52話 到来。

 遥かな昔、オビタルの都合で文字通り銀河に「ばら撒かれた」古典人類だったが、自らの居住する惑星以外を知らずに生涯を終える者が大半である。


 彼等には航空・航宙の自由が与えられなかった上、重力圏の頸木くびきに自ら好んで繋がれる傾向を種としてそなえてもいたのだ。


 故に古典人類の暮らしぶりは、己が産まれた惑星の状況に大きく依存する。


「おい、チビ助!」


 観光客相手の粗悪な土産物が並ぶ店内に入った大男は、陳列棚の整理をしている少年に気付くと呆れた声を上げた。


「どこぞの火事場泥棒かと思って来てみりゃ──」


 男は安堵した様子を見せると、伸縮式の警棒で自身の肩を叩いた。


「今日のヴィーザルは、どこもかしこも休業なんだぜ。空気を読んだのか、谷の化け物まで不気味に静かにしてやがる。生憎と警備番の俺は帰れねぇが──ま、チビ助は早く帰んな」


 奇妙な建造物を囲む漆黒の森と化け物の巣穴となっている渓谷は、特殊な古典文学を愛する好事家達には人気の観光名所となっていた。


 莫大な資本投下を受けて開発されたインフィニティ・モルディブの地表面とは異なり、ゲオルク地表面はヴィーザルという僅かな観光資源を頼る脆弱な経済構造である。


 故に等しく彼等は貧しく、未来に明るい見通しも無かった。


「店で待ってたところで、誰も降りちゃ来ねぇんだ」


 ゲオルク地表管轄院より軌道エレベータの閉鎖が発表されたのは朝方の事だった。


 防衛部隊こそ捨て石にするつもりだったが、他方で民間のオビタルを軌道都市へ退避させる為、クルノフ政府が尽力した点については素直に敬意を表すべきだろう。


 ともあれ、こうして世界を優雅に観光出来る貴種達は地上を去った。


「そうですか。でも、僕には仕事が有りますんで」

「ん──いや、だがな──」


 男は少年が何も知らないのだと解釈した。


「上じゃカミシロどもが派手にドンパチしてるらしい」


 カミシロ──とは、古典人類同士でオビタルを指す際に使う蔑称である。


「勿論、それだけじゃねぇ。ヴォルモアとかいうヤバい連中の目的地が、傍迷惑な事にヴィーザルの森らしいんだよ」


 迷いの森──などと子供向けの絵巻めいた呼び方をされる事もあるが、地元の人々はヴィーザルの森と呼んできた。


「奴らは谷の化け物とドッコイな化け物まで連れてるらしい。だから早く──」

「モリスさん」


 途中まで黙って聞いていた少年は、大人びた口調で大男の言葉を遮った。


「何度言えば分かるんですか? あれは化け物じゃありません」

「ああっと──いや、悪いな」


 少年に注意された大男は、素直に頭を下げた。


 大男──モリスは、インフィニティ・モルディブ出身者であり、ヴィーザルの因習に未だ馴染めていなかったのだ。


 彼は、生まれ故郷のビーチを襲った甚大災害に伴う特例措置として、他惑星への移住が認められた稀な古典人類だったのである。


「肝に銘じておく」


 物覚えの悪いモリスは、これまでも何度か酒席で失敗していた。


 素直な物言いも相まって老人たちの機嫌を損ねて来たのだ。今日の様な厄日に警備番とされたのも、その辺りに理由があったのだろう。


「ええと」


 幾つかの失態を思い起こし、モリスは頭を掻いた。


「──兎も角、ドラゴンってのは神聖な生き物──なんだよな」


 これが、ヴィーザルの因習である。


 ◇


 Ωオメガフラッグが煌めく多数の輸送機から降下したベルニク揚陸部隊の中に、白いパワードスーツが在った事は瞬く前にクルノフ守備兵の間へ広まった。


「マジかよ!?」

「悪魔──いや、今回に限っては女神だ」

「か、勝ったぞっ!」

「やってやる。やってやるぜ」


 ベルニクからの援軍だけでなく、淑女にして伝説の狂戦士が舞い降りたという事実は、為政者から捨て石にされたとすさんでいた守備兵達を大いに鼓舞した。


 とはいえ、目前の危機が即座に霧散する訳ではない。


「ふんごおおおおおおっ!!!」


 激しい破砕音と共に粉塵の舞い上がった路面が崩壊し、その中から文字通り転がり出てきた化け物──忠実で思慮深い奴隷級が甲高い声音で咆哮した。


 ハムスターの踊る回し車にも似た巨大な装甲車輪を使い、常識外れの膂力を頼りに深部地下道から突貫せしめたのである。


 それも一体や二体ではない。


「宇宙港の時より、か、数が増えてやがる……」


 ゲオルク宇宙港を恐怖に陥れた奴隷級の数は映像記録によるならば三体である。


 ところが、守備兵達の眼前では、陥没破砕された路面から次々と化け物達が姿を現し、奇怪な咆哮を上げて彼等の士気を低下させていく。


 ──ゲオルクでも密かに飼ってやがったのか?


 と、小隊長ミゲルは唇を噛んだ。


 白き悪魔率いるベルニク登場により昂っていた部下達の戦意が、瞬く間に冷えていくのを肌で感じ取ったのである。


 彼等は奴隷級の数に恐れを為したのだ。


 ──奴ら、馬鹿みたいに凶暴な上、ひと噛みされるだけで死んじまうからな……。


 強化犬歯から噴霧される神経毒は、確実に相手を呼吸困難に陥れる。


 尚且つ、奴隷級に殺された者は異端者と見做され、誰からも弔われないという慣習──否、オビタルの因習こそが兵士達の足を竦ませている要因だろう。


 だが、事態は切迫し、何よりこの時の小隊長ミゲルには、


 ──あゝ──我が愛しのジャンヌ・バルバストルっ!!

 ──いかほど、幾度、幾晩、俺が夢想した事かッ!!!


 戦士として一世一代のときが訪れていたのである。


 故に、


「ほぎゃあああ」「ひぐひぐ」「ぶもおお」


 と、意味不明な咆哮を放ちながら迫る奴隷級に対し、小隊長ミゲルは雄々しくも己の剣先を向けた。


「第二小隊──いやさ、糞野郎共ぁっ!!」


 狂え。


 圧倒的な暴力に抗すべく、狂え。


 バルバストルの如く、ベルニクの如く、狂わねば活路は開けないのだ。


「おっねやあああぁあぁっ!」


 ◇


「──!?」

「おわっ」


 窓を揺らす程の咆哮が響くと同時に地面が激しく振動した為、警備番モリスと店番の少年は思わずたたらを踏んだ。


「な、何だ、地震か?」


 トスカナやイーゼンブルクの様な穀倉地帯ならば事情も異なるが、基本的にオビタルは地殻変動の監視などしないし興味も無かった。


 また、ゲオルクの貧しい古典人類も、監視網を敷設するだけの技術力と経済力を失っている。


「違う──と、思います」


 陳列棚から落ちた商品を手早く棚に戻すと、少年は窓の側へと走り寄った。


「おい、まだ危ない──」


 超硬ガラスが使われているはずもない貧相な窓は、余震の大きさによっては割れるかもしれないとモリスは考えたのである。


 十数年前、自然現象ではなく人的要因だったのだが、津波に巻き込まれた経験のある彼は災害の恐ろしさを身に沁みて理解していた。


「いいえ、地震ではないようです。──ほら!」


 喜色を浮かべた少年が、窓外を指差した。


「ん──げっ、ば、化け──」


 普段は観光客で賑わう土産物屋の立ち並ぶ広場に、巨大な翼を背負った爬虫類型の生物が鎮座していたのだ。


 重力圏内でもその巨躯を支えるべく胴体部から垂直に伸びた筋肉質な二つの脚が、広場の石畳にめり込んでいる。


「谷から出て来やがったのかっ!?」


 ヴィーザルの森深くに位置する渓谷で暮らすその生物は、極稀に空舞う姿を披露する事で観光客を愉しませ、結果として森周縁部に暮らす人々の生活を支えてきた。


「出てきたどころじゃありません」


 広場以外にも翼竜達の姿が在る上、さらに空ではそれに倍する数が飛び交っている。


「何が起きてるんだ。こいつは一体──」

「あっ! モリスさん、あれを!!」


 遺伝工学の生み出した忌み子に過ぎぬであろう生物の聖性を信じる少年は、些かの警戒心も抱かず窓を開け放つと外へ身を乗り出した。


「お次は何だよ」


 他方のモリスは及び腰だったが、辛うじて好奇心が恐怖に打ち勝った。


「空中を飛び回っているのはドラゴンだけじゃないようです。う〜ん、でも、あれって何でしょうね? 飛行機──なはずもないですし……」


 翼竜の群れなど意に介さず降下を続ける多数の飛翔体を見たモリスは、全身に生じた震えを抑える事が出来なかった。


 無論、武者震いのたぐいではない。


「い、いや──おお──お、俺は、みみ見た事がある──ぜ──あれは──」


 命からがら駆け込んだ避難所で呆然と眺めたニュース映像が、モリスの脳裏にフラッシュバックした。


「──少女艦隊だ」


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★モリスと甚大災害については、


[乱] 47話 帰還

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330660175533137

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