エピローグ 大草原の小さな家
東大陸へ向かう旅客船の甲板から、ジンジャーは崩壊したニューコークの街を眺める。瓦礫の撤去が始まり、人々は元の日常を取り戻そうと懸命に働いていた。生き残った人々が、確かにそこで生きているという実感が胸に迫る。
船内のラウンジへ引き返し、出航前に港の屋台で買ったワッフルを齧る。刻んだハムとタマネギを炒めた具を香ばしいワッフル生地で巻いてある。おいしいけれど喉が渇くのが難点だ。
店主の話によれば、崩壊したワッフルスタンドから機械を引っ張り出して営業を再開したのだという。ジンジャーはそのたくましさを心から尊敬した。
荒野の旅は一日一日が死と隣り合わせだった。魔獣や強盗の危険は元よりあったし、ジンジャーには『敵』や賞金稼ぎの存在も大きかった。
あの汗と血にまみれた騒々しい日々が、今はもう懐かしく、そして愛しかった。
旅路を追想してワッフルを齧っていると、床に固定されているテーブルの隣の席に、どすんと腰掛ける男がいた。
「嬢ちゃん。あんたかい、『災厄のジーン』ってのは?」
「耳が早いわね。あなた、賞金稼ぎになったの?」
そこにはくわえタバコをふかすスコールの姿があった。
「デーリィ興産はどうしたのよ?」
「俺のほうからお払い箱にしてやったぜ」
「『赤毛狩り』の件ね。本当は『赤毛の魔女』の賞金なんてどうでもいいんでしょう。『赤毛狩り』の狙いは、本物かニセモノか判別の難しい賞金首を保安局や裁判所に引き渡すことなんじゃないの?」
「おまえさんもアウトローの流儀が分かってきたじゃねえの。そうさ。『赤毛狩り』は施設の処理能力を越えた数の犯罪者を送りつけて、でかいヤマに手を出したり、仲間を脱獄させるのが狙いだった」
「ふうん。脱獄って小悪党じゃなくて、誰か大物でも逃がしたの?」
「まさにそこだな。昔の幹部が戻ってきて、組織単体ででかく膨れていくか、保安局の奴らと癒着して公権力の威光に与ろうか、ってところで組織が四分五裂さ」
「――で、派閥争いが面倒くさくなって逃げてきたわけね」
「そゆこと。おまえさんが言ったとおりニューコークの猿が『最後の敵』っていうなら、もう『赤毛の魔女』が現れることはないからな。『赤毛狩り』は成り立たねえ」
スコールは船の傾きに合わせてテーブルを滑る灰皿を引き寄せてタバコを押しつけた。
「俺はもう廃業だ。おまえさんはどうするんだ?」
「わたしだって平和に心穏やかに暮らしていきたいわ」
そう未来を語ったとき、船室に銃声が響き渡った。
瞬時に視線を走らせる。ラウンジの一角で、船員を人質に取った男が銃を構えて大声で喚いている。
「言ったそばから、あれは何よ。列車強盗じゃなくて船強盗? それとも海賊?」
「シージャックっていうんじゃねえか」
汗と血にまみれる騒々しい日々が向こうから転がり込んできた。
ジンジャーとスコールは共に銃を抜く。
「デビュー戦だな。『災厄のジーン』さんよォ」
「これが済んだら何にも起こらない。わたしは東大陸でかわいいお菓子屋さんか、評判のサンドイッチ屋さんになるわ。お客さんの目の前でサンドイッチの具を選んでその場で調理するスタイルの超画期的なお店よ」
「お、いいなそれ。俺にも一口噛ませろよ」
「あなたの食べかけのサンドイッチなんていらないわよ」
「誰が一口食わせろって言ったよ!」
再び銃声が鳴る。男はふたりを指さして怒鳴った。
「うるせえぞ! おまえら!」
「あなたが黙りなさいよッ!」「今こっちが話してるとこだッ!」
ふたりの容赦のない銃撃が男の足を撃つ。悲鳴を上げて男はすぐに取り押さえられた。
これは生まれたばかりのアウトロー『災厄のジーン』の伝説の、最初の一ページにも記されていない、彼女のごくごく当たり前の日常の一幕だ。
『お嬢さま。渡航先は紳士淑女の国ですよ。おしとやかに』
非常識な喧騒の中で天使が囁いた。その吐息が伝説の新しいページをめくっていく。
――『災厄のジーン』と呼ばれた伝説のアウトローの足跡を遡ると、必ず『赤毛の魔女』というおたずね者にぶちあたる。未だもって正体の定まらない謎の人物である。『災厄のジーン』がかつてそう呼ばれていたことは確かだが、『赤毛の魔女』は一年に満たない活動期間で西大陸のほぼ全域に出没している。本当に魔女だったのだという説もある一方で、私は彼女が複数人いたという説を支持する。『災厄のジーン』はそのうちのひとり(生き残りなのか、彼女以外が足を洗ったのかは不明だ)だと考えている。
『災厄のジーン』が現れる直前に活動していた、ジーン本人と思しき『赤毛の魔女』の足跡を辿った。(この時期『赤毛の魔女』を狙う賞金稼ぎにより赤毛の少女がさらわれる事件が横行していた。そのためジーン本人が活動を始める前後に『赤毛の魔女』を名乗る少女が大陸じゅうに存在した。私が調査した『赤毛の魔女』が本人である確証はない。)
私が調査した『赤毛の魔女』はかつて、私が別件で取材した際に出会った旅の少女だった。さいわい私は彼女の本名を知っていたので、聞き込みを続けて、彼女の生家に行き当たった。
彼女の実家は西部の牧場だった。町から離れた一面の牧草地に、ポツンと家と厩舎があるだけ。血の気の多いカウボーイはいても、牧歌的でひどくのどかで、『災厄』とまで呼ばれるアウトローが育ったとはとても思えない。
私は彼女の両親に取材を申し込んだ。旅の中で知り合ったのだと話すと快く家に招き入れてくれた。両親ともにおおらかな人柄で、娘を愛していることが伝わってきた。
彼らは娘が旅立つ前に残した置手紙を見せてくれた。きれいな白い封筒に、几帳面に折り畳まれた手紙が入っていた。
内容は遺書を思わせる文面だった。わがままで家を出ていくこと。自分が二度と帰らないかもしれないこと。牧場の仕事が好きだったこと。――家族への愛がつづられていた。
彼女の手紙は最後にこう結ばれていた。
――もし家に帰ることがあれば、おいしいラズベリーパイをごちそうします。
完
光の巨人と融合した悪役令嬢はどうすればいいの? 豊口栄志 @AC1497
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