第4話 受付嬢

 異世界では、ある場所からある場所まで物体を瞬間的に移動させることが可能な、転送魔法が特に発達していて、例えば日本では東京から九州まで個人的な贈り物を郵送したら、早くて二日。遅くて三日ほどかかってしまう。


 だが、ライルバープでは一瞬だ。

 運べる物品には制限があるようだが、それにしても千キロ近い道のりを、たった数分で移動できるというのは脅威的だ。


 この技術はあいにくと、魔法を使うための基礎となる『魔素』が少ない地球では、応用できないらしい。


 残念な限りだが、異世界で発達した魔法は、その世界の物理法則でのみ成果を表すもので、科学者たちが期待するような科学との応用にはあまり至っていない。


 しかしそれは地球についてのみ言えることで、この世界に向けて地球側から供給する技術はその枠にとどまらなかった。


 簡単にものを移動できるということは、言い換えれば、さまざまな土地からさまざまな技術が、多種多様な土地に向かって広がっていくということだ。


 それはつまり軍事的な転用も可能で。むしろ、戦争によってこの転送技術は発展を遂げてきたといってもいい。


 そうなると別角度から飛躍的に進歩するものがある。空間と時間をこえて敵が侵入してこないようにするための、防御の技術だ。


 この二種類の魔導技術だけが進化し、あまりにも広く大衆によって受け容れられてしまった結果。なにが起こったか。


「結果として、防御や阻害認識の技術が進化しすぎたために、豪華で壮麗で、派手なゴシック建築の典型みたいな華美で良しとする、建築物ばっかりになった」


 歴史で学んだことを思い出しながら、息の詰まる狭苦しい空間から解放され、司は「やれやれ」と大きく息を吸った。


 先ほど車で通ってきた道は、ロベルダス回廊と呼ばれていて、いまは後に見えるロベルダス山脈の外側をぐるりと周回する道になっている。


 その回廊はどこも切り立った崖が左右にあって、どうしてそうなったかというと、転送魔法に大きな関係がある。


 魔法を行う際には、魔素が必要だ。

 ゲームなんかでよくみる攻撃魔法のファイアーボールも、回復魔法のレザレクションも、転送魔法のワープすらも、発動するには魔素が必須となる。


 魔素は術者が発した呪文や公式などにより、絡み合って魔法という人為的に特殊な自然現象を発動する魔法へと変化する。

 変化した場合、術者は発信する人で、対象物は受信するなにか、だ。


 そこには魔素の移動が発生する。つまり、魔素の移動や侵入を防げば魔法は発動しないのである。


 ということは、魔素を遮断する建築材を建物や都市を覆う壁材の一部に使用すれば、転送魔法は発動しないのだ。


「そして転送魔法は空からも、地下からもやってくるから、高層建築が増え、地下の迷宮みたいな建築物も増えていく……な」


 だから、いま車の車窓から見えているライルバープ特別行政区には、そんなまさしくファンタジーの世界にしか存在しないような、壮麗な摩天楼のような夜景が広がっている。


 もっとも、実際にそこを訪れてみたらニューヨークとか東京とかと比べても、なるほど大都市だな、くらいにしか感じないというわびしさがあるのだが。


 話が逸れた。魔素の話だった。ロベルダス山脈は、そのほとんどが魔素を遮断するアスティラ鉱石でできているのだ。


 転送魔法は二千年近い歴史があるらしいが、その間、ずっと山脈を丸くくり抜く形で鉱石を採掘し、輸出してきたという背景が、ライルバープにはある。


 異世界で日本と国交を持つこの国、ライルバープの主産業はアスティラ鉱石の採掘と輸出なのだった。


 そんな資源国家が日本と手を組み、特別行政区と呼ばれる経済特区の開発に乗り出したのは、ここ十年ほどのこと。


 回廊を抜け、脇道にそれて山道をさらに車で降りると、いかにも現代地球的な工場や倉庫群の屋根がそびれたつ、ライルバープ特別行政区。通称、『特区』に司は車を乗り入れた。


 計画的に整備された港を併設するその一角に、目的地であるライルバープ食品工場は存在する。


「自宅からここまで約二十キロ。片道30分か……車で来るには遠いなあ」


 運転席のダッシュボードにある距離計で実際に移動距離を測ってみると、電子メーターには「19,5km」と表示されていた。

 もし採用となって週に四日間ほど通うとなると、それだけで往復160km。


 一月で600kmほど車で通勤することになる。派遣会社は時給が高いぶん、交通費の支給がないのが通例となっている。


 司のベンツは燃費が1ℓ当たり15kmとあまり悪くない。それにしてもガソリン代が高騰している地球では、これは相当の出費になる。


 単純換算して、一月の交通費だけで諭吉が一枚。下手をすればもう少し足が出ることになる。これは経費面から考えても、損をするために働きに来ているようなものだ。


「……詳しく条件聞いてみてから考えよう」


 青い屋根に体育館ほどの大きさの倉庫が三つ横に連なった形で、目当ての食品工場は構成されている。


 事前に調べた話では地下四階まであるらしく、メインとなる工場はあるのだという。上に突き出した建物はあくまで従業員用のものと、配送センターを兼ねているということだ。


 工場の西側に乗用車を千台は置けそうな駐車場が用意されていて、車の通行を管理している守衛に目的を告げると、駐車場に繋がるゲートを開いてくれた。


 流暢な日本語を話す守衛は異世界人。身長と体格は西洋人に似ているが、髪は銀色で瞳は紫、額から突き出した二本の角は、日本古来の鬼を想起させる。


 白いワイシャツにベストを着込んだ彼は、「そこの空いたスペースに止めてくれ」と言い、車の鍵をロックして守衛室に行くと、建物の中に入るパスをくれた。


 これも日本でありきたりの、企業訪問などをしたら一時的に貸与してくれる首から下げるタイプのストラップとその先に透明なパスケースがついたものだった。


 中にはICチップつきのプラスチックカードが入っている。


「ここからどうやって行けばいい?」

「歩いてる必要ない。ここから入ればいいんだ」

「ここから?」


 警備員の鬼……異世界ではオーク族と呼ばれる彼が親指の先で示すそこには、守衛室の隣に設置された小さな二階建ての建物があった。


 大型トラックでも出入りできそうなその扉は常に開け放たれていて、向こう側には見知らぬ壁が見える。


「そのままくぐればいい。工場のロビーにつながっている」

「ああ……転送装置ですか」

「そういうことだ。早く行かないと、中は広いからな。遅刻するぞ」


 守衛室の壁にかかっている壁時計を彼は見ていた。

 派遣会社との約束の時間は十八時。もうあと五分と少ししかない。


「ありがとうございます!」


 仕事の日でもないのに、スーツを着込んでビジネスバッグを手にした司が、革靴の足音を残して消えていくのを、オークの守衛はのんびりとした目で見送った。



 それをくぐると、今度は工場の入り口。玄関ロビーがあり、そこには緑色の髪をした金色の眼の女性が二人、黒の帽子に、白のシャツ、ピンク色のジャケットに身を包んで、受付に座っている。


「いらっしゃいませ」


 丁寧な日本語と、そつがない対応はデバートの案内係を思わせた。

 地球人よりも耳が長くて、先が細くなっている。


 エルフ族の女性たちだった。

 この会社を訪れてくれたことが心の底から嬉しいように、彼女たちは完璧なほほえみをマスターしていた。


「ライルバープ・ワークと面談の約束を頂いております、味道と申します。王都工場。第三準備室を指定されてきました」


 王都はここから遠いのでは? と告げた後で司はふと疑問を感じた。

 ここはライルバープ王国の西側だ。王都は東側にある。なぜ、王都工場? と妙な感覚になる。


「ここは特区工場ですから、そちらの入り口から王都工事用、第三準備室へと転送いたします。どうぞ、お入りください」

「え、ここでも転送?」

「大丈夫ですよ。地球の距離に換算したたかだか八百キロほどですから」


 東京から四国まで片道でいける距離だ。

 それを大丈夫と言われても、なあ……? 俺はまだ早死にしたくないぞ?

 受付嬢の一人がカウンターから離れて司を案内する。


 エレベーターの入り口のようなそれが開き、中に入ると行き先を示すボタンを彼女が指先で押す。


 ガラガラと扉がしまい、ウィンンッと駆動音がして一瞬だけ重力から解放されるこの一連の流れは、まさしくエレベーターに乗っている気分、さながらだった。

 受付嬢が押したボタンは、上から十五個目。


 上下するエレベーターの中で行くそれぞれの階を通り過ぎると点灯する光景が、そこにある。


 司が昼間働いている職場にもエルフはいる。しかしあちらのとは種族が違うのか、髪の色と瞳の色が少しばかり違った。


 司の部下は黒髪に青い瞳だ。緑色の髪の女性にはこれまで出会ったことがない。

 体型も少しばかり違い、司の部下は豊満なプロポーションだが、こちらの受付嬢はまるで少年のように細い。


 女性というよりも少女。少年と少女の合間にありそうな、そんな中性的なものを感じて、心がどきりとする。


 失礼ながらこの受付嬢にふさわしい言葉は「妖精」だろう。


 こんな魅力的な女性が俺の側にもいてくれたら、などと不敬なことを感じたのは内緒だ。


 だが不思議だ。彼女には……香水やシャンプーといった、ものも含めて、人間的な匂いがない。香りが無いのだ。


 数十秒しか箱のなかにはいなかったが、司にはまさしく数百キロを移動したときのような、時間の感覚が襲い掛かってくる。


 少しばかりくらっとして、手を額に当てると、受付嬢が「言い忘れていました」と告げた。


「転送に慣れてない人は、時空酔いを発症することもあります。もし気分が悪くなったらおっしゃってください。回復魔法かけますので」

「いや大丈夫ですけど……。使えるんですね、魔法」

「そのための私達ですから」


 なるほど。医者を用意するよりも、医療行為のできるスタッフを受付嬢として採用した方がコストは安くなるのか。

 異世界ならではの人材の登用に、司は少なからず感心する。

 チンっと呼び鈴のような音がして、箱の入り口が開くと、そこにはさらに見知らぬ通路と天井があった。


 さっきまで白とサーモピンクの配色された壁が続くロビーにいたのに、こっちはパステルブルーの壁紙が一面に続いていて、天井は丸く楕円形。赤味を帯びた木製のそれは、あまり見覚えのないものだ。


 古い日本家屋を訪れた時のようなそんな懐かしい匂いが心を満たしていく。

 時空酔いとかは、いつのまにか司の中なら消えていた。


「こちらが第三準備室です。お戻りの際は、転送装置のこの部分」


 とエルフ嬢は金属製のプレートに自分が胸に下げていたストラップのケース部分を当てる。


「内蔵されているセンサーが識別して、着た時にくぐったゲートまで、入り口を繋いでくれますから」

「それ以外の場所に間違って行ったりとか。任意に移動先を選ぶ時は?」


 初めて使うシステムだ。間違いないとも限らない。不安になって質問すると、それはありませんと笑顔で否定された。


「この転送装置を使うには権限が必要ですので。入った場所しか戻ることができません」

「そうなんですね。それじゃあ……ありがとうございました」

「面接上手くいくといいですね。頑張ってください」


 人間離れした存在のはずなのに、受付嬢の励ましの言葉と微笑は、初めての場所、初めての経験、人生初の冒険にも近いことを始めようとしている司にとって、天使のように美しいものだった。


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