奪われた願いを求めて
ティレンたちは特に問題なく百二十九層まで下りてきた。ここにたどり着くまでに各階層で一度や二度程度は襲われたりもしたが、その全てを撃退している。
それによって階層の勢力図が変わったりしているのかもしれないが、ティレンには興味がない。
だが一方で、同行していたアリアレルムの方は思うところがあったらしく、それぞれの階層に住んでいる者たちの様子をそれなりに観察していた。
ティレンが何か興味のあるものでもあったかと聞くと、アリアレルムは少しだけ困ったような顔で言った。
「ここにいる人たちは世代的には地上を知らないんですよね? それでも、階層による格差や差別、力の有無による序列が出来ているんです。まるで地上みたい」
「へえ」
「ティレンさんたちのように最前線で生き生きと探索をしている人がいて、その一方で、最初から諦めている人も諦めていない人もいて。迷宮の中でも社会が出来ているんです。不思議ですよ」
「そういうものかね」
「はい」
ティレンにはよく分からない。最前線に合流し、最前線の探索に打ち込む。それが全てなのだ。他のことはどうでも良い。宿願だって、探索者にとっては探索の合間に過ごす余暇のようなものだ。そのはずなのに。
色々な奴がいる。少し前のティレンには、前に進む者と諦めた者という分け方しかなかった。
今でも最前線で生きることが最も強い行動の指針ではある。だが、何となく少しだけ。終の棲家を定めた先達へ寛容な気持ちになれたような、そんな不思議な心の状態になりつつあるのも確かだった。
***
百二十九層は、特にこれといった特徴のない階層だ。強いて言うならば湿地帯の形状をした階層で、蜥蜴頭のリザードマンが生息している。かつての探索者は、ヒルスリオンと同様に彼らとも交流を結べるかと期待し、程なく諦めた。考え方がお互いに理解出来なかったからだ。
結果として、リザードマンとは戦うことしか選べなかった。そのため、この階層の前線基地はリザードマンからの襲撃にも耐えられるよう、砦のような形状になっている。それぞれの穴と前線基地を繋ぐ経路には巡回があり、比較的安全である。
リザードマンと戦争状態の続く、特殊階層。これが百二十九層という場所だった。そのためか、前線基地の外に自分たちの縄張りを作るようなごろつきはおらず、比較的治安の良い階層だと言えた。リザードマンの襲撃にさえ悩まされなければ、百六十層に次ぐ楽園と言われていたかもしれない。
「というわけで、今回は前線基地を目指すのもいいかもしれない。こことヒルスリオンの百二十六層は違う意味で安全らしいから」
父親から借り受けた地図をぱらぱらとめくりながら、歩く。
街道から少しでも離れると危険、というのが先人の指摘だが、この辺りのモンスターでは、ティレンの相手にはならない。リザードマンたちはティレンというよりむしろネヴィリアに畏怖を感じているようで、視線は感じるものの敵意も襲ってくる気配もない。信仰でもしているのだろうか。
ティレンの提案に、アリアレルムが考え込む様子を見せる。前線基地に寄るたび、何かとトラブルを抱えがちなのはアリアレルムの方なのだ。慎重になるのも無理はない。
「そうですねえ……」
頬に手を当てて悩む美女は絵になる。まあ、行動の方針はアリアレルム次第としているティレンとしては出た結論に従うだけのことだ。
と、ティレンの視界の端に人影らしいものが映った。そちらに視線を送ると、足を引きずる探索者らしい姿が。
「ちょっと、そこの人!」
怪我をしているのか、どちらにしてもリザードマンにとっては格好の餌だ。危険極まりない。ティレンはそちらに駆け寄って、静かに押し留める。
女性の探索者だ。年齢はそれなりに若いように見える。顔色は悪く、押さえている脇腹は赤く染まっていた。
「大丈夫かい」
「ぅっ、ぁ……」
吐き出された息には、微かに死臭が漂う。袋から霊薬を取り出し、口に含ませる。ごくりと嚥下する動き。程なく彼女の体から緊張が取れた。痛みが治まってきたのだろう。
「名前は、言えるかい」
「セルファ。地上から来た」
無茶をする。地上から来た『第一世代』の探索者が、この辺りの階層に来るのはかなりの自殺行為だ。あるいはアリアレルムのように、転移罠にでも引っかかったか。
近くの木に背中を預けさせ、座らせる。ティレンが目線を合わせるために座ると、アリアレルムも隣に座った。ネヴィリアだけは空中で周囲に目を光らせてくれているから、不届きな誰かが来たらすぐに分かるだろう。
「水の……精霊石。奪われた……」
「宿願かい」
こくりと頷くセルファ。ぽつりぽつりと語る話を聞くと、どうやら干ばつによって全滅寸前の故郷を救うために、覚悟を決めて迷宮入りしたようだ。水の精霊石はそれほど希少な宝物ではなく、この階層ならば高確率で手に入る。そんな迷宮商人の誘いに乗って、ここまで転移してきたのだとか。
迷宮商人は悪い人物ではなかったが、手伝うと言って一緒についてきた護衛たちが彼女を裏切った。どうやら浅層のゴロツキの中には、地上近くで迷宮商人や探索者を騙すことを生業にしている者もいるらしい。
セルファをリザードマンの囮にしようとしたのか、手に入れた宿願を奪うことに愉悦を感じる下種なのかは分からない。どちらにしても、彼女が必死の思いで手に入れた水の精霊石は奪われた。
脇腹の傷も、どうやらリザードマンではなくゴロツキ共に刺されたものらしい。つくづく救えない。
「分かった。俺が取り返してきてやるよ」
「えっ」
「構わないかい、アリアレルムさん」
「もちろん!」
『二人の護衛はわらわに任せよ、婿殿。存分に力を振るうと良い』
「頼む」
セルファを襲ったゴロツキの名前を聞く。ドノヴァンという、槍使いの男。
宿願を奪うというのは、探索者にとっては一番のタブーだ。断じて許してはおけない。ドノヴァンには、落とし前をつけさせなければならない。
水の精霊石自体は、ティレンも持っている。おそらくこの階層で手に入るものとは比較にならない品質のものだが、今はセルファに渡すべきではないと考えている。
渡すにしても、売り捌かれて追えなくなったら渡せば良い。彼女が命を賭けて手に入れた価値こそが大切なのであって、同じ精霊石を渡せば代わりになるというものでもない……というのが探索者として共通の見解だ。
ティレンはまず、この階層の前線基地を目指すことにした。この階層の顔役であれば、それなりに情報を持っていることだろう。
***
ネヴィリアは視線を細めてセルファを見ていた。
刺されて随分と経っているのだろう、生命力が希薄だ。深層の霊薬を飲ませたからまだしばらくは保つと思うが、ここから動かすのは難しいだろう。
幸い、この辺りのモンスターはリザードマンだ。ドラゴンである彼女にしてみれば部下の部下の、そのまた奴隷くらいの存在である。こちらに近寄ることはおろか、視線を合わせることすら出来ないだろうと分析している。
危険なのは、人間たちだ。エルフであるアリアレルムを狙うような馬鹿がこの階層に住みついていることはないというが、通りがかる可能性はある。迷宮商人の護衛という小遣い稼ぎをしているゴロツキも実際にいたのだから。
『アリア』
「なに、ネヴィ」
『婿殿が戻ってくるまで、警戒を切ってはならぬぞ』
「……誰か来てるの?」
『さて、のう』
先程からずっと、奇妙な気配を感じるのだ。人間のようで、人間でないような。
敵意のような、観察のような、興味のような、蔑視のような。
色々な感情の交じった視線を感じてはいたが、ネヴィリアは自身の身に危険が迫っているとは微塵も考えてはいない。
危険なのはアリアレルムとセルファの二人だ。ティレンが戻ってきた時に悲しむことだけはないように。
『ま、なるようになるわえ』
さすがに何層も共に進めば、ティレン以外にも情は移るものだ。ネヴィリアは思ったよりもアリアレルムに仲間意識を持っていたことを自覚しつつも、二人を護るように自身の有り余る魔力を迸らせるのだった。
大迷宮の八代目 榮織タスク @Task-S
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