
ではなくてウサギ
それを目で追いつつ思う。
(そういや、あのときのウサギって、どうなったんだっけ……)
ここからもう少し河口側に進むと、首都高速六号の高架橋がかかっている。過去にそのあたりでウサギが大量発生した。確か愛知万博が開催された年だから二〇〇五年のことだ。
当時の香菜は中学一年生で、数人の友達と河川敷までウサギを見にいった。丸くてふわふわのウサギがかわいくて、みなで歓喜の悲鳴をあげた覚えがある。その後は荒川で一度もウサギを見ていないが、あのウサギたちはどうなっただろうか。
前方に東武スカイツリーラインの高架橋が見えてきた。その下を通り抜けて、なおも遊歩道を進んでいくと、じきにいつものところに着いた。河川敷にふたつ並んだグランドが目印で、足を止めた香菜は車椅子を川のほうに向けた。
祖母は自分の足で散歩していた頃、ここで一旦立ち止まって、しばらく川のほうを見つめていた。それをふまえて香菜もここで立ち止まって、川のほうに車椅子を向けるのだった。そうするようになってから気づいたのだが、普段は表情も目の焦点もうつろな祖母が、ここだと
香菜は車椅子に座っている祖母を観察した。しばらく経っても表情に変化はなく、前をじっと見つめているようで、なにも見ていない目をしていた。
今日は笑わないかと諦めかけたとき、祖母の口角がふっとあがった。
「あ、笑った……」
僅かな笑みであったものの、嬉しくてつい声がもれた。
そして、ふと香菜は小学校の入学式のことを思いだした。
真新しい制服を着ている香菜を見た祖母が、
「香菜ちゃんは小さくてかわいいねえ」
そんなことを言って、にこにこしたのだった。そのときも香菜は、祖母の笑顔を見て嬉しくなった。
祖母がこの場所で微笑む理由はわからない。でも、なにかを昔のことを思いだして、笑っているのではないかと、前々からそういう気はしている。
祖母は若い頃も荒川の近くに住んでいたのだが、生前の祖父ともしばしば河川敷を散歩していたそうだ。今でいうところのデートだったのかもしれない。まだ幼かった香菜の母を連れて河川敷に足を運ぶこともよくあったと聞いた。祖母にとっての荒川は家族の憩いの場という一面もあったみたいだ。
もしかしたらそういった昔の思い出が、認知症で曖昧になった祖母の頭の中に、ぽっと一瞬浮かんでいるのではないだろうか。その思い出が祖母を微笑ませるのではないだろうか。
もちろん、それは香菜の勝手な思いこみで、完全に的外れの可能性だってある。でも、あながち間違いではないような気もしている。ただ、そのあながち間違いではないような気も、勝手な思いこみでしかないのだけれど。
とにかく、微笑む理由がどうであれ、祖母が笑ってくれると香菜は嬉しくなる。この気持ちは、あのアザラシに通じるところがあるかもしれない。
香菜が小学生だった頃の話だが、多摩川にアザラシの子供が現れて、タマちゃんと名づけられて人気者になった。そのアザラシが多摩川から荒川に移動してきた。
現れた場所はここより少し上流のほうで、香菜もアザラシを見てみたくて、祖母にそこまで連れていってもらった。ところが、見物客はたくさん集まっていたものの、肝心のアザラシはなかなか現れてくれない。ようやく顔を見せてくれたときは「出てきた、出てきた」と歓喜した。
それと同様に、祖母が笑ったときも「笑った。笑った」と、どこかしら似たような気持ちになる。笑ってくれるのが貴重だからではなく、笑ってくれるのが単純に嬉しい。
そういえば、アザラシを見にいった帰り道に祖母が買ってくれたソフトクリームは、バニラ味だったかチョコレート味だったか。
ちゃんと覚えていないのが、なんとなくもったいない。
香菜は祖母の顔を改めて見た。さっき浮かべていた口もとの笑みはもう消えて、表情も目の焦点もうつろだった。また心がどこか遠くを彷徨っているみたいだ。
(いつもどうりに戻っちゃったなあ……)
残念に思っていると鼻がむずむずとしてきて、途端に二回続けてくしゃみが出た。洟を勢いよく啜りあげるとと、鼻の奥がつんと痛くなった。
今年は花粉の飛散量が多いと誰かが言っていた。花粉症の香菜はそれを聞いただけで、止まらないくしゃみや目のかゆみを想像してうんざりする。
発酵食品での腸活が花粉症に有効だと聞いた。試しにヨーグルトを毎日食べるようにしてみようか。
などとぼんやり考えていると、祖母の口角がふっとあがった。
(あ、また笑った……)
相変わらず僅かな笑みではあったものの、祖母の笑みを二回続けて見られるのは珍しい。
香菜は得した気分になった。
荒川の源流は関東山地の
想像することはできないけれど、長い旅の最後は、笑っていられたらといいと思う。
荒川をあなたと歩く 烏目浩輔 @WATERES
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