第三話 リリシア、情報を集める
3-1 リリシア、癖の強いメイドと出会う
目が覚めると思いのほか頭がスッキリしていた。リリシアは上半身を起こすとぐっと背伸びをする。目の前の景色は眠ったときと変わらない。百年ほど引きこもっていた我が家とはまるで違う高級感と清潔感があふれる一室。薬草の匂いが染みついた家が恋しいと思いながらリリシアはベッドから抜け出した。
窓の外を見るとちょうど夕方のようだ。イクスが夕食には呼びにくると吐き捨てたのが何時くらいか分からないが、体感としては数時間ほど眠れた気がする。部屋の中に時計はないのだろうかと見渡して、それらしきものがないことに肩を落とした。
綺麗に手入れされているのだが微妙に生活感が薄い。客間にしては豪勢な気もするしどういった部屋なのだろうとリリシアは首をかしげる。
ベッドに腰掛けて今後のことを考える。運命の未来視によれば自分は生きてここを脱出しなければいけない。いくら悪戯好きの運命でもチェルカドルとシルフォード家を巻き込む大がかりな仕掛けをするとは思えないので信じて良い。問題はチェルカドルがどこまで協力的かという点である。一見友好的な態度を見せておいて、「面白そうだからお前を売った!」というのがチェルカドルなので、すべての言動を信じるわけにはいかない。今も平然と重要情報を隠している可能性がある。
となればチェルカドルからの情報はすべて鵜呑みに出来ない。チェルカドルの命令に逆らえない運命も同じだ。神経逆なでしにきたのかあのクソ魔族と舌打ちしながら、リリシアは状況を整理する。
イクスには思いっきり疑われている。イクスの前で隙を見せたらリリシアはあっという間に処刑台送りだろう。ルーカスに関しては現状様子を見るしかない。優しそうな人物に見えるが、長年生きた魔女の直感がアイツは胡散臭いと告げている。
「八方塞がりじゃないか?」
状況を整理してリリシアはうなった。無事に脱出できる未来が想像出来ない。いや、まだ目覚めたばかり。これから立地とか間取りとか、二人の弱点とかもろもろ探っていけばいいのだと自分を奮い立たせる。数千年生きてきて、これほどまでに絶望的な気持ちになったのは魔女になりたての頃くらいじゃないかと思ったが、あの頃もなんとか生き延びたのだから自分なら出来る。頑張れ私! とリリシアは拳を握りしめた。そうしないと泣きそうだった。
最初の行動方針が情報収集で決まったところだが、ドアを見つめてリリシアは眉を寄せた。イクスは「自由にしてろ」と言っていたが、その自由がどこまでの範囲かを間違えると早速詰む。言葉通りに受け取って屋敷の中をフラフラすることまで許されているとは思えない。となると、自由にしてろは「部屋の中で」という見えない注釈が入るわけだが、この部屋、何もない。
ベッドから降りて窓に向かい、外を眺める。夕日が庭園と下の方にある町並みを照らす。綺麗だなとのんきに眺めるには心のゆとりが足りない。シルフォード家の邸宅は街よりも高い位置にあるらしいという情報を頭に入れ、他に何かないかと窓を開ける。
窓くらいだったら換気がしたかったという言い訳で許されるだろうと全開にし、身を乗り出して眼下を見下ろす。この部屋は四階にあるらしい。魔法を使えない子供の体で飛び降りるのは無理だろう。逃げようとして窓から落下死なんてした日にはチェルカドルに「お前にはがっかりだ」とため息をつかれそうである。想像しただけでも腹が立つ。
他に情報がないかと周囲を見渡すが、貴族らしい立派なお屋敷という印象を強めるだけだった。つまり収穫なし。
幸先が悪いとため息をつきつつ窓を閉める。夕食が何時か分からないが、それまでベッドでゴロゴロしているしかないのだろうか。そうリリシアが考えているとノックの音がした。
「お嬢様、お目覚めでしょうか」
続いて聞こえたのは女性の声。イクスでもルーカスでもないということにリリシアは喜んだ。「起きています」と控えめな声を意識して答えるとドアが開く。
現れたのはメイド服に身を包んだ女性だった。年の頃は二十代前半くらいだろうか。女性が恭しく頭を下げるとサイドテールにした栗色の髪が動きに合わせて揺れる。スカートの両端を優雅に持ち上げて礼をする姿はメイドというよりは、貴族の令嬢のようだ。さすが名門貴族。使用人の教育も行き届いているとリリシアは感嘆した。
「お嬢様のおそば付きを任されることになりました。アニタと申します」
「おそば付きって……!?」
ただの記憶喪失の子供なんじゃけどという声が漏れそうになり、慌てて飲み込んだ。身元の分からない子供に対する待遇にしては破格過ぎる。死にかけの子供を保護して治療しただけでも貴族の務めとしては十分だ。なぜそこまでと考えて、見張りという答えが頭に浮かぶ。
ルーカスの人の良さそうな笑みを思い出し、やはり見た目通りの好青年ではないらしいと歯がみした。イクスほどわかりやすくないだけで、ルーカスもリリシアが魔女である可能性を疑っているのだ。
「わ、私、そこまでしてもらえるような人間じゃ……」
平民の少女を装ってリリシアは主張する。貴族の客人扱いされるよりは使用人と同じように扱われた方が良い。その方が逃げる機会だって増えるはずだ。どうにかならないかと必死で手を左右に振るとリリシアの動きを感じ取ったのかアニタが顔をあげた。
そこで初めて目があった。部屋に入るなり頭を下げたアニタは今やっとリリシアの顔を視界に収めたらしい。目が見開かれる。ぽつりとアニタはなにかをつぶやいたように見えた。しかし小さすぎる声は届かず、リリシアは首をかしげた。そんなリリシアを見たアニタの頬が赤く染まる。驚きに見開かれていた瞳が喜びでキラキラと輝く。突然の変化にリリシアは固まった。
「アニタ! いま決めました! リリシア様に一生お仕えします!」
「えぇ!?」
叫ぶなり距離を詰めてきたアニタはリリシアの手をつかんだ。喜び余って興奮でらんらんと輝く瞳を見てリリシアは冷や汗をかく。肉食動物に見つめられている草食動物の気持ちだ。
「えぇっと、あの、私はたぶん、ただの平民で」
「そんなこと関係ありません! 一目惚れです! これは運命です! もう一生お側を離れません!」
ぐいっと鼻がくっつきそうなほどに顔を近づけられて思わずリリシアはのけぞった。それにも構わずアニタは喜色満面の顔でリリシアを見つめ続けている。握られた手が熱い。なにがなんだか分からない。
「リリシア様は記憶喪失と伺いましたが問題ありません! 記憶が戻りましたら、私も一緒について行きます! 家事も出来ますし、腕には自信もありますので、リリシア様の人生は私が必ずやバラ色にして差し上げます!」
「いや、ちょっとまって!」
「シルフォード家なんかリリシア様のためならば軽く捨て去る覚悟です!」
「今すぐ追い出してやろうかクソメイド」
至近距離にあったアニタの頭が下に落ちた。アニタの頭上には人の手、チョップされたのだと遅れて気づく。見上げればイクスが怒りの形相でアニタを見下ろしていた。いつの間に入ってきたのかとか、怒ってる顔こわっ。とか言いたいことは色々あったが、もはや何から言えばいいか分からない。ただ唖然とイクスを見上げているとイクスが不快そうに鼻を鳴らす。
「お前は一応客人だからな。客人が変態メイドの毒牙にかかったなんてシルフォード家の名折れだ」
「誰が変態メイドですか! 私は運命の相手に自分の熱意を伝えていただけです!」
結構痛かったらしく涙目のままアニタが背後のイクスに食ってかかった。立場でいえばイクスは雇い主のはずだが一切の遠慮がない。アニタをにらみつけるイクスも使用人を叱るというよりは気安い雰囲気だ。
アニタは使用人ではないのだろうか。しかしメイド服を着ているし、リリシアのお側付きだとも言っていた。だが、それにしては主人への態度が軽すぎる。それをとがめないイクスも謎だ。
「だって、こんな理想的な美少女、この先一生出会えるかわからないじゃないですか! ルーカス様もルーシャン様もいつまでたっても奥さん連れてきませんし!! 私は美人な奥様、もしくは許嫁の可憐なお嬢様にお仕えしたくてシルフォード家のメイドになったのに!!」
一息でそこまでまくし立てたアニタにイクスは引いていた。リリシアも正直いって引いている。なにその熱量とアニタから距離をとった。
「この際イクス様でもいいですよ! 美人な婚約者連れてきてください! 私の好みは銀髪です!!」
「知るか!! なんで俺がお前の好みで婚約者連れてこなきゃいけねえんだよ!」
ごもっともな意見過ぎてリリシアは思わず頷いていた。貴族ともなれば血筋を残すため婚約者問題は切っても切れないものだが、使用人のメイドの好みに合わせる必要は無い。というか合わせる意味が分からない。
「うわーん! これは詐欺です! アニタの美しいお嬢様に仕えたいという願いを踏みにじるなんて横暴です! 最低です! 天下のシルフォード家なら美人なお嬢様がわんさかやってくると思ったのに!」
「わんさか来るか! どんな不義理だ!」
子供みたいに泣き出したアニタにイクスが怒鳴り返す。
貴族、とくに優秀な血を残すことに価値を見いだす魔法使いの名家であれば正妻以外に愛人が何人もいても不思議ではない。しかし、イクスの発言を聞くにシルフォード家ではそうではないらしい。幼い頃から許嫁が決まっていることも普通だと聞いたが、ルーカスとイクスにはそういった相手はいないようだ。
魔法使いの血筋としては珍しい。シルフォード家は美形揃いだと聞いたので、急いで探さなくても良いと思っているのかもしれない。どんな理由にしろリリシアには関係ない。追い回される魔女からすれば婚期を逃して独り身を貫いて貰った方が有り難い。魔力容量は必ず遺伝するものではないが、容量が大きい者同士の方が生まれた子供にも受け継がれやすいことは分かっている。ルーカスとイクスの子供となれば平均以上はほぼ確定しているので、元気な子供が生まれれば生まれるほど魔女の首が絞まる。
そんなことをぼんやり考えていたリリシアは自分の思考に気づいて気持ちが悪くなった。子供は宝、子供はなにも悪くない。それが分かっているのに、目の前でメイドと大騒ぎしている少年の子が将来自分を、多くの同胞を殺すかもしれない。その可能性を考えると生まれてこなければいいのにと思ってしまう。
子供一人の誕生すら祝えない。そう考えれば、魔女はやはり悪なのかもしれない。
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