第6話 そして、現場で

 喫煙室を先に出て行ったのは間島澪だ。

 司は後に残り、二本目に火を点けてゆっくりと煙の味を楽しんでいた。


 喫煙室の入り口に背を向けて食堂から見える夜景に目を向けていたら、背後でガシャンっとなにやら音がして、怒鳴り声と悲鳴が上がる。


「なんだよ。静かに楽しませてくれよ」


 ゆっくりと振り返ると、食堂の片隅で、澪が頭から血を長して床にへたれこんでいた。

 おいおいっ、と慌てて煙草の火を消すと喫煙室の扉を開けて外へ出る。


 その瞬間、天井からさあっと心地よい風が流れてきた。浄化魔法というやつだ。

 これで煙草のヤニも煙も綺麗に消えてしまうのだから、その効果には恐ろしいものがある。


 自分の鼻腔からもタバコの臭いが消えたことに、司はなんとなく寂しい思いを感じた。

 しかし今はそんなものにかまっている暇はない。同じ日本人の澪が血だらけなのだ。助けに行かなければ。


「おい、どうした!」


 慌てて彼女のそばに駆け寄ると、長テーブルが左右にたくさんならんだその一つに、澪は身を委ねていた。


 彼女の頭から流れているのが近寄ってみて初めて、血ではないと分かる。

 足元に砕けて散った皿。澪の被っている白い頭巾の上に載ったままの麺、盤面にべったりと張り付いたミートソース。


 誰かが彼女に向けてミートスパゲッティの入った皿をぶつけたのだと、司は理解した。


「何でもないわよ」

「何でもないって? この惨状でか?」


 近寄ろうとする司を手で制して澪は立ち上がろうとし、そのままぺたんっ、と床にしゃがみこむ。


 真っ白な頭巾と白い肌の隙間からはみ出した黒髪の内側で、新たに赤いべっとりとした出血が、始まっていた。


 彼女はやはり、危害を加えられたのだ。

 お皿そのものが、頭にぶつかったのだろう。

 出血はどういう理由で怒っているのかわからないが、とりあえず医者が必要なことは分かった。


 司は、澪の周囲に立つ人々をぐるっと見渡す。

 自分たちと同じように、白い頭巾をかぶった女性が数名いた。


 その白い頭巾は頭からすっぽりとかぶって肩ほどまで襟の長さがある。

 眉の上まである額の部分には、派遣会社ごとに色の違う横線が縫い付けられていた。


 首の下でマジックテープにより止めるタイプの頭巾。その頭頂部には獣耳ようの穴が二つ縫い付けられており、額の横線の色は黄色。


 猫耳族の運営する派遣会社、テザースのものだった。


「血が出ている。誰か医者を呼んできてくれないか」


 肩の力が抜けてぐったりとしてしまった澪を見て、司は周りの人々に向けて叫んだ。

 額に緑のラインがある衛生係なら、治療魔法も回復魔法も、お手のものだ。しかし、彼女たちは今ここにいない。


「あたし、呼んでくる!」


 と叫んで誰かが食堂から出て行った。

 額のラインが赤い。炎豹族という豹の耳と尾をもつ獣人の少女だった。


 彼女の行動に感謝しつつ、司は「どうしてこんなことしたんだ?」と周りの黄色の連中に問いかける。

 澪に料理の入ったお皿をぶつけたと思しき人物が声を上げた。


「私たちの問題に、その人間が介入してくるのが悪い。これは名誉の問題なのに、常識だなんだと……これだから地球人は困る」

「そうよね。テレサの言うとおりだわ。これは私たちとあいつらの問題なのよ。関係ない人間がでしゃばっていい問題じゃない」


 しゃがみこんだ澪のすぐ後ろのテーブル席に座ったテレサともう一人、友人らしき猫耳族の女性が私たちは悪くない、と声を揃えて言った。

 澪の管理する弁当製造ライン、と司の所属する弁当製造ラインはそれぞれ別のお弁当を作っている。


 テレサは澪のラインでサブチーフ。つまり、澪の片腕として、そのライン全体のほぼ八割を占める猫耳族を取り締まる役目にあった。

 普段から澪とテレサの不仲は、こちらのラインにまで噂となって届いている。


 その不満がこんな形となって噴出したのかと、司は理解した。

 あいつらとは、澪の前にあるテーブル席に座る女性たちのことだろう。


 この工場で働く異世界人の中で、テレサたち猫耳族と数の多さでは一、二を争うサキュバスたちだった。

 その頭巾に縫い付けられた色は、黒。漆黒の黒だ。


 正確には、メイブレス。と呼ばなければこのライフバーブでは差別用語になるらしいので、おおやけの場所ではみんな誰もが「メイブレス」とサキュバスを呼んでいた。


 司もその習慣に倣って言葉に出すときには気を付けている。


「レナリアさん。これはどういうことですか」

「ミドーさん。あなたには関係ないと思うけど? 私たちの問題だから、口出しをしたその後にその罰が与えられるのは当然かもしれないわね」

「つまり、間島がやったことは間違ったことで、あなたたちはそれを成敗したということ?」

「そういうことかもしれない」


 えーと、どういうことだ?

 猫耳族とサキュバスもとい、メイブレスたちが言い争っていた。


 そこに間島が口を挟んでしまったため、両方から怒りを買ったということでいいんだろうか?


「皿をぶつけるとかあまりにも原始的な行いですね」

「……なんですって?」


 皿をぶつけた張本人、猫耳族のテレサが苛立ちを見せる。

 それを無視して、司は澪の頭巾を脱がせると、自分がかぶっていた頭巾をあて布代わりにして、傷口を抑えた。


「暴力的な行為だって言ったんですよ。そしてそれを平然と見ていたあなたたちも、俺からしたら同様に悪人に見える」

「喧嘩売ってるつもりなの? あなたそれは賢くないわよ?」


 今度はメイブレスのレナリアが不機嫌な声を上げた。

 このままだと、司まで争いに巻き込まれて怪我をすることになる。


 どう言ってこの場を諌めたものかと、司は「もう大丈夫だから、ね。これ以上深入りしないで」と懇願する澪を睨んで黙らせた。


「あなた達もどちらとも、魔法が使えることを俺は知っています。回復魔法も攻撃魔法も浄化魔法も使えるはずだ」

「だからなに? その子の傷を直す気なんてないわよ。地球人さん」

「そうそう。テレサの言う通り。私たちの問題に首を突っ込んだその子が悪い」

「けどまあ……。この職場で立場が高いのは間島の方だ」


 人種とか差別とかそんな話で解決に持っていくのはうまくない。

 話を上手くを収めるなら、それこそこの職場で逆らっていいのだと逆らって悪いものが誰かということをはっきりさせた方が、よほどためになる。


 みんなのためにも。


「今は休憩中ですよ。仕事は関係ない」

「関係ありますよ、テネスさん。ここは職場だ。休憩時間であっても仕事のうち。間島はあなたのラインの管理者だ。あなた達の製造ラインには、レナリアさんの仲間の人たちも、たくさん働いている。ラインを管理するリーダーとして、テニスさんとレナリアさんの争いは、それぞれの所属する派遣会社の対立する構造にもなりかねない。そう考えたら、間島がここで争いを収めようとしたのも賢いと言えませんかね?」

「それは……」

「ぶつけたのはそっちよ。私の方じゃない」


 一瞬だけ結託した異世界の人々は、それぞれの思惑と立場を思い出しただけであっという間に、敵と味方に分かれた。


 澪に料理をぶつけたのはテレサだと、レナリアが告発する。

 周りの視線の多くは、非難となり、テレサに向いていた。


「私は、みんなのためだと思ったから!」

「さっき自分たちの個人的な争いに、間島が仲裁しようと入ったからぶつけたと、言いましたよね?」

「ぐっ……!」


 テレサが身を引いて視線を背ける。

 まるで私は関係ない、悪くないと罪を認めず無様な様を晒していた。


「私は聞いたわよ、メイブレスのレナリアが保証してもいい」

「でも俺は思うんですよ。それは異世界のやり方だって言うなら、これで間島も学んだだろうって。違いますか、レナリアさん?」

「そうかもしれないわね。だから何?」

「日本ではこういった場合、三者三様に罪が与えられることがあるんですね。平等かつ公平に、裁判は行われるべきだという考えがありますので」

「……? あなた私まで罪を問うつもりなの?」


 白々しく顔を背けるテネス。今度は自分に、裁きの矛先が向いたことにあからさまに嫌そうな顔をするレナリア。


 話の主導権を周りにそれと気づかせることなく、握っている司。

 そして、どこの世界の人間も、自分とは違う赤の他人が、罪を着せられて裁かれるのを見るのは、大好きだ。


 たとえそれが正しくないことであっても。

 だけど司はなるべくダメージが少ない方向で終わらせようと考えていた。


「テレサさんは間島に治癒魔法? 回復魔法でもいい。とにかくこの傷を処置して欲しい。何もなかったようにできますか?」

「そんなことすぐに出来るに決まってるじゃない」

「じゃあお願いします。レナリアさんは、間島の外観を何もなかったように綺麗に戻してほしい。可能ですか?」

「……当たり前でしょ。私を誰だと思っているの」

「その二つをやってくれたら、間島は何もかも全てはなかったことにしてもいいと言ってる」

「はあ?」


 テネスとレナリアの声がハモった。

 司は、交換条件を出すことで、全てを帳消しにしようと考えた。たとえそこに、澪の意志が介在していなくても。


 もっとも彼女は頭を押さえたままうずくまってしまってしゃべれる状態じゃないのは、誰の目から見ても確かだったが。


「どうです、悪い条件じゃないと思う。衛生係がやってきて色々と問題が明るみになるよりはいいでしょ?」

「猫たちがやるって言うなら」

「それで全部忘れるって言うならいいわ」

「よし、決まりですね。ではそれぞれお願いします」


 こうして澪の傷は癒えた。服も元に戻った。あたりに散乱して散らばった料理とお皿も、いつのまにか元通りになっていた。


「お待たせ、衛生係の人連れてきたよ!」


 と、係の者を呼びに行ってくれた炎豹族の少女が戻ってきた時には、何も起こっていなかった。

 食堂はいつものように、みんなが和気あいあいと仲良く、休憩を演じていた。


「……どういうこと? あれ?」

「何もないじゃないですか。人騒がせな!」


 首をかしげる少女と、意味もなく呼び出されたことに不満をあらわにする衛生係。

 その二人からわざとらしく目を背けて、テネスとレナリア、そして司は空気を演じる。


「誰も助けてくれって頼んでないけど?」

「こういう時はありがとうございましたって言うもんだ」

「はいはい。ありがとうございます、先輩」


 休憩が終わり仕事に戻る時、澪はそう言ってラインの頭に戻って行く。

 これからあと数時間朝まで仕事が続くのか。眠いけど頑張ろう……めんどくさいことにならなくて良かった。


 司がそう思いながらホッと胸をなでおろしていると、左側に立つ人影がひとつ。

 業務中に私語をすることは禁じられている。

 だから彼女はそっと静かに語りかけてきた。


「うまくやったわね。仕事が終わったらちょっと時間つくれない、ミドーさん」

「……え?」


 白い頭巾、白い制服、額には黒の横線が一つ。

 制服は貸与品で、日々、工場側がクリーニングした物を着ることになっている。

 ネームプレートを付けることができないので、その代わりとして右肩のところに縫い付けられた透明なビニールのワッペン部分に、手書きのネームプレートを入れておくことになる。


「メイブレス……メロウ、さん?」

「そうそう。あなたに興味持っちゃった。一緒に朝食とかどう? アルコールが入ってもあたしは大丈夫」

「えええ……」


 やはりサキュバスだから、性を狩りに来たのか?

 彼女がどういう思惑でにじり寄ってきたのかは謎だが、司の頭は真っ白になってしまった。

 

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現代ダンジョンから始める異世界バイトライフ~異世界で展開するコンビニの弁当工場で働いてみたら、異種族の美少女たちととっても距離が近いんだが?~ 和泉鷹央 @merouitadori

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