右近の橘、龍を得る。

北海

第1話:右近衛府の少将、龍を得ること(前)

「お主が良い」

 率直に言って、は大変な美少女、もとい、美幼女だった。

 子ども特有のふっくらとした頬は桃色に淡く染まり、同色の唇が舌足らずに言葉を紡ぐ。複雑に結い上げられた髪には玉や珊瑚、鼈甲べっこうの簪が幾つも挿され、ソレが身動きする度しゃらしゃらと涼やかな音色を立てる。まん丸の瞳は長い睫に囲まれ、切れ長の一重瞼とすうっと形良い眉は、化粧をしていることを差し引いても都中の女たちが嫉妬する配置の良さだった。

 ふくふくとした手、俗な言い方をするならば紅葉の手は、今は人差し指だけを真っ直ぐにこちらに向けている。ソレの正面にずらりと並ぶ種々雑多な美男たち――ではなく、彼らの後ろに控えひっそりと気配を消していた、私を。

 誰もが事態を飲み込めず、呆然とした沈黙が落ちる。それを良いことに、ソレはぴょんと玉座のある上座から飛び降り、ぽてぽてと駆け寄って来た。

「これ。お主、名を何という?」

 私の前には一応、主人である少年がいたのだが、ソレは彼をまるで存在していないかのように無視をして、はっしと私の服を掴んだ。

 きらきらと輝く瞳が私を見上げている。玉座の間中の視線を集めていることには気づいていたが、ここで返答しない方がまずいだろうと、とりあえず膝を折って視線の高さを合わせておく。見下ろしたまま会話しては、不敬だ何だとコレではなくその周りが煩い。

「右近衛府少将、橘にございます」

「橘か。そうか、お主橘というのじゃな」

 何がそんなに面白いのだろうか。橘、橘と、やたらと私の名前を繰り返している。

 その隙にちらりと視線を巡らせれば……本来選ばれることになっていた方々の視線が刺さる。玉座におわす方は、ひたすら沈黙を守るらしい。元より口出し出来るものではないのだろうが、それでも一言、コレに何かあっても良いと思うが。

 にっこりと、ソレが笑う。世の中の幸せというものを目一杯詰め込んで、さらに喜びという感情で塗り固めたような、そんな笑顔だ。

「橘、わらわの婿になってくれるな?」

「謹んでお断り申し上げます」

 私は迷いなく頭を下げた。






      *






 大陸中央にそびえる霊峰以東、およそ全土を治めるこの国の君主、皇帝は、血筋ではなく龍によって選ばれる。

 西域の人間達はこの文句をお伽噺か伝説の類だと思っているようだが、残念ながら違う。そうだったらどんなに良いかと思うが、実際、建国以来国主は全て龍によって選ばれ続けている。

 霊峰によって東西に分断されている影響か、有史以来西域との交流は細々としたものだ。航海技術がもっと向上し外海経由での行き来が容易になればまた話は変わるのだろうが、今のところ、そんな未来は未だ夢物語である。

 ともかく、西域の人間たちには大雑把に東方と呼称される一帯が最初に統一されたのが、今から約千と数百年前のこと。けれど初の統一王朝は、二代と保たずに瓦解した。

 それからは、戦乱続きの時代が続く。ひと口に東方と言っても範囲は広大で、ある程度大きな国が幾つか出来た時点で安定すれば良かったのだが、過去に一度統一されてしまったこともあり、どの国も天下統一の夢を捨てきれなかったのだ。

 私たち東方の人間は、自分たちの住む土地、つまり霊峰以東がひとつの世界だと思っている。西域は文化風俗、その他諸々が違い過ぎるため、別世界のようなものだ。つまり東方統一とは、世界の覇者となるということ。戦乱の世に自身の国を興そうと考えるのは大抵野心高い人間で、そういう人間が世界の王となる夢を描かない道理はないのである。

 滅んだかつての統一王朝は、始め中原と呼ばれる一帯に興り、そこに都を作った。この故事から、中原の覇者という呼称は今ではこの東方、天下を獲る者と同一視される。だからか、この広大な東方の中で、最も激しい取り合いをされたのがここ、中原地方なのである。

 さて、けれどその戦乱の世もいつまでも続かない。終焉は西から訪れた。霊峰に住まう龍のひとりが、この中原に降り立ったのである。

 この国の始祖は、元は戦場を転々とする医師だったという。名家とされる家の人間でもなく、亡国の末裔ということもない。戦火で故郷を失った、ただの元農夫。そんな男の前に現れた龍は絶世の美女に姿を変え、なんと求婚してきたのだ。

 曰く、龍は生涯ただひとりと添い遂げるが、稀に同じ龍の中にはその相手を見つけられない者がいる。それが自分だ。このまま伴侶もなく朽ちるのかと諦めていたのだが、思いがけず男を見つけ、見初めてしまった。どうか自分の伴侶となってはくれないか、と。

 建国神話的にはこの後、ただの人間の夫婦のフリをして甘やかな日々を過ごす描写も入るのだが、そこは今回無関係なので割愛する。簡潔に言えば、戦乱に再び巻き込まれた男が一念発起して、妻たる龍の力を借りながら東方を再び統一するのだ。

 もちろん、それだけだったのならこの国も最初の統一王朝と同じく対して代を重ねることなく崩壊していただろう。ただの元農夫が東方皇帝たり得たのは、龍を伴侶に得たからに他ならない。男自身は善良なだけが取り柄の凡夫、とまで同時代の学者に酷評されているくらいだ。他にも、あの龍さえいなければと恨み骨髄の日記を残した亡国の王もいる。抑止力である龍は伴侶に殉じる生き物だから、臥薪嘗胆の思いで機を待っていた人間なんて五万といた。

 そうならなかったのは、ひとえに男が玉座を血の繋がった息子ではなく、新たに龍に選ばれた人間に譲位したからだ。

 霊峰に住む龍たちは、元々伴侶を得られず死んでいく同朋の存在に心を痛めていた。自身の伴侶を大切に思うからこそ、その伴侶を得られない同朋への思いは強く、始祖の龍が始祖を見出した時は、霊峰中の龍が狂喜乱舞したくらいだという。

 そこで、龍たちは考えた。ひょっとすると、始祖の龍と同じように今まで伴侶を見つけられなかった龍は、同朋の龍の中に伴侶がいなかっただけで、人の世でなら伴侶を見つけられるのではないか? と。

 もちろん、龍族と人間ではそもそもの寿命が違う。伴侶となれば同じ命を分け合うので龍族は短命に、人間は長命になるのだが、人界の感覚ではそう頻繁に伴侶を求める龍族が現れるわけではなかった。始祖は、そこに目を付けた。

 勅命はすぐに下りた。曰く、新たな龍の伴侶が現れた時点で、当代の王は玉座をその者に明け渡すこと。それ以外の理由での退位は、死以外では認められぬ、と。

 そうして代を重ねれば、ひとつの血筋に権力が集中し過ぎることも防げるだろうと。その始祖の目論見は、残念ながら些か甘かった。龍の好む血筋とやらが作り出されてしまったのだ。

 やり方はこうだ。龍の伴侶に選ばれた人間の近親者を、全て自身の血筋に取り込む。王となった人間の兄弟姉妹はもちろん、従姉妹や従兄弟に至るまで。初めは半信半疑だった試みは、四代を過ぎた頃から確信に変わる。事実上の王族の誕生だった。

 その一族は、霊峰に住まう龍たちを天龍として、自らを地龍と称した。王を選んだ龍は、かつてはただ龍君と呼称されていたのだが、いつの頃からか一族に倣って天龍君となり、果ては天帝、地帝という呼称まで現れては、中央から距離を置く地方豪族は呆れるより他はない。

 まあ、龍族にとって合理的ではある。伴侶となる可能性が高い人間が勝手に集められているのだから。この東方を隅々まで、宛てもなく彷徨うことを思えば楽なものだろう。そもそも人界の権力闘争など、端から興味の埒外であるのだろうし。

 今上陛下の御代になって、先の正月で八十余年。霊峰から伴侶を探しに新たな龍が訪ねて来たという報せは、新年を寿ぐ祝賀が全て終わった翌日に入った。

 龍族はそもそも、伴侶を見出せなければ成体となれない。訪ねて来た龍は外見こそまだかなり幼い少女の姿をしているらしいが、成長すればさぞやと思わせる美少女だと聞いて、色めき立たない地龍の男はいなかった。

(それが何を間違ってこんなことに)

 地龍族の男たちを、天龍の美少女は歯牙にもかけない。それだけならば、まあこの中に気に入るのがいなかったのかと納得しようもあるが、まさかの橘たる自分を指名してくるとは。

 求婚の言葉に些かの躊躇もなく頭を下げたまま、内心のため息を押し殺す。

 頭を下げる直前に見えたのは、断られる可能性など微塵も考慮していない無邪気な瞳。思い出せば僅かに申し訳ない気持ちが湧き上がってくるような来ないような。まあ、私を婿なんぞに望んだ自分が悪いと、諦めてもらうしかないだろう。

 うにゅ、と何とも言えない声が聞こえた気がする。きっと気のせいだろう。天龍殿が幼いのはあくまでも見た目だけだと聞いているし。泣きそうな声なんて聞こえるはずがない。

「な……何故じゃ!」

 何故と言われても。

 私が説明する前に、「お待ちください」と青年の声が割り込んだ。声からして、地龍本家の次男だろう。

「そこにいる橘では、天龍殿のお相手は務まりませぬ。どうか、ご再考を」

「嫌じゃ! 妾は橘が良い! 橘を婿にするのじゃ!」

 頭を下げたままの視界に、ふくふくとした手が入り込む。

 小さな手が、はっしと縋るように私の首に回された。

 だが、抱き付かれた方はたまったものではない。首は人体の急所で、相手はこんな見た目をしていても人外の者。咄嗟に刀に伸びそうになった手をなんとか自制する。

「のう、橘。妾の何が気に入らぬのじゃ? 姿が幼すぎるのが駄目なのか? それならば心配する必要はない、この姿は伴侶を得るまでの、いわば仮の姿じゃからな。お主がうんと言えば、すぐにでも妙齢の美女になってやろう。のう、うんと言ってたも、妾の婿になってたもれ」

 とびきり甘い声で天龍殿は言う。だが、天龍殿にとっては残念なことだろうが、私に幼い少女に言い寄られてクラリと来るような特殊な性癖はない。皆無だ。絶無と言ってもいい。

 それにいくら甘い声とはいえ、所詮は幼女の声である。子ども特有の甲高さと、耳元で喋られることへの煩わしさしか感じず眉を寄せるくらいしかすることがない。

 しかし、天龍とはずいぶんと古風な喋り方をするものである。今もご成婚当時と変わらぬたおやかな美女姿を保つ今上陛下の天龍殿も、こんな言葉遣いなのだろうか。

 橘、橘と、名を呼び取り縋る相手をどうしたものかと正直持て余していると、なんと玉座の御方から声がかかった。

「橘よ、直答を許す。小さき同朋に答えてやりなさい」

「は」

 さて、これは困った。別段私は、場所柄返答を控えていたわけではないのだが。

 もちろんそれは玉座の御方もご承知のことなのだろう。それでもそうやって声をおかけになったということは、他の方々ではこの天龍殿を説得できないだろうと判断されたということ。確かに先ほどの聞く耳を持たぬ風情を見れば、そう考えるのも致し方ないのだろうが。

 顔を上げて、とりあえず私は天龍殿をやんわりと引きはがした。存外強い力でいやいやと抵抗されたが――流石、こんな姿をしていても本性が龍なだけはある――これでも武官の端くれ。右近衛府少将の地位にあるものとして、この程度の抵抗、何ということもない。そもそも体格からして違う相手だ。

 不敬を承知で目を合わせれば、なんと盛大に潤んだ瞳とかち合ってしまった。途端湧き上がりそうになる罪悪感をぐっと押さえて、努めて淡々と言葉を紡ぐ。

「天龍殿が伴侶を得るまで幼体で過ごされることは、この国にいる者として既に存じております。それ以前に、相手をその外見のみで判断するなどあるまじきこと。橘はそのような理由で申し出を断ったのではございませぬ」

「では、何故じゃ! 何故お主は妾の婿にならぬのじゃ!」

 そう叫ぶ天龍殿は、失礼ながら癇癪を起こした幼子のようだった。なるほど、精神とは過ごした歳月ではなく、外見に引きずられ易いものらしい。

 顔を真っ赤にして泣き出すのを必死で我慢する天龍殿に、正直に断りの理由を告げるのは憚られる。憚られるのだが、良いから言え、とこの場にいる私と天龍殿以外の全員に無言で圧力をかけられては有耶無耶に誤魔化すこともできなかった。

 ため息だけはなんとか堪え、明日は休暇を取ろうと決心する。三日くらい休めば、この騒動も決着しているだろうか。

「女ですので」

「……………………………なに?」

「ですから、私、橘はこれでも女ですので。天龍殿の婿にはなれぬのです」

 とうとう、天龍殿は絶叫した。


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