第3話 呼び出された魔物
キリンが我が家にやってきて、いつの間にか3ヶ月が過ぎていた。この3ヶ月は本当にあっと言う間だった。彼女の魔法の授業は分かりやすく、気がつけば魔導書の全てのページを理解出来るほど。もうここまで来たら座学は卒業でもいいんじゃないかな。
僕は、餌をねだる猫の瞳で目の前の魔法の師匠に視線を飛ばす。
「何じゃ、気持ち悪いのう」
「師匠なら喋らなくても僕の心を読めますよね?」
「読まんでも分かるわ。実践したいのじゃろう。なら、杖を手に入れんとな」
「おお! 杖! 魔法使いっぽい!」
彼女いわく、熟練の域に達すれば杖は必要ないものの、初心者は杖の力を借りるのが魔法取得の近道らしい。杖にも色々種類があるものの、初心者はやはり短くて細い杖がいいのだそうだ。
「でも杖ってどうやって手に入れるの? アマゾンにでも売ってんの?」
「そこじゃなあ。我の元いた世界なら店に売っとるのじゃが……」
「流石は魔法使いの世界だね。もう戻れないの? て言うか僕が魔法を使えるようになったらそっちに行けないかな?」
「あのな、そのためにはまずお主が魔法を使いこなせるようにならんとあかんじゃろが」
キリンは呆れたよう表情を浮かべ、額に指を当ててため息を吐き出す。失望されてしまったようだ。僕はこの暗い雰囲気が続くのが耐えきれなかったので、話題を変える事にする。
「向こうだったら杖は普通に買えるの?」
「こっちの世界の刃物と同じじゃ。使い方をマスターしておらぬ者が使うと危ないからの。資格がない者は店にも入れぬ」
「おお……じゃあ僕は資格アリにはなったんだ」
「うむ。お主は意外と筋がいい。ここまでとは思わなんだよ」
師匠に魔法の素質で褒められて、僕は頬が緩む。彼女はこの流れで改めて魔法使いについて話し始めた。
「いいか。この世界でもそうかも知れぬが、魔法使いと言うのはあまり知られてはいけない存在なのじゃ。だから普段は普通の人には見えぬ壁の向こうで魔法使いだけで暮らしておる」
「じゃあ、その街に魔法使いグッズ専門店があるんだね」
「昔はこの世界にも魔法使いがいたのじゃろう? 魔法使いに対する認識が同じなら、どこかにそう言うエリアがまだ残っておるのかも知れんのう」
この話を聞いた僕は、遠い昔の先祖の事を思い浮かべる。何百年も昔のイギリスなら、魔法使いのグッズ専門店もあったかも知れない。でもここは遠く離れた日本だ。この国に魔法使いグッズを売っているお店があるとは全くイメージ出来なかった。
「じゃあ、そもそも杖なんて手に入らないじゃないか。僕の魔法の修行は……今までの3ヶ月は一体……」
「好奇心は満たされたじゃろ?」
「それじゃ意味ないよ! じゃあ師匠の杖を貸してよ! どうせ今は魔法が使えないんでしょ!」
僕は、感情に任せて吐き出した自分の言葉がキリンを傷つける可能性に気付いて思わず口を塞ぐ。すぐに彼女の顔を確認したものの、そこまでショックを受けている風でもなかった。
「えっと、ごめん……」
「構わんよ。この病は魔法では治せなんだ。腕利きの魔女の薬ですら効果なしじゃ。似た症例を持つ者にも会わなんだ。もうお手上げなのじゃよ。今更何を言われても言葉は素通りするだけじゃ」
「そんな……」
窓の外を寂しげに見つめる彼女を見て、僕はかける言葉を失う。今まで自在に使えていた力を失うと言うのはどれだけ辛い事なのだろう。事故や病気で手や足を失う辛さと似た感じだろうか。
僕は五体満足だから、どれだけ想像しても本当の当事者の辛さには届かないだろう。
それでも――。
「でも全ての方法を試した訳じゃないでしょ? どこかに何か手がかりがあるかも。それに、病気なら治るかも知れない」
「有難うな。お主のその優しさが嬉しいよ」
キリンの黄金色の瞳が僕を真正面に捉える。吸い込まれそうなその美しさに釘付けになった。またしても言葉を失っていると、彼女はツカツカと近付いて来て、僕の背中をバンバンと叩く。
「大丈夫じゃ。もう悲しむ段階は越えたからの。とっくに受け入れておるわ」
「それって……」
続きを口にしようとした僕をキリンの笑顔が留める。様々な葛藤を経た末の表情は、どんな言葉にも影響されない境地を感じさせていた。その表情を目にした以上、もうこれ以上この話題を続ける事は出来なくなる。
室内に漂う気配を無視して、窓の外から小鳥達のさえずりが聞こえてくる。彼女はその声に導かれるように視線を窓に向けると、すぐに振り返った。
「まぁそんな訳でじゃな。杖が手に入らないなら作れば良いのじゃ。昔はみんな手作りじゃったからの」
「何だ、その手があるんじゃん。でも、どうやって? 材料がこの近くにあるの?」
「無論。そもそも杖は木製じゃ。木の枝があれば十分」
と言う訳で、僕達は杖になりそうな木の枝を探すために近くの山に向かう。そこでキリンの指示に従い、いい感じのものを集めていった。イメージは某魔法使い映画の生徒達が使っていた杖。
ある程度の数が揃ったところで、それを彼女に見定めてもらった。
「集めてきたけど、この中から杖に出来そうなものはある?」
「お主の魔法使いの杖のイメージが大体分かるのう」
「え? 間違ってた?」
「いや、それで良い。自分の使う杖は自分が好きな形が一番じゃ」
集めた杖候補の枝は全部で21本。キリンは魔法使いの直感で僕に一番相応しい枝を選んでくれた。枝が決まれば後は加工の工程に移る。この作業に魔力はいらないらしく、僕も手伝いながら木の枝は立派な魔法使いの杖に変わっていった。
作業開始から3日後、僕用に完璧に調整された魔法使いの杖を彼女から手渡される。
「これがお主の杖じゃ。精進するのじゃぞ」
「おお……すごい。有難うございます」
念願の杖を手に入れた僕は、その日から魔法の実践を始めた。四大精霊の力を借りた初期魔法はその日の内に発動に成功する。座学の時にした精霊との契約が生きている事が確認出来て、僕の顔はほころんだ。この時のキリンの驚いた顔が忘れられない。
「魔法使いの血が流れているのは本当だったのじゃな……」
「へへ。自信はあったけど、でもここまでうまくいくとは思ってなかったよ」
すぐに魔法が使えた事で嬉しくなった僕は、魔導書に載っていた他の魔法も次々に試していく。もちろん全てが最初からうまく行く訳ではなかったものの、試す度に何かしらの手応えを感じて魔法実践に熱が入っていった。
この頃になると、キリンはほとんど口出しをする事はなくなっていた。勿論彼女の監督していないところで魔法は使わなかったし、危ない時はちゃんとアドバイスが飛んでくる。独学のようでいて独学じゃないこの環境で、僕の実力は磨かれていった。
「よし、次は召喚魔法だ」
「その魔法はとても精妙な精神操作が必要になる。心を乱すなよ」
「了解です、師匠」
魔導書を見つけて最初に使おうとしたのが召喚魔法。だからこそ、この魔法こそが自分の適正にかなっていると僕は信じていた。本当に魔法が使えるようになった今なら、きっと使いこなせるはず――。
僕は意識を集中して、小さな妖精の召喚を試みた。これは、召喚初心者が最初に挑戦するものだ。座学で学んだ手順を頭の中で反芻しながら、両手で杖を握る。
まずはイメージして、その存在に呼びかける。このイメージが具体的であればあるほど、召喚の成功率は上がるのだ。僕は本物を見た事がないので、ここが曖昧になってしまった。
間違ったものをイメージすると、間違ったものを呼び出してしまう。その危険性を、僕はまだよく理解していなかったのだ。
「来い、来い、来い、来い……」
「あまり力むな。友を家に呼ぶ感じで呼びかけるのじゃ」
「とも……だち?」
僕はあまり人付き合いが得意じゃない。今まで他人の家に遊びに行った事も、ましてや人を家に呼んだ事すらなかった。それは僕の家が周りからお化け屋敷とか呼ばれている事も原因のひとつだ。知られていじられたくもなかったし、だからこそ必然的に他人との距離は縮まらなかった。
友達と聞いてイメージするのは陰口やいじめなどのネガティブなもの。一瞬でもそう思ってしまったため、呼び出す妖精のイメージが上書きされてしまった。
「うおおおお!」
「落ち着け。失敗してもいいんじゃ。何度やり直しても……」
イメージと魔力がリンクして暴走し、僕は得体の知れない何かを呼び出してしまう。召喚自体には成功したものの、違うものを呼び出したと言う意味では大失敗だった。
「あれって……妖精……?」
「魔獣じゃな。魔界の大型獣じゃ」
「え?」
どうやら僕は悪魔辞典にも載っていそうな厄介な魔物を呼び出してしまったらしい。えっと、どうしたらいいのこれ……。
この全くの予想外の展開に、僕の頭は真っ白になったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます