第2話:右近衛府の少将、龍を得ること(後)

「お前、天龍殿に求婚されたんだってなあ。『妾の婿になれ!』って」

「……はあ」

 決心した通り休暇を取った翌日。故郷の人間に連絡を取れば、同じ船に乗ってきた同朋がタチの良くないにやにや顔でそう言った。

 昨日の今日でもう知られていることを嘆けば良いのか、真面目にあの場にいた上層部の人間の情報管理意識改善を考えたものか。とりあえず無言で同朋の顎を殴り上げてから、その細君から茶を受け取る。くすくす笑いを堪えながら痛みに悶える旦那を眺めている辺り、肝の据わった細君である。

「でも、都中その噂でもちきりよ」

「情報が早すぎるのではないか?」

 あの場には両陛下並びに地龍族の男たちとその護衛しかいなかったはずだというのに、昨日の今日で市井にまで話が広まっているとは。色々と大丈夫なのだろうか、この国。

 都に来てもう何度目かわからない思いに駆られていると、都生まれ都育ちの細君はひょいと肩を竦めた。

「平和ぼけしてるのよ、良くも悪くも。西域や貴女の国とは違って、この国はずっと、戦らしい戦をしたことがないものだから」

「平和ぼけしていられる世を保ち続けていられるのは、誇って然るべきことだ。龍族の庇護があれど、容易になせることではない」

 少なくとも、未だ落ち着かない故郷を持っている身としては羨ましい話ではある。先人が望み、目指した平穏の先にあるものがこの国の今の姿だとすれば、それは自嘲することではなく誇るべきことだろう。

 戦乱の無い世を、というのが始祖たる男の悲願であったという。それが成され、今も未だ続いているのだ。平和ぼけしているなどと、引け目に思う理由はない。

 だが、そう伝えても細君は慰めを言われているようにしか思えないらしい。納得しきれていないありがとうを返されたところで、ようやく床に沈んでいた同朋が起き上がった、

「でも、真面目な話どーすんだ? この国のお偉方差し置いて、他国人のお前が選ばれたんじゃあ、方々も納得いってないじゃないのか」

「だから、次の船について聞きに来たんだ」

「……帰るのか?」

「それしかないだろう?」

 まったくもって、不本意なことに。

 あの天龍殿が幾ら駄々をこね……もとい、強固に主張したところで、女の私があの方の婿になどなれるはずもない。他国人である身の上を考えれば、この国にとっては不幸中の幸いと言ったところか。長い歴史の中で、地龍族以外の人間が伴侶に選ばれた前例こそあれ、他国人が選ばれるなど前代未聞だ。

 そもそも、右近衛府少将という身分からしてこの国の人間ではないとわかりそうなものだが、天龍殿にとって伴侶がどこの国の人間かなどは些末な問題だったのだろう。せめて性別くらいは確認してほしかったが、過ぎたことだ。今更どうこう言っても仕方あるまい。

 私の故郷は東の海の先にある。百数十の島々からなる小国で、まだ何もかも発展途上。だからこそ、この国に留学する者は後を絶たない。もちろん、私もその内のひとりだ。

 大陸の国々に比べ、島国である分故郷の方が航海技術は優れている。この国との航路に限れば、かなり詳細な海図もあるので、後は時期を間違いさえしなければ比較的安全に行き来することができるのだ。

 右近衛府少将という位階は、故郷から送り出される上での餞のようなもの。実際右近衛府少将として故郷で任務に当たったことはない。留学生としての箔づけのようなものだ。恐らく、帰国すれば幾らか官位が下げられて分相応の位で落ち着くことだろう。この国で学んだことは、それから徐々に生かしていけば良い。

「僅か三年での帰国は異例だが、事情が事情だ。陛下もご理解くださるだろう」

「じゃないと逆恨みしたお偉方に刺されかねないから、か」

「『学べど与さず』、だ」

「耳が痛い」

 この国で細君を見つけ婿入りした同朋が頭をかく。

 別に責めるつもりはない。本来なら短くとも五年、長ければ何十年とこの国で学ぶのだ。彼のように良人を見つけ根を下ろす人間も多い。流石に故郷に妻子や恋人を残してきたと言っていた別の同朋たちから、この国で妻にしたい女性と出会ったと言われた時には眉をひそめたが、どの道他人が口出しする話でもない。せいぜいその不誠実さに呆れ軽蔑する程度の話だ。

「一番近いのは三日後の船だな。それを逃せば半年後だ」

「流石に三日後は無理だな。わかった、なんとか半年で片付けて、」

「妾も行くのじゃ!」

 ……聞き覚えのある声に、私と同朋は揃って窓に顔を向けた。

 つい先日見たばかりの幼女が、窓枠に必死にしがみついている。うぬ、うぬぬ~! とよくわからない気合を入れている様は、きっと見る者が見れば可愛いのだろう。私には頭痛の種にしかならないが。

 アレが? 無言で尋ねてくる同朋に、こちらも無言で頷く。途端、同情する瞳になったのはどういうことだ。同情は食えん、それくらいなら金でも寄越せ。

 同朋の細君は、神とも崇める相手の登場に目をこれでもかと見開いたかと思うと、ふう、と気を失ってしまった。慌てて同朋が彼女を受け止める。箱入りで育てられた令嬢には、些か衝撃が強すぎたのか。

 ため息を吐いて、私は窓枠に寄った。そして、今もまだ懸命によじ登ろうと奮闘する天龍殿をひょいと抱き上げる。

「ん? おお! これはありがたい。助かったぞ、橘!」

「……どうも」

 調子が狂う。

 にぱっ、と喜色満面、明るすぎる笑顔を向けられれば、言おうと思っていた文句の二つや三つは引っ込もうというもの。子どもはこれだから苦手だ。

「どうしてこのようなところにいるのですか」

「うむ。それはな、橘に会いたかったからじゃ!」

「そうですか、ではこれで会えましたね。お帰りください」

「何故じゃ!」

 どうしてそこで盛大に衝撃を受けたような悲壮な表情をするのか。

 嫌じゃ嫌じゃと天龍殿がしがみついてくる。このまま抱き上げているのは如何なものかと思うのに、下ろそうにも下ろせない。胸元から引き剥がせば、今度は腕に抱き付いてきた。どうしたものか。

「妾は橘といたいのじゃ、そう決めたのじゃ! 橘が故郷に帰ると言うのなら、妾も共に参ろうぞ! だから置いて行かないでたも」

 最後の言葉だけは、弱弱しく寂しそうに、上目づかいで。誰に吹き込まれた小技かは知らないが、この幼女、実にあざとい。

 その証拠に、先ほどまで確かに同情の込められていた同朋の瞳は今や私を責めたてるものに変わってしまった。何故だ。それこそこちらが聞きたい。

「うっ、橘がまだ妾のことを好いてくれていないのは、妾もわかっておるのじゃ……じゃから、っく、今すぐ伴侶になってたもとは言わぬ。言わぬがせめて、妾が一緒にいることだけは許してほしいのじゃ……っ」

「謹んでお断り申し上げます」

「うう……うわーん! 何故じゃ!」

「天龍の方々は、言質を取るのがお好きだと聞いたもので」

 「一緒にいる」を拡大解釈すれば婚姻だ。それくらいなら、とうっかり承諾でもした日には、私は問答無用で天龍殿の伴侶にされてしまう。

 余談だが、忠告を下さったのは誰あろう玉座の御方である。彼の方はうっかりまあそれくらいならと承諾した挙句、言質を取ったと一瞬で今の美女姿になった当代天龍殿にぱっくり食われてしまわれたとか。言質に加えて既成事実。逃げ場はなかったと遠い目をされていたのが胸に沁みる。

 果たしてこの天龍殿が私に対してどうやって既成事実を作るつもりだったのかはわからないが、用心に越したことはない。実際、ぐりぐりと額を私の腕に押し付けながら天龍殿は小さく舌打ちをしていた。

「何故じゃ、当代はこれでいけたと言うておったのに……!」

「…………」

 なるほど。やはりと言うか何と言うか、入れ知恵したのは当代天龍殿だったらしい。

 まさか妾を謀ったのか、と理不尽な怒りを当代殿に向ける前に、同じ言葉をご自身にも向けると良いと思う。こちらを謀る気満々だったのはそちらでしょうに。

「ならば、橘! お主の真名を教えてたもれ! 代わりに妾の真名も教え、」

「お断りします」

 真名交換は婚姻の儀式で行うべきものである。最早騙し討ちではなく直球勝負で来るとは。この天龍、形振り構わないにも程がある。

 同朋の視線が、「お前は鬼か」と言っている。どうせ鬼遣らいの血筋だ。絆されるほど思いやりにあふれているわけがない。

 うりゅうりゅと天龍殿の瞳に涙がたまっていく。これは泣くなと察して、「服を濡らすのはご勘弁いただきたいのですが」と言えば今度こそ同朋に小突かれた。何故だ。

「お前には血も涙もないのか! 今にも泣きそうな子どもに言う言葉じゃないだろう!」

「天龍殿は外見以外子どもじゃないだろう。だから成人と見なした対応をしただけだ」

「そういう問題か!」

 ごちゃごちゃ喧しい男である。そんなに外見が大事なのか。

 と、天龍殿の手が私の頬に伸びてきた。

 引かれるままに顔を向ければ、天龍殿の顔も近づいてくる。が、もちろん唇同士が重なる前に空いた手で防御させて頂いた。

 油断も隙もない。これでもまだ外見相応の対応をしろというのかと同朋を横目で見れば、今の間にとっとと退室してしまったらしい。「邪魔者は消えるぜ~!」と遠ざかる声が言う。……ヤツとは後で、じっくり話をしなければならないな。

「うー、うー!」

「まったく……わからない方ですね、貴女も」

 諦めが悪いと言おうか、何と言うか。こんなところで龍族らしい執念深さを発揮しなくとも良いだろうに。

 首を振って私の手から逃れると、天龍殿はぴょんと私の腕から飛び降りた。

 くるりと振り向いて対峙すれば、やはり目線は下になる。これは私が膝を折るべきかと考えている間に、今度はぴとりと足に抱き付かれてしまう。

「何故じゃ……何故お主は、妾を拒む? こんなに愛しておるのに……」

「昨日の今日でそう言われましても」

「龍族の愛は瞬間沸騰永久保温版なのじゃ。例外はない」

「それはそれは」

 龍族同士ならまだしも、他種族にとっては傍迷惑な性質だな。瞬間沸騰の方はもちろん、永久保温だとかいうのも。

 過去、龍の伴侶に選ばれた人間全てが生涯誠実だったわけではない。だが、龍族は愛が深く重い分悋気も激しい。浮気相手諸共頭から食われたのは、確か五代目の東方皇帝だったろうか。東方帝国史上唯一、譲位ではなく死によって位を退いたことで、一時この国も政情不安定になりすわ戦乱の世再びか、となった。このため、貴族連中でさえ第二第三夫人を囲っているのに、国主だけは強制的に一夫一妻である。そうでなければ国が滅びかねないところに、この大国の脆さもまたある。まして相手はヒトではない。御しきれない強大な存在を庇護者としてきた歴代の御方々のご苦労ご心痛は察してあまりある。

「昨日も言いましたが、私はこんな姿でも女なので。天龍殿の婿にはなれませんよ」

「ならば、嫁でも我慢する。妾の伴侶になってたも……」

「天龍殿が男性であれば、それも可能であったのでしょうが」

 雌生体の龍族の嫁になるとは、一体何の冗談か。万が一そんな事態になってみろ。故郷に残してきた父が憤死しかねない。

 まるで本当に頑是ない子どものようなことを言い出す天龍殿に苦笑していると、突如その天龍殿がガバリと顔を上げた。

「……まことか? まことに、妾が雄生体であれば、橘は妾の伴侶となってくれるか?」

「そうですねえ」

 言い訳を、するならば。

 ここで私は、肯定の意味ではなく、あくまでも相槌の一種として「そうですねえ」と口にした。そのつもりだった。あれほど玉座の御方に「そのつもりがないのなら、『はい』や『ええ』といった肯定と取られかねない言葉は使うな」と、散々に忠告されていたというのに、ついいつものような受け答えをしてしまったのである。

 私の言葉を聞くやいなや、琥珀色だった天龍殿の瞳が金色に輝く。泣いた鴉は、なんともまあ憎らしいまでに晴れやかな笑みをゆるゆると浮かべた。

 失態に気づいた時にはもう遅い。聞いていた通り瞬きの間に見下ろしていた背丈は見上げるものになり、可憐で愛らしい幼女は霧のように消えてしまった。代わりにそこにいたのは、可愛げの「か」の字も見当たらない、成体の龍族。

「ならば、これで橘は妾の伴侶じゃな!」

「……龍族が雌雄同体とは、聞いたことがなかったのですが……」

 着物の衿から覗く喉仏といい、艶のある声といい。ついでに勢いよく抱き付いて私の顔をこれでもかと押し付けてくる、真っ平らで膨らみの欠片もない胸板といい。

 美青年に化けた元美幼女。これが詐欺でなくて何だというのか。

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