11  乾いた風の中




「えっ、あんた自分の家に帰ってたの。」


翌日帰って来た俺にキューサクは言った。


「ベルツのそんな事を聞くなんて驚きだわ。

あんたってそんな話をしないから、もっとクールな男かと思ってたけど。」


キューサクは汗まみれになってごしごしとデッキをブラシで洗っていた。


「俺だって木の股から生まれた訳じゃないから親ぐらいいるさ。

それに俺はいつだってクールだぜ。」

「気取ってんわね。ところで何よ、その袋は。」


キューサクは俺が持っている紙袋を指差した。


「火星印のTシャツだよ。」

「ださーい。」

「おふくろが寄越したんだぜ。

親父の所から出荷した綿で作ってんだよ。

レッド・サンドの地場工場で地元活性化のために

出荷しているんだとさ。」

「ごめん、ごめん、でもあんた、急に変わったわね……。」

「うるせーな。」


俺は上着を脱ぎ、別のブラシでデッキを洗い出した。


「ところで金策はどうなった?」


途端にキューサクは暗い顔になった。


「まずいのか?」

「ちょっとね。船のローンは引き伸ばせないからねぇ。

この船が差し押さえとなってはおまんまの食い上げだわ。

かと言って金を借りるにもこんな仕事では

貸してくれる所はなかなか無いのよ。どうしょうか……、ベルツ。」

「パルプの野郎に泣き付くか?」

「こんなすぐにスペシャルカードを使うのも悔しいけどねぇ……。」


汗まみれの男二人は薄いピンク色の火星の空を見上げた。


その時、向こうの方から白い小さなウイングが

こちらに飛んでくるのが見えた。


「あれ、こっちに来るのかしら。」


白いウイングはこの船の上に着陸するつもりらしく近づいてきたが、

妙にふらふらとしていて実に危険極まりない様子だった。

そしていきなりどすんと落ちる様に着陸した。


船は振動でぐらりと傾き、

俺とキューサクは危うく船から振り落とされ

ドックのプールに落ちるところだった。


「なにすんのよ!」


キューサクは叫んだ。

白いウイングの車輪はデッキを破っていた。

とんでもないひどい運転だ。

こんな奴に飛行免許証が出ているとは信じられない。


だが、コックピットが開いて出て来た人物を見て

俺もキューサクも驚いた。


アイリスだった。


「ごめんなさい!私、運転下手なの。」

「……下手と言ったって限度があるわよ……。」


キューサクは半分泣きそうだった。

そりゃそうだ。金策で悩んでいたところにこの事故だ。

誰だって泣けてくる。


「どうしたんだ。」


俺は降りてくるアイリスに手を貸しながら聞いた。

彼女はにっこりと笑いながら俺を見た。

なぜか俺はひどくどぎまぎしてしまった。


「お金を払いに来たの。」


突然キューサクの顔が変わった、がまた暗くなってしまった。


「それは嬉しいけど、修理代もかかるわ…。」

「もちろんそれも払います。」

「でもローンとか払っちゃったら、当座の生活費が…。」

「やめろよ、キューサク。」


しみったれた親父だ。


「で、アイリス、どうしたんだ。

金を振り込むだけならわざわざ来なくても…。」

「父の裁判の結果が出たの。」


ドルリアンはハッキングの行為を裁判で証言したおかげで、

かなりの減刑になったらしい。

ちなみに例の高官は懲戒免職で執行猶予だ。

そしてパルプは何事も変わっていないそうだ。


「裁判所で父にまた会えたの。あなたによろしくって。」


彼女は明るく言った。


あの後アイリスにどのような心境の変化があったのかは分からない。

でもこの笑顔を見る限りには決して悪くなったとは思えなかった。


「パルプさんも私に免じて

もう父には関わらないって言ってくれたのよ。」


キューサクが後ろでくすくす笑った。


「あんたのライバルよねー。」


俺は振り向いて奴を睨んでやった。


「ああ、怖いー。でもアイリス、助かったわ。

船のローンだけでもどうにかしないと、

普段から遅れがちだから差し押さえられちゃうのよ。

これで今回は無事ね。」

「明日にでも引き出せるようにします。でも……。」


彼女はなぜが口ごもった。


「なに、なによ、なにか駄目なの。」


彼女はにやっと笑った。

いつもの素直な微笑みとは違う、何かを企んでいる笑いだった。


「私をここに置いてください。」

「えっ!」


二の句が継げぬと言うのはこの事か。

この彼女の申し出は唐突過ぎる。

何も言えない俺達を見て、彼女は急に不安そうな顔になった。


「あの、駄目でしょうか……。」

「でもアイリス。」


キューサクがすっとんきょうな声で喋り出した。


「ちゃんと家があるんでしょ?大金持ちの娘じゃない?」

「追い出されちゃんったんです。

エレの経営は私達の一族が一手に行っているけど、

私は母の跡を継いだだけで全くの役立たずだったから。

そのうえ急にどこかに行ちゃうなんて無責任だって。」

「でもほんの一週間位でしょ?」

「それにお父さんの事が裁判になってみんなに知られちゃったし…。」

「それで出ていけってか。」

「ええ。」

「嫌ねぇ、上流階級って…。」


キューサクがため息をついた。


「でもこれですっきりしたわ。

あんな堅苦しい面子ばかり気にしている世界はもう真っ平。

お母さんもあんな世界から逃げたかったのよ。きっと。」


彼女の表情は思ったよりさっぱりしていた。


「かと言ってあんたをここに置くわけにはいかないわよ。

ただでさえ苦しいのに、これ以上食いぶちが増えてはたまらないし、

働くったって探し屋の仕事にはライセンスがいるのよ。

きれいな仕事じゃないから女の子には無理。

普通のところで普通に暮らすのが一番だから、

アパートを借りて会社に勤めなさい。」


腕組みをしたキューサクはアイリスをじろじろ見ながら言った。

しかし彼女はにこにこしながら何かの書類を出した。


「ここからあまり遠くない所に船のドックを丸々借りました。」

「えっ?」

「五十年契約でそこの設備の使用料と人件費も含まれています。

でも消耗品は実費ですけどね。」

「それって物凄く高いんじゃないの?」

「はい、凄かったです。

でもエレから退職金と言う名目でお金をもらったので、

それで払いました。

で、これがそこの契約書で契約者は私です。

キューサクさん、そこを借りませんか?」

「何が言いたいのあんた。」

「私にはそこの賃貸料が入ります。

何艘ものドックプールがありますから。

それでもし船に乗せてくれるのなら、

ドックは私のものですからジェイブルーはただです。」


すっかりアイリスのずる賢くも優しい交渉に飲まれて、

キューサクはもう目を白黒させている。

俺はもうおかしくて仕方がなかった。


「ベルツ!何をくすくす笑ってるのよ。」

「どうする、キューサク。

ドックがただになるだけで一人食いぶちが増えても釣りがくるぜ。」

「そりゃあんたは嬉しいかもよ。でも……。」

「な、なんて事を言うんだよ、

でもアイリス、結構この仕事はきついぜ。」

「ええ、がんばってライセンスも取るわ。置いてくれる?」


俺が返事をしようとした時、キューサクが俺を止めた。


「これはあたしの船よ。あたしが決めるわ。」


キューサクの様子は真剣だった。


「アイリス、あんたご飯作れる?」


アイリスは黙っていた。


「洗濯出来る?掃除もどう。」


返事がない。俺は不安になった。


「全く今時の子は困るわ、それじゃあ一人暮らしも出来ないわね。

しょうがないわ、あたしが教えてあげるからこの船で人生の勉強しなさい。

しごくわよ!」


それだけ言うとキューサクは後ろを向いて

またごしごしとデッキを洗い出した。


「あ、ありがとう、キューサクさん!」


小柄なこの親父の首筋が汗できらきら光っている。


「じゃあキューサク、地球に行こうぜ。

宇宙港近くの屋台の炸醤麺が美味いんだ。」


アイリスがにっこりと笑って俺を見る。


「だめ!まずここを掃除して、

アイリスがぶち破った所を修理してからよ。

さあ、アイリス、このブラシでここを洗って!

ベルツ、穴を見てちょうだい。

あたしはここのドックの使用料を払ってくるわ。」


キューサクはそそくさとエプロンをはずした。


「まず新しいドックに行きましょ。

地球はそれから。確かにあそこの炸醤麺は美味しいわねぇ。」


開いた穴はそれほどひどくなかった。


アイリスは長い髪を一つにまとめ、一生懸命磨き出した。

乾いた風が彼女の髪を揺らす。


「おい、アイリス。」

「はい、なんでしょう。」


彼女が顔を上げた。


「お前、ウィングのライセンスはいつ取った。」

「二十歳になってすぐですから四ヶ月ほど前です。」

「だからあんなに下手なのか、いや、あまりにも下手すぎる。

探し屋にはウイングは絶対に必要だ。それも練習するぞ。」

「はい!」


彼女はにっこり笑った。


俺も一緒になってデッキを掃除する。


いつもなら嫌々ながらの作業だが、今日はなぜかとても楽しかった。






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ジェイ・ブルー ましさかはぶ子 @soranamu

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