スラムは今日も空を見上げる

柏木 巧

スラムは今日も空を見上げる



「あっ」



 晴天を両断する輝きに、少女の目が好奇に染まる。

 違法増築が繰り返され積み木のように聳え立った建物と建物の合間から差す光。

 はるか天空から降り注ぐ光柱が、遠い雲の向こうに屹立していた。



「おい嬢ちゃん、お前いっつも立ち止まるよな。通りの真ん中だし危ないぜ?」



 それを見ていた八百屋の店主が、どこか小馬鹿にしたような視線を注ぐ。

 ただでさえ大きな図体に加え、腕に刻まれた十文字傷の威圧感も相まって、立ち寄り難い雰囲気の店だ。

 『熟した』と言えば聞こえのいい、腐りかけの蕃茄トマトを齧る店主へと、少女は振り返る。



「だって、神様があそこに来てるんだもん」


「神様、ねぇ」


「お母さん、言ってたもん。神様が、ごこーりん、してるんだって」



 痩せ細り死相が浮かんだ野良猫が、店頭の萵苣レタスに飛びついた。

 すかさず店主はまさかりを手に取り泥棒の頭蓋を叩き割る。

 勢い余って陳列棚ごと真っ二つ。

 裂け潰れた頭部から飛び散った脳漿が、少女の膝小僧に飛び散ったが、互いに気にする様子はない。



「あー、してるんだろうなぁ、ご降臨。そんな良いもんじゃないが」


「……良いことだもん」


「お?」



 顔を真赤に蒸気させ眉を吊り上げ、いかにもカンカンといった面相になって詰め寄っていく。

 そこに怖さは全く無いが、何も感じないわけでもない。

 店主はバツが悪そうに後ろ頭を掻きながら、肉塊と化した元猫を空き籠に入れて退場させた。



「神様は、戦ってくれてるんでしょ! 透の国を、倒してくれるって言ってたもん!」


「おいおい、落ち着いてくれよ。な? 猫鍋食べてくか?」


「いらない! それより謝ってよ!」


「猫鍋より謝罪って、変なやつだな……。そんなに怒ることか?」


「怒るでしょ! 神様は戦ってくれるんだから! 悪く言わないで!」



 烈火の怒りに、店主もタジタジだ。

 さらに不味いことに、大通りを往く住民たちの視線まで集まってくる。

 もはや戦況は圧倒的に不利であり、一刻も早い示談が必要となった。

 とはいえ、できることなど平謝りくらいなものだが。



「わーった、わかった! 悪かった! 神様はちゃんと今日も、ご降臨されて浄化してくださってるよ!」


「そーなの! もー! 変なこと言っちゃダメなんだからね? 神様に嫌われちゃったら、幸せになれないんだから!」


「ごめんって。嬢ちゃん、そんなに神様好きなのか……?」


「え? 当たり前でしょ! だーいすきだもん!」


「そりゃまたどうして」



 問われれば、そこまでの怒りはどこへやら。

 少女はすぐに喜色満面に早変わり、口角吊り上げ饒舌に語る。



「浄化してくれてるところはねー、都なんだよ! この彩の都! 写真見せてもらったんだ! すっごい場所なんだから!」


「へー。どうすごいのさ」


「建物がねー、きれーなの! きれーな四角で大きいんだ!」


「この辺だって建物でかいぜ? ほら、ここなんて六階建て」


「だいたい全部六階じゃん! 都のはもっと、もっともっともーっと大きいの! それにシュっとしててカッコいいんだから!」



 まるで宝物を自慢するかのように、少女の目は肥溜めの中でも輝いていた。

 衣服はボロボロで、肘のカサブタは膿んでいて、割と酷い悪臭が目立つ。

 それでも少女は『人間』だった。



「お母さん言ってたんだ! 都を襲う、悪いやつをぜーんぶやっつけたら、あたしたちが都に行けるんだよ!」


「はぁ?」


「あたしは都でね、美味しくておっっっきいお芋を四つに分けてね、お父さんとお母さんとキーちゃんと一緒に食べるの!」


「……」


「だからそれまで、お仕事がんばるんだ!」



 店主の顔から笑みが消える。

 その変化に、幼い少女は気付かない。



「あと何回で、神様は浄化してくれるかなー。どうかな?」


「……どうだろうな。まあでも、待つしか無いだろ」


「そうだよねぇ……。早く都に行けないかなぁ……」



 寂しそうにぼやく少女を見て、店主は立ち上がる。

 陳列棚の中から、それほど傷んでいない芋を二つ手に取ると、紐で縛って少女に手渡した。



「ほれ、持ってけ嬢ちゃん」


「え?」


「都の芋ほど旨くはないだろうが、俺の店のも悪かないぜ」


「でも……お金、持ってない」


「いいよ持ってけ。ほら、今日の俺は猫鍋だからな。お腹いっぱいになるし別にいいんだ」


「……いいの?」


「じゃあやめとくか? 欲しくないのか?」


「…………欲しい」



 か細い答えに店主は満足し、ニヤリと笑うと芋を押し付ける。

 少女はそれをすぐに後ろ手に回した。



「それはもうお前のもんだよ」


「……うん」


「ほら、もう神様見てる暇はないな。早く帰らねえと、芋取られるぞ。大人か、犬か、猫か、誰にかはわからねえけどな」


「……あ、ありがと!」



 昨今には珍しいセリフを残して、少女は大急ぎて逃げていった。

 やり取りを見ていたのだろうチンピラの一人が立ち上がろうとしたものだから、ガン飛ばして鉞を見せつけておく。

 命は惜しいのか、誤魔化すように座り直すにとどまったので、今日のところは見逃してもいいだろう。


 今にも転びそうな少女の後ろ姿を見送りながら店主は一人ぼやく。



「奪い取った血染めの都で、芋は食えねぇだろうなぁ」



 はるか空の彼方に浮かんでいるのだろう『神様』を想いながら、大きなため息をつく。

 見ればようやっと光柱がたち消えて、雲ひとつない晴天が戻ってきていた。



「くそ、嫌な天気だ」



 見られるのは趣味じゃない。

 とりあえず血抜きと臭み取りをするために、店主は肉塊片手に店の奥へと消えていった。




 聞こえるのは人の往来の音のみ。

 ただ今日を生きることばかりで将来の展望なんてとっくに消え失せた。

 何、何故、どうして、いつから、いつまで。

 知っている者は口を開かず死んでいき、もはや子供に知る術はない。


 虫一匹、鳥一匹も鳴かない世界で神が輝く。

 その光から逃げるように、その光に焦がれるように。

 スラムは今日も空を見上げる。




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スラムは今日も空を見上げる 柏木 巧 @takumikasiwagi

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