第3話 異世界の夜
『ようこそいらっしゃいました、ライルバープ・ワークへ!』
求人広告のリンクを辿ると、デカデカと派手な派遣会社の社名が載せられたホームページにたどりつく。
赤色で、ところどころに黒で影が入っていて、いかにも怪しそうな雰囲気を漂わせていた。
思わず「うわっ」と小さく叫んでしまったほどである。
司は自分が働きたい職種を、求職一覧表から選んだ。
もちろん、『食品製造業。勤務地:ライルバープ』だ。
まずは個人情報を入力し、その後に送信されてきたメールを開封して、その中にあるリンクを開くと、ようやく目的の派遣会社のHPにたどり着いた。
続いて詳細な個人情報の入力。職務経歴などをスマホの画面をタップして入力する。
職務経歴……製造、販売、倉庫仕分け、営業、人事管理。なんでもやってきたから、その辺りは嘘偽りなく入力する。
『入社説明会の予約を行いますか?』
という画面で、今月。20××年3月のカレンダーが表示された。
見てみると、〇、△、×、(△は余裕あり)、となっている。
○は枠が空いている。△はもう埋まりそう。×はもう既に入社説明会の予約枠が埋まったという意味らしい。
今日は3月14日、金曜日だ。土日は暇だから16日の18時からの枠を選ぶ。ちょうどその枠には〇がついていた。
「必要書類、履歴書・職務経歴書、身分証明書、マイナンバーカード」
まあ、普通の就職や転職を行う際も、こういったものなのだろう。
係による面接がある、と記されている。
最後に予約完了の文字をタップして、すべての情報を送信する。
予約完了のメールが送られてきて、開封してみるとそこ書かれている面接予定地に、司は目を見張る。
『面接予定地:ライルバープ食品、王都工場。第三準備室』
と、書かれている。
「え? こっち(日本)で面接じゃないの? いきなり現地? しかも、工場内ってどういうことよ?」
司の働いている会社も、コールセンターの派遣事業とか業務請負事業を行っている。
そこの管理職である司もまた、新規採用する人材の面談は日常茶飯時だ。
派遣登録会は、就業先のオフィスで行うこともあるし、自社のオフィスに招いて行うこともある。
人数が多い場合は、派遣先の周辺で数日間、どこか公民館などの会議室を借りてやるのだが、それでいても採用規模は数十名を越えることはあまりない。
派遣会社によっては、自社が持つ派遣先の情報を他社に知られまいと、気を遣うことも当たりまでにある。
そういった裏の事情を知っているからこそ、司は呆れた。
なんて、脇が甘い会社なんだ。
これなら俺が登録に行き、数カ月勤務して、工場の上役とある程度知り合いになったら、司が本業の会社がしている派遣免許を利用して、営業をかけこのライルバープ・ワークの持つ人員派遣枠を、すべて根こそぎ奪いとることだって、できてしまう。
「いやまあ。アルバイトすることが目的じゃないし、しないけどさ」
不純ながらも目的は出会いだ。
働きながら自分の人生に新しい彩りを加えてくれる、そんな相手に巡り会えるなら。
少々の肉体労働や眠気なんて、先行投資だと考えれば大したことはない。
我慢して働いて、そして喜びを手に入れることができるなら、こんなにお得なことはないからだ。
最も、向こうに働きに行ってみたら、日本人の男に興味がない女性ばかりだったら、それは成り立たないのだが。
日曜日、夕方。
司は愛車のベンツを駆って、高速道路を走っていた。
市外を走るこの線は、途中で分岐して、異世界へと通じるゲートの下まで続いている。
ゲートの手前で車体に設置したETC車載機が、高速料金の精算と異世界ゲートを通過する通行料、そしてパスポート代わりの個人情報確認を簡単に終わらせてくれる。
低速で走行したまま、日本と異世界を往復できる仕組みだ。
もちろん、危険物や違法薬物、国際条約で禁止された輸入品などは持ち込めない。
この辺りは明らかにされていないが、異世界の魔導科学と呼ばれるものと、現代地球の科学には類似性があり、互いの技術を補完し応用することで、密輸や不法入国などの被害を防いでいるらしい。
ピッと通行許可を示す電子音が鳴ると、司はゲートに向かい速度を上げた。
ゲートそのものは、巨大な凱旋門のようなものだと考えたらいい。
大型トラックや、飛行機、外洋を運行する巨大なコンテナ船ですらも行き交うことができるほどだ。
その大きさは推してしるべし、というところだろう。
車の運転席から、ゲートの向こう側に見えるこの世とはまったく別種の光景に圧倒されながら、司はそれを潜り抜けた。
ゲートがこの場所に開いて、約十五年になる。
司があちらの世界に行った体験といえば、修学旅行ぐらいなものだ。
ライルバープは風光明媚な土地で、日本で言えば沖縄のような温暖な気候を持っている。
年間を通して台風のようなものが訪れることもないし、その土地に住む人々の気質もまた、温厚で柔和なものだ。
文明レベルを地球のそれと比較することは難しい。
ある意味で現代風だし、ある意味で中世ヨーロッパへとタイムスリップしたんじゃないか、と錯覚を覚えることもあって一概に例えることが難しいのだ。
例えば現代では個人の権利が何よりも尊重される。でもライルバープでは集団としての権利や義務を大事にする。
身分もあるし、貴族もいる。魔法のある社会だから、本物の魔法使いもいるし、異種族だって存在する。
だが、その多くの結びつきは血縁や土地ではなくて、お金だ。
王様がいるとする。支配層の貴族がいて、市民がいて、奴隷がいる。
身分的な序列があるから、下から上に逆らうことは基本許されない。でも、そこには例外があるのだ。
それがお金。
たとえ奴隷であっても、主人に対して奉仕するのだから、賃金を支払わなければならない。
奴隷にもれっきとした人権があり、それは法律で保障されている。
もし主人が奴隷に対して支払いを怠った場合、厳しく法律で罰せられることになる。
あちらの世界では何事も契約ごとで物事が進むのだ。
異世界においてはたとえ奴隷であっても、それは卑しい職業ではないのだ。
とはいっても身分制度が存在する以上、やはり差別や偏見も根強く残っているわけだけど、貴族の人間が奴隷に対して「お前は卑しい身分だ」なんて、罵ろうものなら即訴訟。
面白いことはもう一つあって、向こうの世界では罪の重さは身分に比例するのだ。
同じ商店から、同じ価格の、同じパンを貴族と奴隷がそれぞれ盗んだとする。
逮捕された場合、奴隷は盗んだ商品の値段分を弁償し、謝罪し、ちょっとした刑罰が与えられる。
貴族は身分社会の上位にいて、人々の手本になるように生きることが社会的に求められている。
だから、下手をすれば死罪になる。罪も罰も褒章も身分によって重さが違うのだ。
逆に貴族と奴隷がそれぞれ善行をしたりする。
例えば、街なかで暴れていた暴漢を取り押さえたりした時だ。
貴族にはせいぜい、国王陛下から賞状とお褒めの言葉が与えられるくらいだろう。
しかし、奴隷は身分が高くなる。社会的に制限のあった奴隷からより社会的な制限の少ない市民へと、クラスアップすることができる。
これはなかなか面白いシステムだなあと思いながら、偉くなればなるほど、損をするシステムだな、と司は直感的に思っていた。
そんなことを考えながら車を走らせること、十数分。
左右を高さ数百メートルの切り立った断崖が圧迫する光景が続く舗装されたアスファルトの道をずっと走る続けると、いきなり視界がパッと開いた。
高すぎる崖に阻まれて見えなかった空が、いきなり明るくなる。
そこにあったのは、これで数度目になる異世界の夜だった。
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