第4話 魔女の寿命
召喚魔法で呼び出された魔獣は警戒心をあらわにして、不機嫌そうな表情を浮かべている。魔導書によれば、呼び出した存在と召喚者には主従関係が結ばれており、召喚に成功した時点で自由に使役出来るらしい。
けれど、この魔獣を使役出来そうな雰囲気は微塵も混じられなかった。
「ど、どうしようこれ……」
「うむ。まずは縛りが効いているか確かめるのじゃ」
焦る僕に対して、キリンはこの状況でもとても冷静に状況を判断している。多分、これくらいの修羅場は何度もくぐり抜けて来ているのだろう。僕は師匠がバックについていると言う安心感で何とか心を落ち着かせ、両手を合わせる。これが僕の精神集中のルーティーンだ。
精神を集中して目の前の魔獣と心を繋げる。正しい手順で呼び出したものならこれが出来るはずなのだけど、何度試しても繋がる手応えは一切感じられなかった。それはつまり、召喚失敗を意味している。
「ダメ、何も伝わらない!」
「ふむ、失敗じゃな。つまりあの魔獣は無理やり引っ張り出されて怒り狂っておる」
「嘘でしょ?」
この道何百年の師匠の見立ては正しいのだろう。弟子の失敗は師匠の責任でもあるから、本来ならこのトラブルも目の前で腕組みをしている彼女が収めてくれるはずだ。けれど、今の師匠は魔法が使えない身。対処出来るかどうかは分からない。
意を決した僕は杖を握り直して、その先端に火の精霊を宿らせる。そうして、しっかりと狙いを定めた。
「止めるのじゃ。怒りに火を注いでどうする」
「でも……」
「今のあやつはただ混乱しているだけじゃ。我に任せい」
キリンは僕の肩を優しくポンポンと叩く。それはそこで見ておれと言う合図でもあった。この状況でその態度が取れると言う事は、何か解決策があるのだろう。僕の焦りはこの時点ですっかり収まり、視線は師匠の一挙手一投足に注がれた。
彼女は普通に歩いて魔獣に近付いていく。当然魔獣は警戒心をむき出しにして、すぐに臨戦態勢に入った。
「ギュオオオ!」
「よしよし、勝手に呼び出してしまって悪かったのう。今帰してやるぞ」
「グルルル……」
不思議な事に、今にも飛びかかりそうな雰囲気が強かった魔獣はキリンの接近を許し、触れるまで距離が縮まったところでいきなりふせってしまう。その様子はまるで熟練のトレーナーに従う大型犬のようにも見えた。
接近を許した魔獣に向けて、彼女は手を伸ばして優しく体に触れる。その瞬間、この魔界の獣の身体全体が強烈な光を放った。
「うおっまぶし!」
必死で目をガードした僕がそれを外した時、魔獣はもうどこにもいなかった。何かしらの手を使って、キリンが魔界に戻したのだろう。振り返った彼女がやりきった顔で振り返っていたからだ。
「ざっとこんなもんじゃ」
「流石です、師匠。そしてごめんなさい」
「何も謝らんでいい。修行に失敗はつきものじゃからなあ。大事なのは原因を知る事じゃ。そこは分かっておるか?」
「えっと、多分……」
師匠の助言が原因だとは言えず、僕は思わず言葉を濁す。ただ、その返事にキリンは満足そうな笑みを浮かべていた。色々と察してくれたのかも知れない。
この初めての失敗は僕の心に大きな傷を残してしまったようだ。何故なら、このアクシデント以降、僕は全く魔法が使えなくなってしまったから。どうしても失敗のイメージが浮かんで途中で力が入らなくなってしまう。
「魔法恐怖症じゃな」
「治るよね?」
「お主本人が克服すればじゃがな。これは我では助ける事は出来ぬ」
キリンは真面目な顔でまっすぐに見つめてくる。そのシリアスな雰囲気に、僕はゴクリとつばを飲み込んだ。失敗体験と言うのは、魔法以外でも心にネガティブな傷を残すもの。つまりそれは、魔法も人間の精神的な性質が強く反映される事の証明でもあった。
僕が再び魔法を使えるようになるには、自分自身でこのトラウマを克服するしかない。ただ、この時点ではそれが可能になるとは到底思えなかった。
この自分の状況が何かに似ていると感じた僕は、休憩中に小指を立てて優雅に紅茶を飲んでいるキリンの顔をじいっと見つめる。
「もしかして、師匠も同じ理由で魔法が使えなくなったんじゃ……?」
「そんな訳あるか!」
僕の単純な思い込みは一言で一蹴された。やっぱりそんな単純な話ではないようだ。魔法が使えなくなったので、修行はまた座学に戻る。一度覚えたところを何度も繰り返し復習して、そこから復活の糸口を探すのだ。
一度マスターしているのもあって、この反復は何も引っかからずにすぐに終わる。
「どうじゃ、感覚は戻ってきたか?」
「これ、違う方法の方がいいんじゃないかな? 自分に向き合うとか、瞑想するとか、そう言う精神的なやつ」
「確かにそれもそうじゃのう。うむ。やってみるか」
キリンは魔法使い界隈に伝わる瞑想を僕に施した。楽な姿勢で目をつむり、お香を炊いて場を整える。自然の音や風に反応する鈴で心奥へ深く深く潜っていく――。
失敗の原因はつまるところ、僕が他人に対して勝手に怯えていた事だ。その見えない恐れが魔獣と共鳴してしまった。つまり、人見知りを克服するためには、この魔獣クラスの恐怖を取り払わねばならない。
「出来ない……っ。これは……っ」
「まぁすぐには無理じゃろ。焦らんでいいぞ」
自分の心の闇の大きさに絶望した僕は、また父の書斎に入った。そこの古い本棚から、こう言う時に役立ちそうな本を探す。今回は一番右側の本からローラー作戦を実行。自分の直感を研ぎ澄ませながら一冊一冊吟味していった。
本を確認し始めて18冊目、それをめくっていくと、見慣れた魔法陣が目に飛び込んできた。
「あ、これも魔導書だったんだ」
そう、文字は全く読めなかったものの、そこに描かれていた魔法陣の中には、僕が唯一読めた魔導書と同一のものがいくつか載っていたのだ。勿論同じ本ではないので、初めて見る魔法陣の方が多く掲載されている。
僕はこの本に可能性を見出し、すぐにキリンのもとに持っていった。
「師匠、この本読める?」
「む! なんじゃこれは。我も初めて見る魔導書じゃ。文字も我の世界のものじゃぞ。どうしてこんな本がこの家にあるのじゃ?」
「さあ? 元々この家は僕の先祖が建てたものだから」
「まぁそんな事は今どうでもいいか……」
普段冷静なキリンが珍しく興奮している。それだけこの魔導書には興味深い内容が書かれてあるのだろう。夢中になって読み進める彼女を、僕は珍しいものを見るように眺めていた。
目がとても輝いていて、まるで無邪気にはしゃぐ女の子のよう。窓から差す光が彼女に注がれて、少し神秘的な雰囲気も醸し出されていた。
「どう? 面白い?」
「……」
僕の言葉も耳に届かないくらい、キリンは読書に集中している。これは読み終わるまで話しかけても無駄だな。
僕は彼女の気が散らないように部屋を出ていく事にした。ドアノブに手をかけたところで念のために振り返ると、キリンのページをめくる手が止まっている。彼女の顔を確認すると、さっきまでの明るいものから一転、青ざめている事に気がついた。
「どうしたの?」
「我の症状の原因が分かった。これに書いておった……」
どうやら、その魔導書に魔力を失う症例の詳細が書かれていたらしい。ショックを受けていると言う事で大体察しがついたものの、僕は好奇心を止められなかった。
「何て書いてあった?」
「我の症例は病気などではない。寿命からくる必然的なものだったのじゃ」
つまり、長く生きすぎた魔女は段々魔力の制御能力を失い、体が魔法を受け付けなくなっていく。魔法を使えなくなったと言うのは、末期症状である事を示しているのだそうだ。キリンのいた世界でも、魔女の平均寿命は400歳。その倍を生きている彼女がこの症状に襲われるのは必然なのかも知れない。
この事実を知ったキリンの瞳から光が消える。かなり落ち込んでしまったようだ。もう治る事がないとハッキリ分かってしまったのだから当然だろう。
「我はもう寿命なのじゃな……」
「ちょ、落ち込まないでよ。その本に書かれていた事が正しいとは限らないじゃないか」
「いや、分かる。我の直感もそう告げておる」
「もしそうだとしても、まだ僕の側にいてよ。僕に魔法を教えてよ!」
ショックを受けて突然ふらっといなくなってしまいそうな危うげな彼女に、僕は精一杯の懇願をする。肯定とも否定とも取れない曖昧な表情を浮かべていた魔女は、少しの間を置いて、ぎこちない笑顔を僕に見せたのだった。
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