3-3 リリシア、ちょっと泣きたくなる
アニタに手を引かれ廊下を歩きながら、イクスも面倒くさい立場なのだなとリリシアは少し同情した。あの魔力量ともなれば貴族に目をつけられるのも当然だろう。そもそも平民では手に余る。幼少期は特に魔力を制御するのが難しく、漏れ出た魔力が暴発することも珍しくない。イクスは火属性の魔力だから少し癇癪を起こすだけで火の粉が飛んだだろう。そんな子供を魔力を持たない平民が育てられるはずもない。
魔力の有無は多くは血筋に左右されるため、魔力持ちは貴族に多い。しかしごく稀に、平民に生まれることがあった。突然変異といわれる平民出身の魔力持ちは平均よりも魔力量が多い。そのため優秀な魔法使いを排出し家名をあげたい貴族たちは積極的に平民出の魔力持ちを養子に向かい入れる。イクスもその一人なのだろう。
といってもシルフォード家が平民出を養子にしたという話は今まで聞いたことがない。養子を積極的に迎え入れているのは中級か下級貴族。貴族との接点を持ちたい商人などが多い。上級貴族であるシルフォード家とは縁遠い話だ。
イクスの魔力量が桁違いだからと言われればそれまでだが、妙に引っかかる。
しかしここで深掘りするのは悪手に思えた。リリシアは記憶喪失の少女なのである。設定上ではおそらく平民。となれば貴族の事情に詳しいのは不自然だ。変につついてイクスにこれ以上警戒されても困るし、現状では友好的なアニタに疑われても困る。今のところは放置しておいた方が良いだろう。
「リリシア様、こちらです」
上機嫌に歩いていたアニタがとある部屋で足を止めた。気づけば目的地に着いていたらしい。考え事をしていたリリシアはここに来るまでの道のりを覚えていなかったことに内心ショックを受けた。この屋敷を逃げ出さなければいけないのに間取りを覚えていないなどぼんやりしているにもほどがある。それでも顔には出さわけにはいかず、戸惑いがちにアニタを見つめる。
「ここは未来の奥方様用の衣装室なんですよ」
そういってアニタが開けたドアの向こうには数々のドレスが並んでいた。おしゃれよりも生き残ることを優先していたリリシアも色とりどりのドレスを前にすれば自然と目が輝く。
入っていいのかと視線でアニタに問えば笑顔で頷かれた。リリシアは走り寄りたい衝動を抑えてゆっくりとハンガーに掛けられたドレスに近寄った。手に取ってみると自分が着ていたものとはまるで違う手触りの良い布地、裏地までしっかりと造られた形の良い服にため息が漏れる。丁寧な刺繍を施されたものもあれば、大胆に背中や胸が空いたデザインのものもある。引きこもっていたので今の流行がどういったものかは分からないが、名店にも劣らぬ品揃えであることは間違いない。
「気に入ったものはありましたか? 丈がが合わなければ直しますよ」
「どれも素敵で、私が着るとなると恐れ多いです」
これは本音である。素敵なドレスに憧れはあるが着るとなると話は別だ。コルセットはどうにも息苦しそうだし、レースやらフリルがふんだんに使われているのを見るのは好きだが、着るとなると年が気になってしまう。見た目は十代前半の少女になっているが中身は四桁の老婆だ。この年でという羞恥心がわいてくる。
「そんなことはありません。むしろ着てくれた方がドレスが喜びます。なにしろ着る人が誰もいないので」
アニタはそういうとため息をついた。初めて見る愁いを帯びた表情だ。
「着る人がいないとは?」
「こちらはルーカス様やイクス様が婚約者を連れてきてくれた時用にと思ってアニタが仕立てたものなんですが、二人ともまったく連れてきてくださらないのです」
「アニタさんがこれ作ったんですか?」
「はい! アニタの誇れる趣味です!」
アニタはそういって胸をはる。たしかにこれは誇れる。というか、なんでメイドやってるんだと問いただしたくなる。仕立屋を開けば貴族相手にそれなりの商売が出来そうな技術だ。
「仕立屋になろうとは思わなかったんですか?」
「思いません。アニタの夢は魔法使いに嫁いでくるお嬢様に仕える夢なので!」
にっこり笑ったアニタにリリシアは首をかしげた。かなり特殊な夢である。
「アニタの生家は代々名家に仕えてきた家なのですよ。ですから私も幼い頃からどこかの名家に仕えるために修行して参りました」
アニタはそう言いながらハンガーに掛けられたドレスを探す。これでもない、あれでもないとリリシアに似合いそうな服を探しているアニタは本当に楽しそうで、生まれ故の義務ではなく本心からの夢なのだと伝わってきた。その相手が自分でいいのだろうかと胸が痛む。
「私は嫁いできたわけではありませんよ?」
「分かっています。私としてはリリシア様がイクス様に嫁いでくださったら万々歳なのですが」
「嫌です」
思わず素で答えてしまった。リリシアは慌てて誤魔化そうとしたがアニタはその様子をみて吹き出した。
「そうですよね。イクス様は嫌ですよね。顔はいいんですがいつも怒った顔してますし、口も悪いですし、すぐ怒鳴ってきますし」
怒鳴ってるのに関してはアニタの言動が悪いのではと思ったが、怒った顔をしているのと口が悪いのは事実なのでフォローはしない。
「年が気にならないのであればルーカス様でもいいですし、塔にいるルーシャン様でも良いですよ? ルドガー様はイクス様と同じく怒りっぽい方なのでリリシア様には相性が悪そうですね」
「ルーシャン? ルドガー?」
知らない名前にリリシアは頬が引きつった。アニタはリリシアのドレスを探し続けているのでリリシアの変化には気づいていない。良かったと胸をなで下ろすには不穏な名前が頭から離れない。
「ルドガー様が長男で、ルーカス様が次男、ルーシャン様が三男です。ルドガー様は今、業火の魔女を追って前線に出ています。ルーシャン様は離れにある塔に引きこもって研究三昧ですが、呼べば顔くらい出してくださると思いますよ」
「そこまでしていただくのは心苦しいので」
そう控えめな空気を出して断ったが本音は断固拒否である。ルーカスとイクスだけでも厄介なのにもう一人増えるなんて想像もしたくない。しかしながらルドガーが不在でルーシャンが離れにいるという情報を得られたのは収穫だった。離れにいるルーシャンに気づかずに行動し、大事なところで足下をすくわれては困る。
「魔法の研究ってどういったことをされているんですか?」
「アニタは魔法に詳しくないのでよく分からないのですが、この家の防衛はルーシャン様が管理されているそうです。魔法が屋敷内で使われたら分かるように魔導具を各所に設置してたり、魔法攻撃をされた時に防げるように結界を張ってあったり、魔女が攻め込んできた時ように魔導人形が何体も用意されてるって聞きましたね」
アニタはそういうとドレスを探す手を止め、リリシアに笑顔を見せた。
「つまり、ここにいれば魔女は怖くないと言うことです!」
「それは心強いですね」
と、なんとか答えながらリリシアの心の中は荒れに荒れていた。軽い気持ちで魔法を使わなくて良かったと安堵し、城でも騎士団でもないのになんだその防衛力と戦慄した。魔導人形はほんの一部でしか流通していない珍しいものなので、ルーシャンは相当な変わり者か、かなりの魔法技術の持ち主だ。
後者だと考えていた方が良いのだろう。敵を甘く見ていると痛い目を見るのはつい先日に体験したばかりだ。
改めてとんでもないところに来てしまったとリリシアは頭を抱えたくなった。アニタが目の前にいる手前そんなことは出来ずに、ドレスに関心を寄せる少女のフリを続ける。
魔法が感知されるとなれば逃げる直前まで使うことは出来ない。となると手や足で情報を集めるほかなく、思ったよりも長丁場になりそうだと頭痛がしてきた。現状、唯一の情報源であるアニタとは仲良くしておいた方がいい。純粋に自分を可愛がってくれている姿を見ると心が痛むが情を見せて死にたくはない。
それに、これは見せかけの情だとリリシアは知っている。アニタが優しいのはリリシアが普通の人間だと思っているからだ。リリシアが魔女だと知ったらアニタはリリシアに笑いかけることなんてない。だましたなとリリシアを糾弾し石を投げる。街であった商人のように。
「リリシア様、これなんていかがでしょうか!」
キラキラした目でリリシアにドレスを進めてくるアニタを見てリリシアは少しだけ泣きそうになった。この笑顔を見ていると自分は確かに人を騙す悪い魔女のような気がしてくる。けれど、それでもリリシアは死にたくない。
「もう少し、控えめな方が……」
だから、ウソをついてごめんなさいと心の中で謝って、ただの少女のフリを続けた。
不遇の魔女に救済を 黒月水羽 @kurotuki012
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