53話 内助の功。
「噂には聞いておりましたが──」
少女Aの粋な図らい、あるいは己自身が抱く好奇を満たす為、ブリッジ全方位の壁面が透過状態となっていた。
「──いやはや、奇景にして絶景ですな。グリンニス伯」
と、ウォルフガングは素直な感想を口にした。
宇宙空間から成層圏を抜け降下機動を続ける五万隻に及ぶ艦艇群の下方で、翼を持った数千匹の巨大な生物が飛び交っているのだ。
ゲオルク地表世界の大気密度と、全身を覆う微繊毛から生み出されるクーロン力が、神話的な生物の雄大な飛翔を可能としていた。
「そうですわね──ただ、以前に私が来た時とは、全く様子が異なるようですが──」
そう呟いたグリンニスは、不思議そうに首を
「ヴィーザルの森を一望できる高台から、谷を飛び立つドラゴンを拝めるか否かの運否天賦を愉しむ──かような観光地だったと記憶していますわ」
「ほう? 伯は当地に参られた事があったのですな」
「ええ、若かりし時代に──」
と、何喰わぬ顔で告げた少女に、ウォルフガングは片眉を上げて応える。
──遥かな昔、伯には地表世界を旅する
──その為に奇病を患う結果となったようだが、果たして単なる趣味嗜好であったのか、あるいは何か他の目論見が……。
常に相手の内奥を探るべく思索を巡らせるのは、ウォルフガングが才覚一つで代官にまで上り詰めた証しでもある。
他方のグリンニスも
そこへ──、
「トール」
グリンニスとウォルフガングの会話が途絶える頃合いを見計らっていた少女Aは、徐々に輪郭が明確となるヴィーザルの森から目を離し背後を振り返った。
だが、少女Aの向ける視線の先に立つ男は、ボウとした表情を浮かべたまま地表を眺め続けている。
「──おい」
彼女の放った剣呑な声音に、ようやくトールの意識がブリッジへ舞い戻った。
「おっと、すみません。何だか妙に懐かしくてですね。けど、何だって、あんな所にあれが在るんでしょうね?」
「うむ、知らん」
と、少女Aは冷たく言い放った。
時制に鈍感な少女シリーズにとっての重要事は、過去や未来ではなく常に現在である。
「で、羽根付きトカゲ共はどうする?」
翼竜、ドラゴン、ワイヴァーン──に対し、少女Aは些か情緒に欠けた呼称を使った。
「今のところ交戦意思は示していないが、潜在的脅威とはなるだろう」
少女艦隊──いわゆるワイアード艦隊に与えられた従来の任務は、ハビダブルゾーンへのポータル設営だけではない。
サピエンスの系譜に属さない異文明の徹底的な破壊である。
故にこそ、少女艦隊は十分な対地・対空攻撃能力を
「二百四十秒以内に排除が可能だ。その後、森を焼き払い更地とするのが最上策となる」
これから先の未来、情動の成長がさらに促進されたなら、少女Aは献策の結びで可愛らしく片方の瞳を閉じるのかもしれない。
だが、今はまだその時ではなかった。
「そうしておけば、秘蹟とやらへ至る交通の便も上がり、引いては監視網や防衛陣の構築も容易となるだろう」
「なるほど──」
広大な森林地帯を焦土と化し谷の翼竜達も絶滅させたなら、観光地としての価値を失ったヴィーザルは誰も訪れない不毛の僻地となる。
つまり、ゲオルク地表世界で暮らす古典人類にとっては確かに悲劇だが、オビタルの安全保障上は望ましい状態と言えた。
星系間の運輸交通を支えるポータルを揺るがしかねない秘蹟──という話が事実なのであれば、矮小なホモ・サピエンスなど遠方へ追い払い厳戒態勢を敷くべき土地なのだ。
──だけど、これまでそうして来なかった……。
プロイス領邦を治める方伯夫人クラウディアの言葉が、トールの脳裏に蘇った。
──"ひとつはクルノフ領邦のゲオルクに眠るが、状態を
世界の深淵に触れた女が断ずるだけの防備が、ヴィーザルにはあるはずなのだ。
──まあ、ドラゴンは強そうだし数も多い。それに森だって歩けば迷いそうではある。だけど……。
奴隷級を従えた天秤衆に対して、とても万全な備えとは言い難いとトールは判断した。
──となると、やっぱりあそこにも仕掛けがあるのかな?
ヴィーザルの森が供する異景は翼竜達の棲む渓谷だけではない。
森の奥深くには造成地が在り、人工的な複数の建築物が鎮座しているのだ。
何れも無機質で低層階な造形となっており、オビタルの好む建築様式でないのは明らかだが、最前からトール・ベルニクの郷愁を誘っていたのも事実である。
──あれって、まるで……。
「おや?」
建築物の屋上に違和感を抱いたトールは、眼前の照射モニタに映像を拡大する。
「──え?」「ううむ?」
気付いたグリンニスとウォルフガングの二人は、何とも言えない表情を浮かべた。
まさしく奇景だったからだろう。
こちらへ向かって来る周囲より一回り大きな翼竜の背には、ホモ・サピエンスの中年と
凡そ戦士らしからぬ体格なのだが、その手には鞭を握っている。
「何かを言ってますわね……」
呪文のように口を動かしているが音声は拾っていない。
なお、音声が届いたとしても、トールと少女シリーズにしか分からなかっただろう。
トールは男の口元を注意深く観察した後、少しだけ悔しそうな表情を浮かべた。
──だから、ボクは後悔するのか……。
つまりはレオ・セントロマならば、それを知っていたはずなのだ。
◇
フェリクスポータルを抜け太陽系に入ったウルド一行は、地球まで僅かな行程を残すのみとなったが、老将パトリック・ハイデマンは些かも警戒心を解いていない。
何より、先程の一幕が、彼に懸念を抱かせていたのだ。
──いったい、何に使われるおつもりなのか。
旗艦マウォルスⅣ世のブリッジへ唐突に来臨した女帝ウルドは、パトリックに対して一振りの剣を要求したのである。
──レイラ嬢が陛下の側に在る限り、滅多な事は起きぬとは思うが……。
──だが、しかし──、
パトリックの不安に現実味を与えていたのは、別の事情もあった。
──例の御方も乗艦されている点が、やはり気掛かりと言えよう。
◇
「艦上ゆえ、百般は忘れられよ」
あらゆる作法を顧みず、女帝ウルドはレイラのみを引き連れて、母后シャーロットの居室へ文字通り押し入った。
「あら、リヴィ」
慌てふためく召使い達とは異なり、シャーロットは落ち着き払っていた。
「ベルニクの社交界なら──」
「無用」
常に浮世を謳歌する女の言葉を遮り、ウルドは底知れぬ相手の腹を探ろうと瞳を細めた。
「本来は、母上を里帰りに伴うつもりなど無かった」
母とはいえ出生にまつわる汚れた過去を思い起こさせる女なのだ。
ベルニクならば顔も見ずに済むと喜ばしく感じていた程である。
だが、勝手にオリヴィア宮へ転がり込んで来た当時と同じく、いつの間にか里帰り一行にも紛れ込んでいた。
「──時が過ぎてみれば、全ては天の配剤だったのかもしれぬ」
そう言いながらウルドは、パトリックから預かった剣を抜いた。
周囲の召使い達からは、空気の抜ける様な短い悲鳴が漏れる。
「口にするのも不快千万なれど、余の父が秘す名を告げよ」
「あら、お父様はアーロン──」
ぎりと奥歯を噛み締め、女帝ウルドは剣先を母の喉元へ向けた。
「もはや、惚ける事は許さぬと心得られよ」
不実の子として産まれた娘を女帝に祭り上げ、やがては自身が抱く野望の為に殺そうとした男である。
「真名を告げるか──あるいは死か」
全ては、この瞬間の為に織られたタペストリーだったのだ。
「余の夫が所望しておる」
巨乳戦記 〜The saga of ΛΛ〜 砂嶋真三 @tetsu_mousou
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