耳たぶと声
「……何だあれは」
「港」
「みなと……?」
窓の外に広がるのは赤や青や黄色やピンクの大小様々な建物だ。形状も直方体や半球や、形容し難いねじれた形など様々で、そのどれもが仁の故郷で見たどんな建物よりも大きく、派手な見た目をしている。
「これが有人星……」
以前、食料補給のために立ち寄った浮遊衛星など目ではない。目にも音にも賑やかな街の間を、船は糸でも通すように進んでゆく。よくわからないが何かに誘導されているらしい。ナナは迷うでもなく自走している。
呆然と窓の外を見つめる仁の背後で、まどかはホルスターを身につけ、銃やら財布やら端末やら、そのほか着陸して旅に必要なものを調達するための支度をしている。自分も準備をしなければ、と頭では理解しているのに。
「ヨドの星」
「え?」
「って呼ばれてる。通称っていうの? 何でもあるし何でもいる、って言えば聞こえはいいけれど、いろいろなものが『澱む』場所だって。呼ばれ方はあんまり良くないけど、良い星だよ」
「来たことがあるのか」
「わたしは初めて。でも、母船にはわたしより先に出ていって移住先を探している人達が送ってきたデータがたくさんあるからね。だから知ってる」
暇さえあれば「勉強」をしている彼女の世界は、データベースに依拠して出来ている。船の外の世界、星々のかなたの物事を、絶えずインプットし続けるのは、いつか見つかるであろう新たな「母星」を豊かにするためだという。立派なものだと思う。少なくとも仁は、彼女くらいの年頃の時分にはもっと、狭い世界しか見えていなかった。今もそうかもしれない。
〈十分後、着陸態勢に入ります〉
「はーい」
「何か準備とか必要か? 掴まっておくとか」
「何時代の船だって。大丈夫だよ、そんな揺れないし、ここは割と平和なところ。人が多いからスリとその冤罪に気をつける必要はあるけど、それ以外は……ああ、銃撃事件とか立てこもりの人質なんかになった場合は、ニィさん、銃とか持ってないもんね? 大人しくしていれば最悪の事態には陥らないと思う。爆発音がした場合はちゃんと口開けて耳塞いで目を閉じて伏せるんだよ」
「割と平和って言わなかったか?」
「あはは」
笑い事か、と思いながら小さなショルダーバッグを持つ。財布や翻訳機、端末が入っている他は何もない。護身用の何がしかがあればよかった、とは思ったが、あいにく仁の故郷はそんなものが必要な治安ではなかったので何一つ持ち合わせていなかった。今後の旅のために、スタンガンのひとつでも買ったほうがいいかもしれない。
「……身を守るのに何かおすすめの道具はあるか?」
「銃。最低限ジュラルミンぶち抜けるくらいの威力のやつ」
「それ、絶対反動すごいだろ」
「何時代の銃だって」
肩をすくめたまどかに何か問おうとしかけたところで、ナナの合成音声が響く。
〈着陸まで三十標準時秒〉
「よっし、準備オッケー」
軽快な声でブーツのチャックを上げ、まどかはぱたぱたっと出入り口へ向かった。気にかかることあるが、いつまでも船に留まるわけにもいかない。
微かな音を立ててエンジンが動きを止める。それからナナの音声が外気温や湿度、酸素濃度や生存に適する環境であるかどうかを改めて告げ——そうして、扉が開いた。
多くの生き物がうごめく、未知の土地の気配が船になだれ込んでくる。
「……あ……」
無数の宇宙船が停泊する場所を、迷うことなく歩き進めていくまどかの後ろを慌ててついていきながら、仁は周囲を窺う。機械に特有の無臭に似た臭い、どこかで何かしらの排気音が、別のどこかでは翻訳機が言語判定に迷う音を立てる言葉を大声を話している誰かがいて、遠くで何かが光り、空は白く高い。
「ニィさん、こっちで手続きするよ」
「ああ……」
何もかもがもといた星とは異なる。自分のいた星はもっと穏やかだった。人々のいた頃でさえ。こんなに旅人はいなかったし、こんなに物は多くなかったし、こんなに慌ただしくはなかったし、視覚情報も多くはなく、永遠に平穏が続くのではないかというような錯覚さえ覚える場所だった。目眩がしそうになる。耳から、目から、流れ込んでくる全てのものが新しい。
手続きを待つ他の来訪者に背中を押されるようにしながら、仁は入港手続きを済ませた。何もかもがにぎやかで、めまぐるしい。戸惑う暇すら与えられず、放り出されるように街の中へ出る。
「すごい顔してる」
一足先に手続きを済ませていたまどかにそう笑われて、顔をしかめる。
「お前みたいに慣れているわけじゃない」
「楽しくない?」
「……どうだろうな」
「そっかー」
正直に言うならば、まだわからなかった。楽しいだとか楽しくないだとか思うだけの余裕もない。バッグを腹の前で握り締め、周囲の人間の歩く速度に馴染むのが精いっぱいだ。
やがて、どう歩いたものやら、随分と広い道へ出た。見上げるほど巨大な建物がいくつも並ぶ中、片手で端末をいじりがてら、まどかがこちらを振り返る。
「じゃ、わたしあっちのお店で船のエネルギーとか予備パーツを仕入れてくるから。夜には船に戻ってる予定だけど、先に戻るならナナに開けてもらって」
へらっと笑うまどかに頷く。それを確認するが早いか、彼女はするりと人の間をすり抜けてどこかへと消えてしまった。仁はまだ、荷物を体にぴったりとくっつけたまま歩き出せずにいるというのに。
目の前の建物を見る。建物、だろう。仁のいた星にはこんなに巨大な建物はなかった。行政区の役所でさえもっと小ぢんまりとしていた。全体がどれほど大きいのか、見上げてもどこまで伸びているものやらわからない。周りの建物も似たり寄ったりで、首が痛くなったから見るのをやめた。ガラス張りの出入り口の往来は激しく、ぼんやりと突っ立っている旅人に注意を払うものはほとんどいない。
「入るんですか?」
ふいに、キンとした声が後ろから投げかけられ、思わず振り返る。
「入らないならどいてください。通行の邪魔ですよ」
「ああ……すみません」
声をかけてきた女が建物の中へと入っていく。随分と急いた様子だった。いったい何をする建物なのだろう、と首を傾げる。勝手に入っていいものなのだろうか。
仁のいた星では、雑貨屋などは誰でも入ることができたけれど、例えば企業の入った建物などは許可証を持たない人間は入れなかった。ずいぶんたくさんの人間が出入りしているが、もしかしたらそういった場所なのかもしれない。が、周囲を見ても守衛などはいないようだった。出入りしているのはさまざまな服装のさまざまな年代の人々で、時折別の種の生き物らしい姿のものもいたが、他の人々と変わらない態度で出入りしている。
まどかは、この星は比較的平和だと言っていた。であれば、もしここが無許可で入ってはいけない場所だとしても、武器を持っているわけでもない自分が入ったところで注意されるくらいで済むのではないか。新しく生きる場所を見つけるのに、新しい場所へ踏み入る勇気を出さずに済むはずもない。
「……よし」
見知らぬ星の、見知らぬ建物の入り口をくぐる。雑踏が目にも耳にもにぎやかで、無意識のうちに鞄を抱きしめる腕に力が入った。人の波に押し出されるように歩いていく。
心臓がばくばくうるさく鳴る。様々な言語が飛び交う周囲の雑音を、耳につけた翻訳機が片っ端から翻訳して流し込んでくる。それらの会話から類推するに、商業施設のようであった。服屋やら雑貨屋やらが複合しているようなもの、らしい。端末でナナから送られてきたデータを思い出す。おそらく、デパートとか百貨店とか呼ばれるものだろう。
屋内通路の両脇に、小さな店がいくつも居並んでいる。ひとつひとつの店が独立しているわけではないが、店ごとに敷地があるようだった。店の細かいデータなどはあるのだろうか、と端末で情報を探し出そうとする。
「いらっしゃいませ」
「え」
「何かお探しですか?」
慌てて顔を上げると、どうやら雑貨屋に入っていたらしい。見回せば、アクセサリーを主に取り扱っているらしかった。光をよく反射するカットの宝石や鮮やかな色をした石がブレスレットやネックレスとなって所狭しと並んでいる。
耳を模した展示台にそっと差し込まれているピアスを見て、そういえばまどかにピアスを買ってやると言ったのだったと思い出す。まあ、彼女に合うものを探しがてら、自分用にも、この星に立ち寄った記念に何か買うのもいいかもしれない。
そう思った矢先のことだった。
「贈り物ですか?」
にこやかな店員の何気ない問いかけに、思わず答えられなかった。贈り物。もちろん、確かに、それもあるけれども。
今、彼女はいったい何を見て「贈り物ですか」と問いかけてきたのか、と。そんなことがふと気にかかってしまった。
「……や、その、見てるだけ、なんですけど」
視線を落とした先には艶やかな桜色をしたガラス玉のイヤリングがある。内部に金粉を抱き込んだデザインが華やかだ。
「そちらの商品、いいですよね! 新作で、こちらの薄いブルーのものと二色展開なんです。どなたかとお揃いにして買われる方もいらっしゃいますよ」
——まあ、そういうことだろう。胸の内で呟く。問いかけは、彼女の中での一般的な価値観をもとに行われる。あるいは、このような客にはこのような振る舞いを、というマニュアルがあるのかもしれない。いずれにせよ、仁を見た彼女が「そちらの商品いいですよね」より前に「贈り物ですか」と問うた理由は知れる。
仁は、本来この店が、彼女が想定している客層ではないのだ。身の丈百八十を超える男は、普通、涼やかなガラス玉を耳につける人間ではなく、キラキラと輝く色とりどりの宝石を身につけるのはそのそばにいる誰か、異性の恋人や家族だろう、と。暗黙のうちに、そう眼差されている。慣れたことだった。かつて、自分の母星でも繰り返された問いかけだった。
「……いえ、見ていただけなので」
どうにか平静な声で断る。店から逃げるように出て、人混みにまた揉まれながら流される。振り返らずに歩きたかったから、うるさいほどの混み具合がむしろありがたかった。
仕方ない、とは思う。実際、あの店にだって一人で品物を見ている男性客は自分しかいなかったはずだ。少数派である自覚はある。そういう社会通念は、人間がたった一つの星に生きていたという太古の昔から宇宙に散らばって生きる今に至るまで、消えることがなかった。
それでも、時折思う。なぜ客になれないのだろう、と。別に、女性客と同じように接客されたいわけではない。ただ、アクセサリーの購入に他の誰かを前提とされるような、付属のような扱いをされずにいたい。たぶん、かつて母が「誰かの妻」としての在り方を厭うて父のもとから自分の手を引いて去っていったのと同じように。
自分は、「誰かの付属」ではなく「誰か」でありたいのだと、思う。
それは難しいのだろう。簡単だったらとうの昔に叶っている。一人一人を見てほしい、と言うのは簡単だけれど、本当に一人一人を見つめていたらきっと社会は回らない。だから、多くの既成概念が崩壊しないまま今まで存在している。
仕方ない。仕方のないことだ。
ぼんやりと人混みに押し流されるように歩いてゆく。簡単なことなんじゃないか、と憤る幼い心と、無理なことはわかっている、と囁く理性があった。
例えば、あの小さな滅びかけの星で自分がまどかにしたように、たった一人の客を相手にするならば、客そのものを見つめることは容易いかもしれない。けれども、この星のようにたくさんの人が往来するならば、いちいち一人一人を見て接客をするなど疲れてしまう。店員だって人間だ。生き物だ。仕事をうまくこなすためにマニュアルは、視覚情報による属性でのパターン分けは、必要なのだろう。
そう思うと、もしかしたら、宇宙のどこにも仁がありのままの己を誤魔化さずに生きていける星などないのかもしれない。どんなに衛生上問題ないようまとめてもピンク色の髪の料理人は奇異の目で見られ、アクセサリーをつけた男は受け入れられにくい。人ひとりの人生で行ける星空の範囲には人間が圧倒的に多いわけで、つまり、人間がいる限りはどこにでも似たような社会規範が敷かれ続けている、わけで。船を降りて別の星で働くならば、きっと何かしらを妥協する必要があるだろう。
嫌になる。結局、自分の決めたことにすら、自分の貫きたいものすら中途半端な、己が。
なんとなく周囲の店を見る気分でもなくなって、つま先のほうを見つめて歩いていた、そんな矢先に。
「おにいさァん! そこのキレイな色した髪のおにいさんゥ! ちょいとこっち向いて、おれの演奏聴いてってよォ!」
変に甲高い男の声が、目前にひらりと飛び込んできた。
永遠の異邦人 晴田墨也 @sumiya-H
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