第36話 昭和二十九年一月一日(3)

 善太郎さんの推理は何処からそんな情報を得てきたのか、というものばかりで五十嵐刑事も驚きを隠せないでいた。なによりもそれら全てに弥生さんは称賛の評価を与えて肯定していく。



 善太郎さんの話を要約していくとこうなる。人間ハンバーグ工場を建築した大企業の佐々木家の跡取り息子と結婚。彼の莫大な資金に甘えて外車を含む数台の車を購入し、それを保管するための敷地を用立ててもらったのがこの場所らしい。中野大空襲は弥生さんにとって好機となった。彼女は篝末広の人間性と自分の運転技術などを彼に売り込んで住み込みで篝家へと招かれた。



 専属運転手として末広さんの送り迎えや篝家の人々の為の足となって信用を得ていたのも計画の内。



 篝家や佐々木家を探れば人間ハンバーグ工場の関係者なんて簡単に割り出せる。二側面からの標的探し。そして実行。彼女は篝家や佐々木家の名を使って関係者と接触し、密会、そしてこの場所で、あのトラックのホイールと金網を使ってハンバーグ成形をしていた。



 群馬の狙撃について。狙撃銃を窓枠と台にしっかりと照準を合わせて固定し引金に紐を結びその対となる端に引き切れるだけの重りを固定、中間に氷を噛ませておけば、あとは氷が溶けて重りが床に落ちれば……、という時限的な発射装置が完成するという。床や地面に水が溜まっていたと言っていたのはそれが理由のようだが……。



 この装置は安定しない。気温や時間だって正確に計算するだけではきっと成功しない。僕は話を聞いていてそう思ったが実際は成功した。



 狙撃された僕が近くの診療所に運ばれる……、いいや、正確には運ぶように誘導したのは弥生さん自身だ。あとは自分が疑われないようにもう一つ用意していた装置を使って自分が撃たれて見せたというわけらしい。ちなみに弥生さんの旦那さんを誘拐、殺害、遺棄は加代さんの仕業だ。これで僕はまだ釈然としないけどその手段による種明かしに納得せざるを得ない。



 次に僕を誘拐したのはやはり薬物によるものらしい。そういえば食事時に警察官の方達の分は弥生さんが配膳していた。その時に薬物を混入させたそうだ。警察官以外の篝家や善太郎さんに対しては加代さん……、大庭千紗が食後の茶に混入させ、全く疑いの向かない内部犯行。



 僕はこれに大きく驚き思わず大きな声を上げてしまっていた。



「まさか……、加代さんの正体が千紗ちゃんだったなんて」



 しかし善太郎さんだけ起きれたのも話が上手すぎる気がした。



「最初から口を付けるだけに留めていた、ということか。いつから私と大庭……、加代が共犯だと気付いていた?」

「気付いたわけではないんですけどね。まあ、そうですね。しいて言うのなら憲兵時代に培った直感に従い篝家関係を調べみただけですよ。本家で妙な時間稼ぎ紛いの弥生さんの行動を不審に思い、運良く、全てが繋がってしまったというだけのこと。驚くことでもないでしょう。いや、私は驚いていますが。ああ、それと」



 付け加えて笑い、「私達の到着を察したので逃げ出したのでしょう。囚われていたのは野菊さんだけでした」野菊さんは羽鳥さんが五十嵐刑事の乗ってきた車を使って病院に連れて行ったそうだ。羽鳥さんも善太郎さんに言われて同じようにカップに口を付けただけのようだ。



 犯人を追い詰めるためにあえて僕を誘拐させ、決定的な証拠を掴ませるべく体よく釣り餌として使われたことに少し腹が立った。



「種明かしは終えたな。さあ、私を早く捕まえろよ。死刑にでも何でもするがいいさ」



 両手を広げるが撃たれた右肩が上手く上がらず、鬱陶しい腕だというように一瞥してから膝をついた。五十嵐刑事が確保してしばらく、応援に駆けつけた警察官が工場に雪崩れ込んできた。彼等の役目は五十嵐刑事と連続ハンバーグ殺人事件の犯人、弥生さんの為に道を空けることくらい。



「待って!」



 僕は背を向ける二人に声を掛けた。



「弥生さん。閉じたパンドラの箱をもう一度開けて、最後に残った希望を、どうか、無くさないで」



 何を言いたいのか。何を言っているのか、わからない。でも、僕の言いたいことを彼女なら汲んでくれる。そう裏付けも無い確信が僕には在った。



「じゃあな。もう会うことも無いだろ」



 その一言。最後に振り返って見せた笑顔に毒気はなく。これでよかったのかもしれない、そう思っているような顔に見えたのは、僕がそうであって欲しいと願っていたからかもしれない。



 立ち眩みのように視界がぼやけた僕はそのまま意識を失ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る