51話 行くぜ!

 大逆人の妻ヴィオランテと面会し、婦人の忠誠をしかと確かめたとされるトール・ベルニクは、先に発表した「苛烈な沙汰」の取り下げを公表した。


 息子アントニオが成人するまでの間、ヴィオランテを領主として仰ぐ事を安堵したのである。


 無論、幾つかの権益を期限付きとはいえベルニクに譲渡しなければならないし、トールの口利きでなぜかフォルツ領邦までお零れに預かる差配となっていた。


 中でもヴィオランテを懊悩おうのうさせたのは、ヴォルヴァ幼年学校にてていの良い人質となるアントニオの処遇だろう。


 だが、全ての権利を剥奪される沙汰よりは、遥かにとも言えた。


 こうして、サヴォイア騒動に急ぎ終止符を打ったトールは、クルノフの秘蹟を守るべく動き出したのである。

 

「地上へ直接降りるですと?」


 少女艦隊旗艦ブリッジには、フォルツ領邦代官ウォルフガングを迎え入れている。


 息子アントニオを人質とする限り、サヴォイアは捨て置いて問題なかろうという判断で、トール率いるベルニク艦隊と、ウォルフガング率いる手勢はそのままクルノフ領邦へと入っていた。


「色々あって出遅れましたけど、これで先回りが出来るんじゃないかと」

「ですが、地上に降りてしまえば、慣性制御支援が存分に──」


 基本的にオビタルが建造する大型艦船は、軌道都市から軌道都市への航行を前提としており、着艦から発艦に至るまで宇宙港の慣性制御システムとの連携が不可欠である。


 強力な重力圏内での運用には適さないのだ。


「そういえば、ウォルフガングさんにはまだ話してませんでしたね」


 少女艦隊がどこに眠っていたのかを、である。


「インフィニティ・モルディブの海上から飛び立つ映像をお見せしましょう。まあ、兎も角、カッコイイんですよ!」


 と、トールが語った時に少女Aの口端が少し緩んだのを、グリンニス・カドガンは見逃なさなかった。


 ◇


 ロスチスラフ葬送を汚した大逆、サヴォイア領邦へ侵攻するベルニク艦隊、女帝ウルド懐妊と彼女の里帰り、そしてトスカナ領邦で爆発的感染拡大の様相を呈しつつある奇病──。


 なお、これだけではない。


 エカテリーナ・ロマノフへの権力移譲を進めるオソロセア領邦、領主が使用人を妻として娶ろうとしているノルドマン領邦、他方の復活派勢力では、フィオーレ家に叛意有りとの噂が流れるアラゴン領邦等々──、小事から大事に至るまで扱うべき話題に各メディアは事欠かなかった。


 ──が、クルノフの邦都ゲオルクでは些か事情が異なっている。


<< 死傷者数が二百五十六名を越えたゲオルク宇宙港から── >>

<< 封鎖線を抜けたヴォルモア一行は深部地下道へ── >>

<< 軌道エレベーターを目指していると予想されており── >>

<< 先頃、領邦軍参謀本部より緊急の発表が── >>


 元天秤衆総代ガブリエル・ギー並びに天秤衆残党、そして忠実で思慮深い奴隷級──ようは化け物達がクルノフを恐怖に陥れていたからだ。


 公式には天秤衆の名は使われず、一行の身元がグリフィス領邦ヴォルモア大聖堂付きとされていた為に「ヴォルモア一行」と呼称されていたが──、


「ちっ、死に損ないの糞天秤どもめ! 俺達のクルノフくんだりまで、いったい何しに来たんだ!?」


 軌道エレベーター死守を命ぜられている兵士には関係の無い話だろう。


 秘蹟を目指すガブリエル・ギーの足止めをトールから厳命されたロマン男爵は、領邦軍と治安機構を動かし地表世界への侵入を食い止めようとしたのだ。


「小隊長殿、言葉遣いには気をつけて下さい。今だって、そこいらに耳が残ってる可能性はあります」


 聖都アヴィニョンにて大敗を喫した後、教皇アレクサンデルによる遷都と復活派勢力宰相アダム・フォルツが強行した教理局解体に伴い、天秤衆はその権勢を大いに弱体化させていた。


 とはいえ、天秤に対する恐怖心は、現在も市井の人々から拭い去られていない。


「はん! 告げ口より、化け物にタマを食い千切られる心配をすべきだな」


 ゲオルク宇宙港から届いた悲惨な映像の数々は、忠実で思慮深い奴隷級の暴性を伝えるのに十分だった。


「──そ、そうですね。我々だけで守りきれる気もしませんし……」


 軌道エレベータ防衛という貧乏クジを引かされたのは、ベルニク・ドクトリンの影響を受け新設されて間もないクルノフ領邦軍の揚陸部隊だった。


 彼等には実戦経験が無く、尚且つ人員も少ない。


 他方、軌道都市上における戦闘行動ならば治安機構にまだしも一日の長が有るのだが、ゲオルク宇宙港で甚大な被害を出したが故に及び腰となっているのだ。


 天秤衆が地表世界に行きたいのならば、勝手に行かせれば良い──と言う治安機構の本音が透けて見えた。

 

 領主の指示に表立って逆らう事は無かったが、最低限の犠牲で済ませたい思惑が軍と治安機構には在ったのである。


 インフィニティ・モルディブの生み出す利益が領邦経済を支えるクルノフにおいて、邦都ゲオルクの地表世界は不毛な大地が拡がっているに過ぎない。


 トスカナやイーゼンブルクと異なり、麦穂が揺れる黄金の海原は存在しないのだ。


 そして何より利害とは別に、法衣ほうえ殺しの禁忌を侵す覚悟が彼等には無かった──。


「ベルニクなら……と言ったところで無意味か」


 と、愚痴をこぼす兵卒の脳裏に浮かんでいるのは、聖都アヴィニョンにて、聖職者、天秤、奴隷級──何れと相対あいたいしても、恐れ知らずに剣を振るい血煙を上げた男と彼が率いた地獄の軍勢である。


「サヴォイアからこちらに向かっている話はありましたけど──、その後は何の発表もありませんね」

「報道管制かもしれんな」

「いやぁ、化け物騒ぎに夢中なだけじゃないですか?」


 目下、クルノフのメディアを賑わせているのはヴォルモア一行の話題である。


 ガブリエル・ギーが旧帝都エゼキエルからグリフィスへ落ち延びて、ヴォルモア大聖堂を祀る盲目の司祭となるまでを物語仕立てにして伝えるメディアもあった。


 その結果、没落からの復活奇譚を好む一部層を中心に、判官贔屓的な世論を形成する皮肉をも生み出している。


「ま、天秤──、連中の動きだって見えてねぇけど……」


 犠牲者を山と築き宇宙港を出たガブリエル・ギー達は、トラッキングシステムを避けながら軌道都市建設当初に敷設された最古の深部下水道へ潜っていたのである。


 治安機構が積極的追跡を取り止めた為、彼等の現在位置を知る者はいない。


「ったく。治安機構の盆暗どもめ。ちっとは本気で──ん?」


<< 第二小隊──いや、ミゲル。与太話は終わりだ >>


 閉域EPR通信で小隊長の鼓膜に響いた胴間声は、教育官も兼ねる部隊長のものだった。


<< 東ゲート近傍地下より熱源反応確認。秒速十メートルでβポイントへ接近中 >>


 いかなる手段と機器が用いられているのかは不明だが、深部下水道から軌道エレーベータ建屋方面へ向かいが突き進んでいるのだ。


 立ちはだかる全ての地下構造物を破壊しながらである。


「来やがった、化け物が」


 小隊長は唇を噛んだ。


 ──これが、ベルニクならば……。


 新設された揚陸部隊に自ら志願した男は、唯の生贄とされる今次作戦には内心で忸怩たる想いがあった。


 ──法衣の色が何であれ、殴られたなら全力で殴り返したはずだ。


 己の庭を荒らされておきながら、尚も法衣ほうえに遠慮する上層部への怒りは、ともするとヴォルモア一行に対するものより大きかったかもしれない。


 ──支援も無く俺達だけで……糞糞糞糞がッ!


 だが、その時、


「これより第二小隊は──」


 最期の抜刀指示を出す直前、小隊長はふと上空を見上げた。


「──!!」


 その光景に思考が追いつかず、咄嗟には言葉が出てこない。


 しかして真の驚愕とは、発せずとも伝搬するのだろう。


 気が付けば小隊全員が空を見上げ──そして、腹の底から雄叫びを上げていたのだ。


「ベルニクッ!!!」


 ──と。


 ◇


「そんな訳でボク等は地上へ直行しますから、そちらはお任せしますね。ジャンヌ中将」


 照射モニタに映る領主の些か軽々しい見送りに対し、ジャンヌ・バルバストルは優雅可憐にして不敵な微笑みで応えた。


「ええ。お任せ頂いたからには──」


 そう言って彼女は、左腕を愛おしそうに撫でる。


「──丁重にヴァルハラへお送りするだけですわ、フフ」

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