第37話 昭和二十九年一月三日

 新聞やラジオで大々的にハンバーグ殺人事件の犯人逮捕が飽きるほどに世間に報じられている。



 新井薬師公園で餅つきを観衆の一人に交じって眺めてから、つきたてのお餅を口から伸ばしながら頂いていた一月三日の初詣帰り。



 僕の周りには善太郎さん、羽鳥さん、五十嵐刑事、野菊さん、鼎先生、祐介君、梶木さんの姿がある。もう顔馴染みの面々で集まっている。ただ三人を除いて。



 これから篝家がどうなっていくかはまだわからない。しかし野菊さんは亡き末広さんに代わって御家を守っていきたいと強く立ち直った。彼女に賛同する篝家の家族。僕もできることはお手伝いがしたいけど、僕なんかの助力がなくても彼等なら大丈夫だ。そして羽鳥さんはどうやら昨日、五十嵐刑事と警視庁に呼び出され長時間に及ぶ事件についてのあれこれを報告していたそうだが、帰り際に正式に刑事への辞令が下りたそうだ。



 事件解決の真の功労者である善太郎さんに正月休みなんて無く、僕が一日の入院をしている間にもカメラを片手に日帰りで千葉県の我孫子にまで遠征し、手賀沼の白鳥を撮影しに行っていたそうだ。



 まったく薄情な人だと僕は呆れました。



 僕の容態はやはり危ういそうだ。まだ治療法も治療薬も見つかっていない。正直今もまだ若干の怠さはある。こんな日くらいは息を潜めていてほしいものだ、と言ったところでどうにもならないのだから諦めるしかない。せめてこれ以上は悪化しないのを先程お参りして願ってきたところだ。



 これは五十嵐刑事と羽鳥さんから聞いた話になるけど、取り調べを受けている弥生さんは素直に聴取に応じているそうだ。しかし多くの人間を残虐な手段で殺害した罪に情状酌量の余地はないのかもしれない……。



 最後に見た彼女の人間らしい笑顔が脳裏から離れない。



 現在も逃亡している加代さんだけど今はどうしていることだろう。



「みなさん、並んで下さい」



 僕は考えの一切を遮断して首から提げたカメラを手に取って見せた。あらあら、と手鏡で化粧の具合を確認する野菊さんの隣でジリジリと距離を縮める祐介君はどこかソワソワとしている。白衣を脱いでスーツのボタンをしっかりと留めた鼎先生はいつでも準備万端だというように完成された笑顔をもう作っていた。羽鳥さんと五十嵐刑事は少し緊張気味で、善太郎さんはいつも通りの肩肘張らない猫背気味に垂れた目尻をまるで眩しい太陽でも見るように少し細めた。



「撮りますよ」



 シャッターを切った。



 次は僕も交じるように全員が手招きをして善太郎さんが代わろうとするが、「賀楽さん。もしよければお撮りしましょう」そう言ってくれたのは、まさかこんな場所で出会えるとは思っていなかった、群馬で町医者をしていた塚田先生だった。



 僕はお礼を言ってからカメラを渡して真ん中に立って袴と下駄の具合を整える。袖の白地に淡い青の波模様が目立つように股の前で両手を合わせる。



「はいはい。いいですね。撮りますよ」



 賑やかな正月だった。



 人生は、であったならばの連続である。僕が病気を患っていなかったならば、病院を抜け出さなかったならば、善太郎さんに出会っていなかったならば、こうした積み重ねが今の僕だ。



「僕はいま生きている」

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死写体の賀楽 幸田跳丸 @hanemaru0320

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