最終話 春を告げる花 (2,900文字)

 薄く降り積もった雪がぼんやり灰色に浮かぶ夜の街を、俺は歩いていた。


 明かりはガス灯と、数メートルごとに建つパブの窓からもれる灯りぐらい。パブの店先では、はみ出した客たちが酒を片手に歌っている。へべれけでもなぜかうまいこと合唱になるのだから不思議なものだ。

『浮き沈みはつきものさ』

 だってさ。


 真っ暗な店先のショーウィンドーに自分の姿が映る。青いドレスはところどころ裂けており、腕には血がにじみ、点々と返り血が染みている。

 この暗さでは、ぱっと見ても血だとは思われないだろう。


 このドレスを調達してくれたのはハンナだ。

 ショーンの仇であるヤクザ集団の情報を集めてくれたのも彼女だった。

 俺はハンナを仲介役に、色々な仕事を受けるようになっていた。

 簡単な使い走りから、身辺警護まで。様々である。その中には殺人依頼もあった。裏稼業ってやつだね。


 俺は殺しは軍人だけと限定した。いつか母さんの仇につながるかもしれないし、無関係だったとしても、手にかけるのにためらわずにいられる、なんて考えてた。


 でも、そんな簡単なことではなかったんだ。

 死ぬほど震えながら銃を握って、実際に何度も死にかけた。

 恐ろしくて恐ろしくて。

 消えない血の臭いに泣きじゃくった。


 俺の所業を、ハンナが知ってくれている。

 それが救いだった。


 ハンナが、そんな犯罪ともいえる仲介役を買って出たのは、父親のためだった。重い病気らしい。俺に仕事を仲介し、その手数料を医療費に充てている。

 その手数料が、これまた高いんだ。文句はいえないけど。

 彼女は、自分の正義を天秤にかけたのだ。


 だけど、今回の件は依頼ではない。

 どこからも報酬は生まれず、ハンナにとっては俺に手を貸すメリットがない。

 数時間前のやり取りを思い出してみる。


『すごいわ、どこから見てもレディーよ! 髪飾りは外しておく? 銃は持った? ちゃんと整備したでしょうね?』


 舞踏会にでかける娘を心配する母親のようなハンナに俺は苦笑したものだ。


『忘れるわけないだろ!? 何しに行くんだよ。髪飾りは預けておこうかな』


 翡翠のついた髪飾りを受け取り、ハンナはそれをじっと見つめる。もう片方の手には、深緑色の帽子。


『あたしが世話してあげたんだからね、銃買うの』


『わかってるよ。恩はいつか返すってば。でも本当にびっくりしたな、あの時は。真面目に生きろといってたハンナが、悪の道に足をつっこむなんて、って……いでで!!』


 ハンナの指が頬をわし掴む。


『誰のせいよ! ばか!! まったく、もう。……覚悟なんて、あの朝、あんたにおわんを差しだした時点で決めてるのよ』


『……え?』


『いいから、さっさと用件済ませてきなさい。このツケは高いわよ? このままとんずらしたら許さないんだから!! 捕まるようなヘマこくんじゃないわよ!!』


 そうしてケツを叩かれた。


 武器商人の情報を渡す際に、ハンナが流した涙のわけを考える。

 怖かった? そりゃそうだ。

 悲しかった? なぜ。

 何かわかりそうになった、その時。

 ふと立ち止まれば、俺は細い路地の入口にいた。


 ここは――ショーンと別れた場所だ。

 無意識に向かっていた俺、可哀想な奴だな。


 俺は神様は相変わらず信じていない。

 だから、死後の世界とかも信じちゃいない。

 そのはずなんだけど。

 こんな恰好、ショーンの弔いには向いてないな、などと自嘲気味に笑ってしまう自分がなんか嫌だね。


 ショーンがもたれかかっていた壁は、何も変わらずにそこにあった。

 よっぽど感傷的になっているらしい。俺はそこに腰を下ろし、壁に背を預けるなんてことをする。

 じっと目を閉じていると、人が近づく気配がした。

 身構えながら目を開けると、少女が立っていた。


「ファーラ……!?」


 ショーンの妹、ファーラに見えた。しかしその少女は澄んだ茶色の目に淡いブロンドの髪を持った別人だった。


 今日の俺は、本当にどうかしてる。


「お姉ちゃん、どこか痛いの?」


 少女が口を開く。五歳くらいかな。靴は履いているが、粗末なドレスにショールを巻いているだけだ。冷たい空気で頬が赤くなっている。


「お兄ちゃん、だよ」


 俺の返答に少女は首を傾げる。ヤクザも騙せたくらいだ、俺の女装は完ぺきらしい。


「君のお母さんより、きれいだろ?」


 少女は首を振る。


「お母さん、もういないの」


 ――ああ、この子も。

 俺は自分の発言の失敗を悟った。

 少女は俺の後悔に気がついたようで、


「もう悲しくないの」


 とフォローを入れてきた。大人だな。


「お兄ちゃん、きれいな目ね。ママのお葬式で見たの。そんな真っ黒な石」


 マリアもそんなことを言っていた。

 俺の目は、ジェットという宝石みたいだと。

 死者を弔う、祈りの黒。


「君の瞳もきれいだよ」


 かすれる声で言った。口説き文句みたいになってしまったけど、本当だった。

 昔、金持ちの家で見た夫人の宝石よりもきれいだと感じた。

 透き通る金色に近い茶色、吸い込まれそうな、青緑。

 ロンドンには宝石が散らばっている。


「お兄ちゃん、泣いたらだめよ。お腹がすいちゃうよ」


 これには笑った。

 ショーンの言葉、そのまんまじゃないか。


 ちくしょう、我慢してたのに。

 瞼を閉じても涙があふれてくる。


 袖で目元を拭い、ドレスのポケットに手を突っこんだ。

 俺の飛び道具、最終兵器。一ペニー銅貨。

 これでもくらえ。


「やるよ」


 ぼろぼろで、薄着の恰好をみれば貧しい生活を送っているのがよくわかる。おまけにここはホワイトチャペル。一ペニーだって、助かるはずだ。


 少女は俺の手の平の銅貨と、顔を交互に見てる。

 頼むよ。

 受け取ってくれよ。

 帽子を渡せなかった、あの日の光景が重なる。

 俺はこの少女に硬貨を与えることで、間接的に罪滅ぼしをしようとしている。

 なにより憎いのは、俺自身なのかもしれないね。


「ライザ!!」


 背後から響いた声に少女が振り返る。

 ひとりの少年が駆け寄ってきた。同じ金髪と目の色だ。


「お兄ちゃん」


 本物の兄貴か。少女の肩を抱き寄せ、俺のことを攻撃的な目でにらんでいる。


「ひとりで歩いちゃだめだって言ったろ!」


「でも……」


「娼婦なんかと話すな! 連れてかれて、仲間にされちゃうんだぞ!」


 少年は少女をぐいぐいと引っ張っていく。

 その背後にも、何人かの子供たちが見えた。

 俺はため息ついて、立ち上がる。

 残念だが、その警戒心は推奨しよう。この街で生きていくには必要だ。

 俺も、愚かなまねをした。




 大通りへ出ると、冷たい風が吹きつけた。寒いねぇ。


 トップと幹部を失ったヤクザの残党は、別のグループに吸収されるだけだろう。ロンドンは何ひとつ変わらない。


 情報屋に金を払うようになって、気づいたことがある。

 母さんは、髪を売った金で去っていった男を探したんだと思う。

 俺も、なんとしてでも辿り着くんだ。その男に。ショーンの帽子も、必ずあの子に届けてみせる。約束だから。


 俺の現実は続いている。


 まずは、そうだな、ハンナに礼をしなきゃね。心配もしている……はず。正直言うと早くジンの湯割りで温まりたいね。


『忘れられたら嫌だから』


 と、ハンナは誕生日をなかなか教えてくれなかった。

 忘れるわけないのに。

 こりゃあ高くつきそうだね。


 心配が爆発する前に、花でも買って戻ろう。

 きっともうスノードロップが出回っている。


 春はもうすぐだ。



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ロンドンサバイバル~ヘタレな僕の復讐~ やなぎ まんてん @hishiike

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