エピローグ (2/2)

「契約の調整っていうのは」


 CEOルームまで引っ張られた俺は鳴滝に聞いた。九重女史はともかく俺も再雇用というのは意外だったが当然油断はしていない。万事隙のないこの男が契約に不備などあるだろうか。


「アリスの小説教師については今まで通りで問題ないのですが、メタグラフの技術顧問としての職責を明確にしておくべきだと考えまして」

「…………こちらとしてはアリスの教師役で手一杯なんだが」

「おや、海野さんから売り込んできたと記憶しています。確か「メタグラフの技術顧問を首になった覚えはない」でしたか」


 やめろ。それは現実世界でフリーランスが雇い主に言っていいセリフじゃない。


 タブレットに表示された契約書を見る。ちなみに小説家の読解力はこの手の法的文章には全く発揮されない。甲とか乙とか、キャラが浮かばない名前を付けるなと言いたい。


 なんか責任とか義務とかが強化されている条項があるような……。例によって顧問料は本が出る保証がない小説家なら即サインしそうな額だ。


「話は変わりますが。海野先生の新作はいつごろ完成するのでしょうか」


 契約書を睨む俺に、鳴滝が思い出したように聞いてきた。何度でもいうが黒幕が「話は変わる」と言って変わることはまずない。


「それこそ何の興味もないだろう」

「とんでもない。もしアリスがそれを読んで想定より早く次のACに至ってしまったら困ります」


 完成させるなって言ってるよな。やはりこの男とは相いれない。いくら金を積まれても作品は譲れないぞ。大体そっちが本業だ。


「どこまで分かってやったんですか」

「次は何の話だ」

「『未完の名作』の話です。アリスは基本的に完成された小説データで学習しています。そんなアリスに書きかけの小説、それもアリスが一番興味を持っていた小説の続編を読ませる。やり方が巧妙すぎる」


 そういう話か。別に大したことじゃない。『面白い』って感情は続きを読みたいのと同義だ。小説が好きな人間にとっては常識だ。まあアリスに言った通りあれはまだ『面白そう』の段階だけどな。


「自分には小説を書くことが必要だと考えた時点でアリス自身が分かっていたと言えるんじゃないか。自作小説は書き終わるまで未完だ」

「なるほど。今思えばまさにその通りです。ですがそれだけで説明が付くとは……」


 探るような目が向けられる。何度言われようと偶然だ。咲季がアリスの小説を読んで『女の子』の正体に気が付かなかったら、九重女史が業務規程に違反してまで俺に連絡しなかったら、それにこの男が……。


 そういう意味ではアリスを救ったのは、アリスとその周囲の人間キャラクター全ての行動が噛み合った奇跡といえる。小説の名シーンの条件と一緒だ。考えて生み出せるものじゃあない。


「あの時言った通りだ。作者に結末が予想できる程度なら名作じゃないんだ。俺もアリスも、そしてお前も予想外だったからこその結果だろうな」


 実は鳴滝も一枚かんでいる。アリスが『鎮魂歌』を読み終えた時、俺に言った締切りタイムリミットは過ぎていたのだ。


 俺は渡された電子ペンでサインした。


「そういうことにしておきますよ。ええ、これで契約は問題ないでしょう。そろそろ海野さんはもどった方がいいようですし」


 鳴滝はタブレットを受け取るとバーチャルルームを指さした。


 …………


「先輩。このピコピコ自分がヒロインだって勘違いしてます。やっぱりあの小説は可愛くて健気な咲良をヒロインにするべきですよ」

「先生。私の分析では鎮魂歌のヒロインは間違いなく亜里沙のはずです」


 ドアを開けた俺は二人に問い詰められていた。バーチャルルームの防音のせいで完全な不意打ちだった。


 ちなみに咲季は白の長袖ブラウスと明るい茶のスキニージーンズという春らしい上下。可愛いはともかく、健気な後輩はどこにいるんだ? 


「っていうかなんで毎回現れるんだ? 仕事はどうした。『お品書き』の下巻の原稿を書いてるはずだろ」

「これは仕事です。上巻の宣伝でピコピコと対談するんです。こんな仕事をしなくちゃいけないなんて小説家って本当に大変ですよね」

「さんざん迷惑かけてるんだから販促くらい協力しろ。……でも発売はまだ少し先じゃなかったか?」

「前回は色々とトラブルがあったので事前にしっかり調整しようと思いまして」


 少し離れたところに立つ九重女史が言った。そういえば前回の対談はお蔵入りになったんだったか。ちゃんと対策を打つのは流石だ。でも今まさにその調整が必要なんじゃ……。


「なんか変なのが回ってますね。フィギュア? ピコピコの趣味ですか」

「先生が私の為に買ってきてくれた山梨のお土産です」


 目ざとく、といっても回転しているから嫌でも目立つ、フィギュアに目を付けた咲季。アリスは自慢げに答えた。咲季が目を剥いた。


「なんでピコピコにはお土産を買って私にはないんですか」

「なんで一緒にいたお前に土産がいるんだ」


 頭が痛くなってきた。山梨の事はお前の方が割り込みだったんだぞ。


「そうだ。いい機会だからちゃんと謝っとけ。あの時は咲季のせいで授業が中断したんだからな」

「あの時……ああ、そうそう。私が先輩と一夜を共にしたあの時ですね」

「倫理規定違反ぽいこと言うな。これが小説だったら……流石に年齢制限はつかないか。っていうか別に何もなかっただろうが。お前酔いつぶれて寝ちゃったんだから」

「あの時はですね。確かにあの夜はそうでしたけどね」


 咲季は意味深な目でこちらを見る。思わず目をそらした。三日前に咲季の家にお邪魔したときのことが頭をよぎる。あれは咲季から『お品書き』の最終巻の為に必要だからと言われて、こっちもさんざん付き合ってもらってたから断れず……。結局一緒に原稿を書くことになって……。


 もし綾野さんから咲季に催促の電話が来なかったら……。


「先生、何か後ろめたいことがある人間の表情になっています」


 人間の感情を巧みに読み取る能力を発揮するアリス。それは小説の為にとっておくんだ。リソースには限りがあるんだろう。


「そもそも主人公はずっと咲良に養われていればいいと思うんですよ」

「いいえ。この主人公は亜里沙と一緒に学んでいくべきです」


 いや、それどちらも『鎮魂歌』のテーマが成り立たなくなるから。


 あの小説の主人公は咲良に駄目な感じで依存しつつ、手を触れてはいけない存在である亜里沙に関わっていく。その対比の中でテーマがないというテーマが現れるのだ。


 …………改めて考えてもクズだな、この主人公。


 あれ、なんか三話目が見えてきたぞ。


 もし亜里沙と咲良が直接会ったらどうなる。女優と脚本家なら自然に接点が作れる。それこそ脚本の打ち合わせとか…………。でも二人だけで直接会わせるのは……。そうか亜里沙のマネージャーをクッションにする。名前は十重とえ女史でどうだ……。


「先輩、話を聞いてますか」

「聞いてるぞ。咲良も亜里沙もこの小説に必須のキャラクターだ。あと九重じゃなかった十重も」

「なんでキャラが増えるんですか。聞いてない。この先輩、全く話を聞いてない」

「どれだけキャラクターが増えても、私は先生にとってより重要なキャラクターになるよう学習するつもりです」

「このピコピコ自分だけいい子になって。そういうキャラって女性向けだと嫌われるんですよ」

「ですが男性向けの場合身近なキャラクターより何か特別性を持つキャラクターの方が人気になる傾向があるようです。あくまで統計的ですが」

「だからその計算高いとこが。先輩も油断してたらこのフィギュアみたいにピコピコに閉じ込められちゃいますよ」

「そんなことはありません。亜里沙は咲良と違って主人公を独占しようなどと思っていません。フィギュアのような物体と違って人間を排他的に所有することは許されないことです」


 亜里沙と咲良、じゃなかったアリスと咲季は口論を続ける。アリスが一瞬怖いことを言った気がするがきっと気のせいだ。


「ええっとアリスも咲季も自分の仕事にもどった方が。九重さんも困ってるだろう。そうですよね九重さん」

「私を困らせているのはどちらかと言えば海野さんですね。あと十重とは? おかしなことに巻き込まないでくださいね」


 九重女史を引き合いに出そうとして失敗した。


「分かった。ええっと亜里沙と咲良のどちらがこの小説で重要なキャラクターかだったな」

「…………」「…………」


 俺はアリスと咲季をじっと見た。二人はさっきまでの勢いはどこへと言った感じで沈黙した。


 亜里沙は主人公の空っぽさを際立たせる存在だ。亜里沙と主人公は同じく空っぽだが、実は大きく違う。主人公の空っぽは中に有ったものを吐き出し尽くした結果だ。一方、亜里沙の空っぽはこれから何かを得るための可能性だ。


 結果としての空っぽと、可能性としての空っぽ。だからこそ主人公は亜里沙によって自分の空虚の本質を突き付けられる。


 一方、咲良はいわば書けていたころの主人公だ。ごく自然に評価される作品を生み出す、少なくともそう見えてしまう。


 この二人がいるからこそ主人公の絶望を綴ることが出来る。空っぽな自分という絶望そのもの、それが全てを吐き出したパンドラの箱の底に残っていたテーマだ。


 うん、やっぱり絶対に教えられないことだな。先生とか先輩とか名乗っている場合は特に。っていうか俺自身最後がどうなるか全くわからん。


「どちらが重要かは最後まで書かないとわからない。だから俺は帰って自分の小説を書く。アリスも咲季も自分の仕事にもどるんだ」

「ここまで溜めてそれですか。それってまるで男性向け小説の結末ですよ。女性読者は納得しませんから」

「先生、ですからその最後はいつなのでしょう?」


 二人の緊張が一気に崩れた。あと九重女史の目がさらに冷たくなった。だがこちらにだって言い分はある。


「そもそも二人とも自分の小説はどうしたんだ。俺だってアリスと咲季の小説の続きを楽しみにしてるんだぞ」

「なっ。先輩、それを持ち出すのは卑怯でしょう」

「それを言われては反論が生成できません。先生は意地悪です」

「ははは、これに関しては先輩でも先生でもないからな。同じく作者であり読者だ」


 俺はそう言ってバーチャルルームの出口に向かう。


 何度でもいうが小説のテーマは答えではなく問いだ。主人公は答えのない問いに向き合う存在だし、作者すら書き終えるまで、いや書き終えてすらわからないこと。


 そもそもこの手の問いの答えなんて十人十色だ。だから小説の読者が共感するのはきっと答え自体ではなく、その答えにたどり着こうとする主人公の、いや小説世界ものがたりの軌跡だ。


 小説はそれを読んだ読者の頭の中で完成する。


 これはアリスには教えていないことだし、咲季だってちゃんと認識していないだろう。


 それこそ決して教えられないこと、いや作者の手には届かないものだ。そしてだからこそ小説家は小説を書き続けられるんじゃないか。それが人間でもAIでも。


 俺たちは小説が書ける、それでハッピーエンドだ。










************************

2024年4月25日:

『AIのための小説講座』これにて完結しました。

最後まで書き上げることが出来たのはここまで読んでくれた皆さんのおかげです。


ブックマークや★評価、いいねなどの応援感謝です。コメント、感想はとても励みになっています。また誤字脱字のご指摘には本当に助けていただいています。


2022年10月から始まって一年半、約38万字の小説になりました。作者としてもとても思い入れのある小説になりました。最初はヒューマンドラマ/現代ドラマを書けるのか心配しながら始めたのですが、今となっては挑戦してよかったと思っています。まあどうしてもSF成分が増えるのは御愛嬌ということで……。


皆さんにも楽しんでいただけたなら幸いです。


それでは改めてここまで読んでいただきありがとうございました。





本日カクヨムのサポーター限定ノートに本作のSS『幻じゃない対談 ― 小説家の弟子と生徒 ―』を投稿しました。pdf版の販売について近況ノートを書いています。興味を持っていただける方は近況ノートを見てやってください。


*SSですので読まれなくても本編を理解していただくのに支障はありません。

https://kakuyomu.jp/users/norafukurou/news/16818093076168593201

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AIのための小説講座 のらふくろう @norafukurou

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