カレーパンマンマーチ

@tkondo

カレーパンマンマーチ

「はひふへほーー」

バイキンマンはいつもの捨て台詞を吐きながらそそくさと退散していった。今回の戦いもアンパンマンの「アンパンチ」が炸裂し決着がついた。

「全く懲りないやつだな。工場の生産をストップさせたいんだったら、バイキンじゃなくて細菌ミサイルでも打ち込むことだ」

一行はそう言ってパン工場へ戻っていく中、カレーパンマンはひとりその場に立ち尽くしていた。

「どうして毎度アンパンマンばかり活躍しているのか。あんこと比べればカレーは和洋中なんでも使えて万能なはずなのに、バイキンマンを相手にすればやたらアンパンマンの方が相性が良い。やっぱり万能人がもてはやされたのは近世までで、現代では専門性のありスペシャリストが重用されるよな、、、」

カレーパンマンは食事における用途の広さと仕事での相手との相性の話を混同し落ち込むという滅茶苦茶な精神状態になっていた。そもそもカレーは大概のものと調和がとれる食べ物である。例えバイキンであったとしてもそうなる蓋然性はアンパンマンよりも高いはずである。



何のために生まれて なにをして生きるのか 答えられないなんてそんなのはいやだ

何が君の幸せ なにをして喜ぶ 分からないまま終わるそんなのはいやだ



どこかで聞いたことのあるそんな二小節がふと頭の中で再生された。

「確かにここの職場、いい人は多いけど労働環境としてはどうなんだろう。コア業務のパン製造はバイキンマンの襲撃があったらすぐストップしないといけないし。そもそもパン製造はジャムおじさん次第だから、おれはただライン作業してるだけだし。ここにずっといていいんだろうか。」

カレーパンマンは以降一週間ほどそんなことを考えながら仕事をしていたが将来の事、また人生観などという壮大なテーマの答えが簡単に見つかるはずもなかった。

「ちょっと疲れたし旅行にでも行こうかな。」

年休が30日ほど残っていたため一括で申請した。もちろん周囲からは白い目で見られたが、彼はパン製造においては一作業員であり他のメンバーでカバーすることが出来、また対バイキンマン戦線においてもアンパンマンの引き立て役でしかなく、ほとんど業務に支障がないことが予想されたので、彼の横暴ともとれる年休申請は受理されたのである。

「せっかく30日も休みをもらったわけだし旅行にでも行こうかな。でも普通に旅行するだけじゃ時間余るしなあ。まあいろいろ考え事もしたいし静かに一人お遍路でもやってみようかな。名所もたくさんあるし観光もかねて」

彼は淡路島の工場に勤務していたため鳴門海峡大橋を渡りそこから北上し香川にゆきそこから愛媛→高知→徳島の順に回ることを計画した。そしていよいよ出発の日がやってきた。もとから散歩は好きなカレーパンマンであったが30日もただひたすら歩き続けることにはいささか不安があった。しかし名所もあるし、考え事もいくらでもある。せっかくなので考え事の答えが分かれば「アンパンマンマーチ」のアンサーソングとして「カレーパンマンマーチ」でも作詞してやろう、などと訳の分からないことを考えていた。香川での旅程では答えは見つからなかった。

「なかなか簡単に見つかるはずもないか。まあしかしただ単に歩き続けるというのは大変なもんだ。だんだん疲労で頭が回らなくなってきてしまった。しかし案外こういう状態の方が無我の境地に入って、普段は思いもしないようなことを思いつくことができるかもしれないなあ。」

そんな風に考えて自らを奮い立たせているうちにようやく県境を越え愛媛に上陸した。愛媛は彼がかねてより旅行に行くことを楽しみにしていた土地であった。

「せっかく愛媛に来れたことだしちょっとだけゆっくりしていこうかな。今治・松山・宇和島他にもいっぱい行きたいところはある。特に道後温泉がたのしみだなあ。おれはカレーパンマンであり、温泉大好きマンでもある。温泉のない旅行など考えられん!せっかくだから2泊くらいしようかな」

そんなことを考えながら瀬戸内海を横目に見ながらひたすら歩き続け、ついに念願であった道後温泉に辿り着いた。まずは旅の疲れを癒すべく温泉で汗を流した。続いて温泉街での食べ歩きである。彼が特に気に入ったのは夏目漱石が小説「坊ちゃん」で紹介したとされる松山銘菓の団子である。餅を抹茶・卵・小豆餡で包んだ愛らしい見た目の三色団子は甘さ控えめではあるが、久々の甘味だったので大層甘く感じられた。そしてふと団子三兄弟は三兄弟の上から串が突き抜けていることから、元は団子四兄弟ではなかったのではないか、という自身が職場で一度だけ主張したが軽くあしらわれてしまった説の事を思い出した。その後もいろいろ食べ歩きをした後、今度は酒を飲みたくなってきた。こちらも夏目漱石にちなんだ名称のビールが様々あり湯上りの喉を潤すにはもってこいであった。しかし今回の旅はひどく禁欲的であったため、ついはめをはずしてしまいビールを5杯ほど飲んだところで気持ち悪くなってしまい、飲んだビールをカレーと一緒に戻してしまった。スープカレーは2000年代に札幌でブームとなり、その後全国に広まっていったという説が一般的であるが、介抱してくれた人の一人がカレー屋の店主で、彼はこの水っぽいカレーを見て新メニューとしてスープカレーの試作を行いついに四国初のスープカレー販売までこぎつけた、

という説もあるのかもしれない。

 そんなこんなで松山を満喫した彼は、当初は2泊位を予定していたが、10日ほど滞在してしまい、残す日数もわずかとなり以降のお遍路は次回持ち越しとなってしまった。カレーパンマンは空を飛んで淡路島に戻り残りの休みを旅の疲労回復に充てることとした。結局当初の目的であった、何のために生まれて なにをして生きるのか、何が君の幸せ なにをして喜ぶ、という問いの答えは見つからなかった。

「でもまあそんな簡単にわかるんだったら誰も苦労なんかしないよな。たかだか30日歩いてただけだもんな。昔のすごい心理学者が [心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる] とか言ってたっけ。これと照らし合わせればアンパンマンマーチの [今を生きることで 熱い心燃える] って言う歌詞ってなんかいいこと言ってる気がするなー。小さいことの連鎖のうえに大きい変化がおこるのかなあ。結局何が何だかよくわからんわ。」

こうして歯切れの悪いままカレーパンマンの旅は終わったのであった。




エピローグ

「はひふへほーー」

バイキンマンはいつもの捨て台詞を吐きながらそそくさと退散しようとしたが、今日はしっかり退路封鎖を怠らなかったアンパンマン側につかまってしまった。

「せっかくだから細胞を観察して今後の対策をしようじゃないか。」

アンパンマンの案により、バイキンマンの細胞を採取し顕微鏡で確認したところ、そこにはイースト菌が写っていた。バイキンマンは、菌は菌でも、ばい菌の面をしたイースト菌なのであった。

「パン工場に近づいてくるのは当然の事だね。そんなことも分からないアンパンマンはくびね。」

ジャムおじさんはそう言った。本当のことなど誰も分からないのである。


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