第5話 説明会

 パステルブルーの壁がずっと続いている。

 その中にひとつだけ、しっとりと濡れた紫色の扉がある。


 扉の中央部分に、金属製の輪っかがはめ込まれている。

 建材そのものの色なのか、それとも後から着色したのかは不明だが、なんとなく不気味さを感じる扉だった。


 ついつい扉をノックしそうになり、司は手を止めた。

 ライルバープでは、ノックはマナー違反だ。


 その代わりに、金属製の輪を利用して、ノックをするのだ。

 18世紀のイギリスにでもいるような気分になり、司はノッカーと呼ばれるその輪を持ち上げると、ドンドンと二回、戸を叩いた。


 腕時計を見るとすでに約束の刻限を回ろうとしている。

 社会人として遅刻は許されない。


 初っ端からマナー違反か? 新入社員じゃないんだぞ? これから新入社員になるかもしれないんだけど。

 そんな突っ込みを心の中で入れて待つことしばし。


「はーい」


 と中から声がした。

 男性との女性とも判別のつかない、中性的な声だった。


 続いてもう一人、今度は若い女性の声がする。柔らかみのあるのんびりとした声の持ち主が「どうぞ?」と扉を開けて中に案内してくれた。


「失礼します。面接の約束を頂いてます味道と申します。食品製造業の……こちらで間違いありませんか?」

「食品製造?」

「ああ、はい。ライルバープ特区工場の派遣で」

「ああ! はいはい、分かりました。どうぞこちらにお座りください」


 司を中に招いた女性は、見た目は日本人女性に近い。

 腰まである黒髪と、黒い瞳に肌の色は日本人そのものだ。


 しかし、被った黒いハット、青色の膝丈ワンピース、素足と靴は黒のパンプス……までは、現代日本風で。

 彼女の頭の部分には金色の毛が見えているし、お尻の辺りからは立派なふさふさの尾が生えている。


 確か、金色の猫耳と尾を持つ種族、猫耳族、と言ったか。

 よく異世界ファンタジー小説に出てくる、獣人の女性だった。


 彼女は、日本のオフィスでよく見る折りたたみ式の長机と、パイプ椅子がおかれ、簡易的な移動式の間仕切りで仕切られた応接スペースに、司を案内すると一礼してそこを後にする。


 代わりに入ってきたのは、どこからどう見ても人間。

 しかし、日本人ではなくて、異世界の人間族の男性だった。


 面接の際、面接官がどうぞと勧めるまで、椅子に腰掛けることはマナー違反だ。

 椅子の側に立って彼を待っていた司に、面接官は「気楽にやってください。どうぞお座りなって」と勧めてくれ「アニー君。コーヒーをお出しして」と先ほどの女性に命じていた。


 司が椅子に座ると、彼は「オディルです」と名刺をくれる。異世界なのにやっていることはどこまでも日本企業のそれで、司はどこも変わらないのかな? とここは異世界なのだというこを忘れてしまいそうになる。


 アニーが人数分のコーヒーと何やらお皿に入った固形物を持ってきた。

 見た目からして緑や青の華やかなそれは、王都の店で製造されているお菓子なのかもしれない。


「気楽にやってください」

「初めまして、味道司と申します。こちら用意してきた書類です」

「いやまあ書類なんて要らないんだけどね。本社がうるさくてね」

「はあ?」


 応募に必要なものと記載されていたから用意してきたのに、必要ないとはどういうことか。

 コーヒーを飲み、お菓子を口にするオディルの話し方は、まるで世間話をする主婦にただ感じだった。


「我々の世界では転送魔法がとくに発達しております」

「それは存じ上げています」

「転送装置を通じて、あちらからこちら。こちらからあちらへと、幾度か移動していただいたと思うのですね」

「ええ。そうですね。二度ほど。ゲートをくぐるときを含めると三度でしょうか」

 指折り数える必要もなく、司は即座に応えた。オディルはそれが大なのです、と返答する。

「異世界ということもありまして、移動していただいている間にある程度の、言い方は悪いですが試験は終わっているのです」

「どういうことか詳しく説明をいただきたいと思います」


 簡単に言えば……、とそこまで言い、オディルは司の書類に目を通す。

 履歴書、職務経歴書。その二つをさらっと読んで、彼は逆に質問してきた。


「志望動機に、異世界を知り自身のキャリアアップに繋げるため。とありますが、それならもっと別の仕事でもよかったんじゃないですか?」

「日本で勤務している仕事を離れてまで、この異世界で経験を積むということは今の現状では難しくて」

「なるほど。それで食品製造のアルバイトですか。深夜枠だし、異世界だし、日本からの人材はあまり来ないだろう、そういうところでしょうか?」

「……」


 見抜かれている。

 単純にアルバイトをしたいと教えた方が良かっただろうか。


 司の背中にぬるっとした嫌な汗が流れていく。

 しかし、オディルは「まあそれでも問題ありません」と軽く流して終わった。


「どういうことでしょうか?」

「先ほど申しました、試験。平たく言うなら検査です。異世界の人が異世界で働くのですから病気であったりしても困ります。健康であることは大事ですし、病原菌を持ち込まれても困ります。精神的な面で、暴力性が強い人も困ります。分かりやすく言えば健康面にも精神面にも問題なく、みんなと仲良くしながらより良い製品を作るために力を貸して頂ける存在が必要なのです」

「それは多分どこの企業でもそういった人材を求めるでしょ」

「それがですね。なかなかいなくてですね……。特にこういったことはあまり言いたくないが、日本の若い世代には、異世界というものが自分たちが都合よく格好よく生きることができるような舞台装置に見えるらしく」

「……」

「この場所にくるまでに、それなりの思想調査と言いますか。偏見や差別主義者などはある程度排除するようにはしているのですが、どうしても個人の趣味嗜好までは踏み込むことができなくて」

「ええ、と」

「先ほどのアニー君。彼女を見てどう思いましたか?」

「え?」


 どう思った? いや別に。特に大したことは思わない。獣人の人なのだ、と感じた程度だ。


 美しいとは思うし、エルフの受付嬢もそうだ女性として魅力的なとは感じても、それから先に踏み込もうとは思わない。

 特別な関係になるためには、時間と信用が必要だということはよく分かっていた。


「獣人も人なのですよ。進化の過程で、獣が人になったのではなく、人と獣の精霊が融合することで生み出された神の眷属なのです。エルフもそう、オークもそう。味道さんたち地球人と、なんら変わらない進化をしてきた種族なのです」

「それはそうでしょうね」

「ところがですね。獣人と見ると、尾を触りたいとか。モフりたいとか、そういったあからさまな差別というか、異常性愛と言いますか」

「そういった文化が一部にあることは否めません……」

「持っていてもいいんですよ。でもそれを表に出されると困るんです。ちゃんとその部分を分けて就業していただかないと駄目なんですね」

「おっしゃる通りだと思います」

「そういうわけで今回の面接は、転送装置を使って、心理的な部分で人間とは違う種族に対して、異常な愛着などを抱かない可能性の強い人のみ、この場所に行って来れるようになっておりまして」


 つまりここまで来れた人間だけが、食品工場で働く資格を初めて持つことができる……と、いうことらしい。


 司は自身でも部下に異世界人を扱う身だ。

 オディルの言う「差別や異常性愛」がもたらす偏見や社会的問題も、いろいろと身近に感じてしまい、返す言葉が出ない。


「なかなかご苦労されていますね」

「どうでしょう我々のやった検査を許可していただけますか?」

「許可もなにも、終わってしまった後にそれを求められてもどうしようもないですよ。はい、としかお答えできません」

「ありがとうございます。では申し訳ないのですが、数学やこちらの世界の言語に対してのある程度の理解力があるかをテストさせて頂きたいのですが」

「そういうのもあるんですね。ええ、わかりました」


 テーブルの上に並べられた一枚の書類。

 そこには高校生レベルの数学と、外国語としての英語。ライルバープ語などが問題として用意されていた。


 質問する文章は、すべてライルバープ語だ。

 日本語しか理解できない人間には、このテストはできないことになる。


 もちろん数学や英語は問題を読めなくても解くことができるだろう。しかしその半数以上を占めた出題内容は、ライルバープの文化や常識に関する内容だった。


 しかしそれも常日頃から異世界の言語と文化文明に当たり前のように接していれば備わっていて当たり前の常識だった。


「なるほど。なかなかの高得点ありがとうございます。テストに関しては合格ということで」

「ありがとうございます」


 そこからは衛生検査や、どういった手順を踏んで制服お着替え工場の中に入っていくかとか、製造ラインでどのような工程があり、どんな作業をするのか、みたいな

ビデオを15分ほど視聴する。


 週の何曜日勤務したいのか、どんな作業を希望するのか、苦手な作業はどんなものなのか、などなど。それぞれの質疑応答は終わる頃には、二十時を越えていた。


 最後に司の制服サイズを計って、なんだかよく分からない面接が終わった。


「質問があるんですか」

「何でしょうか」

「交通費のことです」

「基本的に交通費の支給はしていなくてですね」


 ただ、とオディルは付け加える。


「日本各地のポイントに、ゲートを通じることで移動できる転送装置が設置されています」

「は……? 地球側では転送魔法は使えなかったのでは?」

「いえいえ。こちら側ほど大規模には使えないということですね。バスや地下鉄に乗るイメージで、ご自宅近くの転送装置のポイントをお伝えしますので。そこに押してもらったら、数分で行き来することが可能かと」


 そんなに便利なものがあるんならもっと早く言えよ……。

 自家用車で異世界まで行ってきて二回も三回も転送されて、ようやくここでネタばらし。これはちょっとひどいんじゃないか? まあそれでも、数分行き来できるならいいんだけさ。


 表情には出さないように、心の中で司は愚痴を言う。

 するとオディルはちょっと困った顔をして、こちらからの質問がある、と言い出した。改まったその言い方に、司はついつい予防線を引く。


「ゲームやアニメ、漫画やライトノベルのようなエンタメが展開してきた中に、先ほどおっしゃったような一部問題のある文化が根付いていることは否定しませんが」

 自分はそうじゃないですよ。と告げようとする。オディルはとそうじゃない。と手を振っていた。

「これはそういった問題ではないんです。サキュバスに悪いイメージはありませんか?」

「サキュバス? あの夢魔のことですか? 西洋の伝説にある妖精というか、その」


 オディルはアニーの手前だろう、そっと声を潜めて返事をする。


「男性の性を吸い取るという認識が強く持たれているのではないかと」

「そういったものもあるようにも思いますが……それが何か」


 まさか、風俗にでも誘われているのだろうか?

 サキュバスと言われたら性風俗業に従事している、と勘違いしてしまう。

 もしかしたらそれは誤りかもしれないが、ラノベとかならだいたいえっち系だ。


 仕事仲間になったから、もしくはなる予定だから、これからそういった夜の店に繰り出そうと誘われているのかな? と司は誤解した。


 だけど、と慌てる手前で思考が冷静になる。

 ついさっまで、地球人の持つ偏見が異世界の人々を傷つけていると言ったのは彼なのだ。


 そんな彼が自分を、そんな場所にさそうだろうか? おまけに、このオフィスはあまり広くなって、獣人のアニーならどんなに声をひそめても、自分たちの会話を耳にしていることは疑いようがない。


「彼女たちも同じ工場のラインで働くことになると思いますので、その辺りの前振りと言いますか」

「ああ……。自分が誤解しないように教えて下さったんですね。ありがとうございます」


 よかった。風俗に誘ってくれてるんですねとか思わなくて。

 そんな発言したら、せっかく決まりかけたはずの副業が、ふいになるところだった。


「では残りは現地で説明するということで」

「はい、よろしくお願いいたします」


 こうして司は――異世界の食品製造工場にある喫煙室で、煙草を吹かすことになった。

 いや、違う。

 副業をすることになった。

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