深淵を見つめるお仕事

沖唄

終章

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」


この言葉は確かこの仕事に就く前に書店で見かけたフレーズだろうか。



まさしく僕の現在の仕事は「深淵をのぞくこと」だ。



その頃華の無職を満喫していた僕だが、突然ここに連れてこられたのだ。

半ば無理やりに近い形で。



ある地点に出来た深淵を監視し続けることである。


どうやら、僕を連れてきた人曰く僕にしか見えない物らしい。



ただ、残念なことに僕には何も見えていないのだ。

連れて来られた部屋から、深淵を眺めようとするがどこにも見つからなかった。


なるほど、僕には才能が無いらしい。

基本的に深淵は一つに対して見えるものが必ず一人は存在するが、時々複数の深淵が見えるという者もいる。



この仕事は、出来る人が少ない割に重要度が高い。

偉い人曰く『日本を守るために必要不可欠』らしい。


こうして、監視していないと、途端に増えて日本は恐慌に陥るのだ。


そう考えると僕は日本を守っているとも言えるかもしれない。



才能を見分ける精度は現在の科学技術のお陰で高いのだが、時々僕のように才能の無いものが来てしまうそうだ。


毎日ありもしない物を探し続けるのには疲れてしまった。




「やっぱり、ここに居るべきは僕じゃ無いですよ」


そう言って上司に笑いかけたら、咎める目を向けてきた。


ごめんなさい。



ただ、まあ、定職のなかった僕には此処は良いところかもしれない。

ここでありもしない深淵を眺めるだけで、賄いも出るし、自分の部屋も与えられる。


強いて欠点を挙げるなら、活字が少ないことだろうか。

読書家だった僕としてはその点が悔やまれるな。





遠くの部屋から、暴れる声が聞こえる。

あそこは、誰が担当だったかな。


稀にこうやって深淵に心をやられる人間が現れるのだ。


そうなるのは、大抵心が弱い人だったり真面目な人だったり、監視する深淵が大きすぎたりする人だ。


そう、深淵は心を犯す性質がある。



狂った人の心は構造が違うからか深淵も入り込めない。

だから案外普通そうな人が心をやられる。


もしくは既に心がやられているのかもしれないが。





今日は珍しく、上司が部屋まで迎えに来た。


おやおや、出番ですか。…なんちゃって、そんな顔しないで下さいよ。



今日でこの仕事が終わるみたいだ。

そうなると上司と会うことは無いだろうから、僕が恋しいらしい。


ツンデレかな。



そして、僕は初めての部屋に入る。


















「いやだ、死にたくない」


そう言って、地面は僕の足から離れた。


僕の深淵は誰が見守るのだろうか。





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