3-2 リリシア、イクスの事情を察する

「リリシア様、どうかなさいましたか?」


 ぼんやりとしてたリリシアは目の前に迫っていたアニタに驚いた。ついさっきまでイクスと口げんかをしていたと思っていたのに、気づけば心配そうな顔で自分をのぞき込んでいる。イクスも眉間に皺を寄せリリシアを見つめていた。アニタに比べると険のある表情を見て、リリシアは慌てて控えめな笑みを浮かべる。


「すみません、ぼんやりしてしまって」

「申し訳ありません。リリシア様は病み上がりだというのに騒いでしまって」


 肩を落とすアニタを見てそういう気遣いは出来る人間なのだと意外に思った。後の印象が強烈すぎて忘れていたが、初対面はいかにも名家の使用人といった優雅な礼を見せてくれたのだ。気遣いが出来るのは当然なのかもしれない。


「体調が問題なければ一緒に食事が取りたいとルーカス様がおっしゃっていたのですが、いかがしますか?」


 先ほどの勢いがウソのように控えめなアニタの言葉にリリシアは目を瞬かせる。二重人格なのかと疑ってしまうほどの変わり様だ。驚きすぎて一瞬アニタの言葉が頭にはいってこず、一拍遅れて理解したリリシアは思わず「えっ」と素の声を出してしまった。


「る、ルーカス様とご一緒ですか?」

「なんだ、不満か」


 黙ってこちらを見ていたイクスが威圧的な声を出す。嫌々ながら顔を見ればこちらの反応を思いっきり値踏みしていた。顔が引きつらないように意識しながら「不満ではないですが」となんとか声を振り絞る。

 本音はものすごく不満だった。誰が好き好んで自分を殺すかもしれない相手と食事を取りたがるか。毒が入っていないという保証もない。しかしながらここで嫌がるのも不自然だろう。普通の少女のリリシアにとってルーカスは命の恩人である。恩人からの食事の誘いを、しかも貴族からの誘いを断れる平民はいない。


「私がルーカス様と一緒に食事してもいいんですか?」


 ここは平民には恐れ多いアピールをして乗り切ろうとリリシアはいかにも遠慮してます。という雰囲気を醸し出した。

 実際問題、平民と貴族が一緒に食事の席に着くなどあり得ない。テーブルマナーなんてリリシアは知らないし、今来ているのは寝間着である。この姿で領主代理であるルーカスの前に出て行くのは不敬に違いない。横暴な貴族であればそれだけで極刑ものだ。

 というわけで、おそらく平民であるリリシアは自分の立場をわきまえ、大人しく部屋で食事したい。なんならこんな広い一人部屋ではなく、他の使用人たちと同じ部屋に移りたい。もう物置でもいいし馬小屋でもいい。できる限りルーカスやイクスと遭遇しない空間に行きたい。

 そう心の中で必死に祈ったが、イクスはあっさりリリシアを奈落の底へと突き落とした。


「ルーカスさんが是非ともお前と話したいと言ってる。保護されたお礼もまともに伝えてないだろ。この機会に言っておいた方がいいんじゃないか」

 淡々とした冷たい口調であったが正論であった。普通の平民を主張するなら貴族からのお願いを断るなど不可能だし、貴族に救われてお礼を言わないのもあり得ない。


「服なら貸すから心配しないようにとルーカスさんからの伝言だ。アニタが用意してくれる」

「はい! リリシア様を輝かせるとっておきの一着を見つけましょうね!」


 逃げ道を完全に塞がれた。急にここで体調がと倒れても不自然過ぎるし、こうなったら大人しく従うほかない。前向きに考えれば情報を引き出す良い機会なのかもしれないとリリシアは「それなら……」と遠慮している風を装って頷いた。この先のことを考えて胃がきゅっと締め付けられたが顔に出すわけにはいかない。


「俺はもう行くけど……」

 そこでイクスは不自然に言葉を句切りじっとアニタを見つめてからリリシアへと視線を動かした。


「この変態メイドになにかされそうになったら叫べ」

「失礼ですね!!」

「さっきの自分の言動を思い出してから文句を言え」


 イクスはそうアニタに吐き捨てるとさっさと部屋を出て行ってしまう。その背中に向かってアニタは舌を出していた。メイドとしてそれ許されるのか。


「……イクス様、用があったんじゃないんですか?」


 夕食までの時間はイクスに監視されるのだろうなと思っていたので、あっさり姿を消したイクスに拍子抜けした。アニタという存在も別の意味で危険な気ががするが、イクスよりはマシである。本気でまずい状況になったらか弱い子供のフリをして逃げればそこら辺の使用人は信じてくれる。魔法で殺されるより全然マシだ。


「アニタが暴走するかもしれないからってついて来たんですよ。失礼ですよね!」


 アニタはそういって頬を膨らませたが、実際暴走していたのでイクスの判断は正しい。しかしそれを口に出して波風を立たせるのも良くないと曖昧な笑みを浮かべた。アニタはイクスの態度に不満が溜まっているようでリリシアの反応には気づいていない。


「アニタさんはイクス様とは仲良しなんですか?」

「さっきの見ていなかったんですか? 仲良くないですよ」

 アニタは何を言っているんだという顔でリリシアを見ていたが、それはこちらの台詞である。


「仲良くないのに、主人にああいう態度とっても怒られないんですか?」

 リリシアの疑問をやっと理解したらしいアニタが「そういうことですか」と手をポンッとたたいた。


「他の家でしたら怒られるを通り越して首、酷いところだと殺されるかもしれませんね」

 のんきな口調で笑えないことをいうアニタにリリシアの顔が引きつった。アニタはそんなリリシアには気づかず、相変わらずのんきな口調で話し続ける。


「シルフォード家は働く場所としては最高ですよ。素敵なお嬢様がいらっしゃらないという一点を除けば、環境も良いですし、ご主人様方も使用人を一人の人間として尊重してくださいますし、無茶な要求もされない。お給料もたくさんいただけますしね。退職者が滅多にでないのでたまに出る募集は奪い合いなんですよ」


 アニタは何でも無いように笑ったがその奪い合いを制してここにいるのである。その理由が素敵なお嬢様に会いたいというのが恐ろしい。不純な理由もここまでくると純粋に見えてくるから不思議である。


「ルーカス様は私たちを家族として扱いたいとおっしゃってくださいます。外ではきちんとメイドとして振る舞っていますけど、家の中では私の主義主張を押し通しても笑って許してくださるのです。素敵でしょう?」

 嬉しそうなアニタの言葉にリリシアは素直に頷いた。それはとても素敵なことだ。使用人を奴隷のように扱う貴族を何人も見てきたからこそ、ルーカスがいかに使用人を対等な人として大切にしているかが分かる。


「でも、イクス様は怒ってらっしゃいましたけど……」


 けれどルーカスが許しているといってイクスが許しているとは限らない。実際イクスはアニタの態度に文句を言っていた。使用人に怒るというよりかは出来の悪い姉に文句をいうような態度ではあったが思うところがあるのは間違いない。アニタにとって最優先はルーカスでイクスの優先度はそこまで高くないのだろうか。

 

「イクス様はあー見えて、繊細な方なので、雑に扱われたくらいが実は気楽で良かったりするんですよ。面倒くさいでしょう」


 アニタはそういって苦笑した。リリシアは意味が分からずに首をかしげる。そんなリリシアを見てもアニタはそれ以上なにも言わなかった。「夕食ようの服を選びましょう」とリリシアの手を引いて歩き出す。その姿は先ほどまでの会話がなかったように浮かれていて、リリシアは次の問いを口にすることが出来なかった。

 わざと話を変えられたということには気づいていた。癖の強さで忘れそうになるが名家に雇われるほどに優秀なメイドであることは間違いないらしい。軽く見えて話していいことと話してはいけないことをきちんと理解している。ということは、イクスの話題はこれ以上深掘りしてはいけないということだ。


 ルーカスとイクスの姿を思い出す。ルーカスは金髪碧眼、イクスは赤い髪に茶色の瞳。シルフォード家は金髪碧眼の一族だとリリシアは聞いていた。嫁いできた母親の容姿が色濃く出た可能性はある。しかし、アニタの反応や本人の貴族にしては荒っぽい言動、愛人を不義理といったことを考えると他の可能性が浮かびあがる。


 魔法使いの家系が魔力の多い平民を養子にするのは珍しいことではない。

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