第5話 素敵な夢と引き換えに

 魔法が使えなくなってしまった真相を知ってしまったキリンは、それでも普段はいつものように明るく振る舞っていた。そのくらいの演技は余裕なのだろう。だって800年も生きているのだし。彼女の自己紹介が事実なら、だけど――。

 キリンが素の姿を見せるのは、僕と2人だけの時。後は1人の時もそうなのだろう。


 表向きは記憶喪失で僕の家庭教師。それが彼女の偽りの姿。実際は僕の魔法の師匠だ。魔法恐怖症で魔法の使えなくなった僕を、キリンは親身になってサポートしてくれていた。だからこそ、僕も彼女のために何かしてあげたい。でも、何が出来ると言うのだろう。

 窓の外からの暮れていく夕日を眺めながら、僕はハァ……と大きくため息を吐き出した。


「我はいつまでこの家に世話になっていいのじゃろうな……」

「いつまでだっていてよ。キリンはもう戻れないんだから」

「そうは言うてもな……」

「負い目なんて感じなくていい! 僕はずっといて欲しいんだよ」


 自分の存在意義について悩んでいるキリンの表情は暗いまま。少し間が開くとすぐにこの家から出て行こうとするので、それを引き止めるのが日課のようになっていた。


「僕はまだ魔法が使えないままだよ。せめて使えるようにしてよ」

「分かった分かった。お主には敵わぬ」


 彼女に家にいてもらう理由、それが魔法をまた使えるようにしてもらう事。だからって使えない演技はしない。使えるようになったらまた別の理由を考える。僕がずっと見ていれば、キリンだっておかしな事は考えないだろう。

 よくよく考えてみれば、僕は彼女の事をほとんど知らなかった。もっと詳しく知る事が出来れば、今後の説得にも役に立ちそうな気がする。


 僕は何度目かの魔導書の黙読を止め、本を閉じる。そして、家にあった週刊誌をパラパラとめくっていたキリンをじっと見つめ、タイミングを見計らった。


「何じゃ?」

「今更聞くのもアレなんだけど、キリンって家族いるの? 心配してないかな?」

「家族か……。昔はいたがな。今はもうおらぬ」


 彼女いわく、800年の時を過ごす中でいつしか天涯孤独の身になったらしい。結婚した事もあったし、子供がいた事もあったのだとか。けれど、病気や事故、血縁同士の骨肉の争い、戦争などで気がついたら周りには誰もいなくなってしまったのだと――。

 軽い質問のはずがかなりヘビィな展開になってしまい、僕は言葉を失う。とても受け止めきれそうにない。


「それにもう魔法も使えぬと来た。我のこの世での役目も終えたのじゃ」

「終わってない! 僕をもう一度魔法使いに戻してよ!」

「それは分かっておる。責任を放棄したりはせんよ。それが我の最後の仕事じゃからな」


 自嘲する彼女の言葉が僕の心臓をダイレクトに貫く。平気そうにしているけれど、魔法が使えなくなった時点で彼女の死期は目前なんだ。とは言え、魔法使いスケールの話だから残りの寿命が後何年かは分からない。

 けど、もし明日状況が一変してキリンが倒れてそのままになってしまったら、僕は耐えられるだろうか……。


「まだまだ元気そうだし、きっとそんなすぐには死なないって」

「はは、そうじゃな。我も魔法が使えぬ以外の不調はない。すぐにはくたばらぬよ」


 僕の不器用な励ましを彼女は笑顔で受け入れる。それが優しさなのかあきらめなのか判別出来ないまま、この日も何事もなく過ぎていった。



 キリンを励ましていく内に何かが吹っ切れたのか、僕は少しずつ魔法恐怖症を克服し始めていた。初級魔法がまた使えるようになったのを皮切りに、どんどんかつての感覚が戻っていく。二度目の魔法取得は更に僕の魂にその技術を深く刻みつけていった。魔導理論も呪文も、一度覚えてしまえば魔導書の助けすらいらなくなっていたのだ。

 呪文を暗唱して魔法を使う僕を見て、キリンは満足そうにうなずいている。そんな僕に対する彼女の指導にも段々熱が入っていった。


「もっと精霊の心に寄り添うんじゃ。そうすれば、更に繊細なコントロールが出来るようになる」

「はい、師匠!」


 こうして次々と様々な種類の魔法を使いこなせるようになり、トラウマの原因になった召喚術も今度は無事に成功する。これはもう完全復活したと言っていいんじゃないかな。

 魔法の実践が終わって杖の手入れをしていると、椅子に座っていたキリンがグイっと身を乗り出してきた。


「のう、ロバート。そもそも何故お主は魔法使いになりたかったのじゃ」

「え? 前にも言ったじゃん。魔法が使いたかったからだよ」

「つまりはただの好奇心か。まぁそう言う年頃よのう」


 彼女は僕の動機を聞いて軽く笑う。何だかバカにされているような気がして、気分はあまり良くなかった。

 そこで、僕は目の前の魔法の大ベテランに向かって宣言する。


「これからもっと腕を磨いて、師匠に負けない魔法使いになってやる!」

「おお、その意気じゃ。これから我のノウハウを全て教えてやるから、立派な魔法使いになっておくれよ」


 僕達ははお互いに顔を見合わせて笑い合う。いつしかキリンの顔から暗さが消え去っていた。僕は彼女を元気にする事が出来て、心の中が嬉しい気持ちで一杯になる。



 魔導書に書かれた魔法が一通り使えるようになり、次はその練度を上げる段階に入った。本当はまだ読めないもう一冊のレア魔導書に載っている魔法も覚えたかったものの、師匠が一切文字を教えてくれなかったために断念。どうやら更に高度な魔導理論などが書かれているため、まだ早いらしい。


「お主がこれを読むのは10年早いわ」

「じゃあ後10年は家にいて魔法を教えてよね」

「今のお主なら我がいなくても……」

「教えてよね!」


 ネガティブモードに突入した彼女に僕は必死で食い下がった。その熱意が通じたのか、キリンは僕の頭を優しくポンポンと叩く。


「分かった分かった。お主が一人前になるまでここにいようぞ」

「約束だよ、勝手にいなくならないでね」

「お主を心配させたりはせぬ。命の恩人じゃしのう」


 キリンはそう言うと、優しい笑顔を投げかける。母のはからいで流行りの可愛らしい子供服を来ている彼女の姿は、知らない人からしたら今時の女の子のように映るだろう。少なくとも、とても800年も生きている偉大な魔法使いには見えなかった。

 ここで、僕の頭に閃きが起こる。早速、この話をキリンに披露した。


「そうだ! 初期魔法は完璧にマスターしたんだし、両親に見せていいかな?」

「いや、それは止めるのじゃ。魔法は見世物ではない。特にこの世界では廃れた技術じゃ。その理由も考えてみよ」

「そう言えば、どうして今は魔法使いがいないんだろう? なんで?」

「理由は色々考えられるが、結論から言えばそうならざるを得なかったのじゃろうな。つまり、この世界では魔法を使える事を知られない方が都合がいいのじゃ」


 彼女の言う話ももっともだろう。もしかしたらこの世界にだってまだ魔法使いはいるのかも知れない。でも、世間に知られている有名人はいない。僕が魔法を使えるって両親に話せば、いつか世間に知られて弾圧的な目に遭う可能性だって捨てきれない。

 最悪な展開まで考えてしまった僕は、このまま魔法技術を極めていくのが少し怖くなってしまった。



 魔法の基礎は学び終わったと言う事で、キリンの指導方法に変化が訪れた。魔法を使う心構えとか、世界の仕組みとか、道徳的な事とか……。魔導理論の勉強に比べたら退屈で堅苦しかったものの、それも魔法使いになるのに重要な事だと思い、必死に話についていった。

 この頃の師匠は今の生活に慣れて充実していたのか、とても輝いて見えていた。何て言うか、体全体が光って見える。魔法を使えるようになって見えるようになったオーラの輝きが、彼女からまぶしいほどに漏れ出していたのだ。


「師匠、魔法の力が戻ったんじゃない?」

「うむ。最近我もそのように感じておるよ、これは……」

「良かったじゃん! やっぱまだまだ寿命じゃなかったんだよ!」


 僕は師匠の復活に喜んだものの、彼女の表情は何故か少し淋しそうで、とても本心から喜んでいるようには見えなかった。その真意が知りたくて、僕はレア魔導書を必死に解読する。そこに答えが書かれていると確信したからだ。

 やがていくつかの断片的な単語が読めるようになり、それを組み合わせて僕は真実に近付いていく。


「寿命……再復活……死……直前……。これって……」


 つまり、寿命による魔力の枯渇現象は死の直前に復活すると言う事なのだろう。蝋燭ろうそくが最後に強く輝いて消えるようなものらしい。

 それが分かった僕は、すぐに彼女の部屋に向かう。


「師匠! 良かった、まだいた!」

「お主、何を焦っておる。……そうか、知ったのじゃな」

「あのさ、力が戻ったって、だからって……」

「落ち着け、そして今日は眠れ。な」


 そこで僕の記憶は途切れる。抗えない眠気には魔法の匂いがした。夢の中の僕は大魔道士で、いくつもの国の危機を救い、ドラゴンも仲間にして魔王とすら対等に渡り歩いた。

 夢が叶った僕の隣には、いつも優しく見守る師匠がいて――。



 深い深い眠りに落ちた僕の意識が浮上した時、余分な知識が何もかも洗い流されていくような不思議な感覚に陥る。


「あれ?」


 目が覚めると、僕は自分のベッドで寝ていた。何だか長い夢を見ていた気がする。起きて着替えると、すぐに父の姿を探した。


「父さん、僕の先祖は魔法使いだったんだよね」

「まぁ、噂話みたいなものだ。お前はまだ魔法使いになりたいのか?」

「だって、魔法が使えたらカッコいいじゃん」


 僕の名前は金谷ロバート。日本人の父とイギリス人の母を持つ14歳。僕の夢は本物の魔法使いになる事なんだ。まだ何の手がかりもないけど、いつかきっと――。



(おしまい)

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空から落ちてきた物語 魔女編 にゃべ♪ @nyabech2016

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