後編

 弁財天は早速、攻撃にかかることにしたのか、スワンボートの方へそっと近づいていった。

(最初は神としての慈悲を見せてやろう。弱い攻撃だ)

 水面の方に手を向け、シュッと払った。

 ピチャンと水が跳ね、さっきかなと呼ばれた女の大きな瞳に当たる。

「うわ。汚い水がアタシのかわいい目に入ってきた」

「大丈夫か」

 ……これで終わってしまった。




「なんか、かな、顔色悪くないか」

「……そう?」

 かなはどこか引きつった笑みを浮かべ、答えた。

「何かあったら言えよ?」

「うん……」

 それでも、大声で歌っている剛を横目に、かなは視線を足元に落とし、悲しげな表情をしていた。

(これじゃ言えない……)

(ここで俺はかなにいいとこ見せねぇと)




 今度は、弁財天は水に落ちたもみじの枝へ手を当て、それをボートの方へ素早く払った。

「キャッ!!」

「どうした? 大丈夫か?」

(剛と呼ばれた男は意外と優しさがあるのか)

「なんか、濡れたもみじが飛んできた……」

「まあ、そんなこともあるっしょ」

 それで事は済んでしまい、彼らが乗ったスワンボートは東のひょうたん橋の方向へ向かって行った。




 スワンボートは順調に進んでいた。が。急に動きが止まった。

「あ? ペダルが動かねえ……」

「……え? ちょっと代わって」

「非力な奴には無理だ」

「うるさい」

 漕ぎ手が変わっても、ペダルはピクリとも動かなかった。「ヤバ、これアタシたちがやった? ヤバい、お金取られる……最悪。剛、あんた何してたの?」

 かなは青い顔をして剛の膝の上に倒れ込んだ。が、怒る彼女には見向きもせず、剛は携帯をいじっていた。

「ちょっと、つよ」

「もしもし、あの、今スワンボート乗ってるんすけどね、緑の小道の所で、なんでかペダルが動かないんすよ。あ、分かりました。青いハンカチ振ってる男がいるとこす。はい、じゃあ」

(剛がそんなこと出来るなんて)

「どうだ、俺のこと見直したか?」

 剛は得意げな顔をして、日本代表の青いハンカチをブンブンと振り回し始めた。


 結果、スタッフさんが持ってきた新しいボートに乗り換えることになった。

「はい、じゃあ乗り移ってくださーい」

「あーい」

 剛がまず、今のボートから新しいボートにひょいと乗り移る。

「うわ……コワ……」

 そんなかなの手を剛がギュッと握った。

「え? ちょ」

 かなは戸惑ったような顔をした。

「来い」

 剛の真剣な表情を見て、かなは観念したのか口を真一文字に結び、飛んだ。

 そのかなを剛がギュッと抱きしめて、ボートに座らせた。




(さっきのでもう終わりだと思ったのじゃが)

 剛がかなを抱いていた姿を思い出し、弁財天は吐き気がしてきて口を抑えた。

「最後の手段じゃ……」

 弁財天は静かに呪文を念じた。この方法でほとんどのカップルは別れていく。

「……ハッ!」

 閉じていた目をカッと開く。

 そして、かなの頭を目がけて、手を前に突き出した。

「あっ……」

 かなの体がグラッと揺れる。

 そのまま池の水の方へ、頭が落ちてゆく――!




「あっ……」

(……あ? て、ヤバっ!)

 かなの大きな瞳が、井の頭の池の水面を捉えていた。

(落ちる……!)

(待て……!)

 剛は、かなの方へ精一杯手を伸ばした――!




 高らかな笑い声をあげていた弁財天だったが、スッと顔が青くなった。

「……馬鹿な」

 剛がかなを池の水面ギリギリで抱いていた。それも超至近距離で。

「ふぅ……危ないとこだったぜ。ったく、面倒かけやがって」

 剛の顔には汗が伝っている。

「あ、ありがと」

 かなは目をパチクリしながら、静かにお礼の言葉を言った。

(何ということだ……このわしが、ま、け、た……?)

 弁財天は項垂れて、顔を赤くして猛スピードで神社へ帰っていった。

 ピーンと何かの予感がしたが、その正体は分からなかった。




 知らぬところで弁財天に勝った二人はボート乗り場へ戻ってきた。

「いやぁ楽しかったなー」

 そう言って剛が手を繋ごうとした時だった。かなはパチンとその手を払った。

「ちょ、酷くな? おい」

「……今日はさ、別れるためにここに来た」

 静かに切り出すかなを見て、剛はギクッと動けなくなってしまった。

「テニスで新田健介にったけんすけっていう一歳下の奴がいてさ。そいつが……」

「そいつがなんだよっ!」

 カッと来たのか、剛は唾を池に吐いた。

「告ってきた。正直、最初は迷った。でもさ、ケンティの方が可愛くて口悪くなくて運動神経良くて努力家で……あんたより良かった」

 剛は何も言えなくなり、ワナワナと体を震わせる。

「いや、剛も良かったけど、やっぱりケンティの方が私と相性が良いわけ」

 かなは慌てて剛をフォローしたが、遅かった。

「んでだよ! なあかな。そんなにそいつが良いのか? 俺はただお前と付き合いたいんだよ。今日みたいにデートしてぇんだよ。なあ、かな、断れ。断ってくれよ……」

 剛の言葉は最後は祈るような口調になっていた。

「……ごめん」

 いよいよ付き合いきれなくなったのか、かなは目を伏せ、バイバイという言葉を置いて、公園の出口へ駆けて行った――。


(完)

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弁財天の嫉妬 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

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