第17話 教会裏、雪上の戦い (3,600文字)
「な、んで……」
目の前に現れた黒づくめの男に、鼓動が速くなる。思わず地の声がもれた。
帽子もなく、乱雑に広がる黒髪頭。
不機嫌そうに寄った眉、刺し殺すような眼つきに、唇だけが笑ってる。
子供の頃、母と歩く俺に足をかけつばを吐き、数年後に再び現れて銀貨を奪い、街中で銃を発砲して監獄へと消えた少年。
あれから数年が経っている。さすがにもう少年ではないが、青年とも言いがたい、異質な幼さのようなものがあった。
俺が監獄送りにした。だが、その後どうなったのかはわからずじまいだった。
ホラ吹きガイのおっさんが言っていた、流刑の噂を自分の中で真実にしてしまっていた。
それが、また。こいつは俺に憑りつく悪魔なのだろうか。
「仕事を終えてきたか! 貧相な身なりだが、こやつはわしたちの飼い犬よ。安心したまえ!」
俺の肩にヤクザのボスが手を置く。
黒髪悪魔は俺の正体に気づいてるようだが、無言で笑みを浮かべているだけだ。
「静かにはなったが警察が来そうだ。さて、歓迎の宴はわしらのねぐらで開こうか! ぐふふ、がはは!」
男の生暖かい鼻息が頬にかかった。
そうして俺は、吐く息も白い寒さのなか、パブから近い教会の裏手で取り囲まれていた。
「がっはっは! 誘惑に乗ったと思ったか? 何を企んでいるかは知らんが、裏社会の大人を見くびるんじゃないぞ、お嬢さん!」
どうやらただのエロジジイではなかったようだ。さすが、盗品マーケットを取り仕切る組織のボスといったところか。
ボス以外の男は六人。黒髪野郎の他はみな、気味悪く湿った、欲の浮かんだ目で俺を舌なめずりして見ている。男だとはバレていないようだ。
マリア。
君はいつも、こんな視線を浴びていたの。
「ショーン、というアイルランド人の少年は覚えていて?」
俺の問いにボスの男は眉を寄せる。
「四年前、あなたたちに近づき、ある髪飾りの情報を聞いた少年がいたでしょう? 仕事として街の諜報部員まがいのことをさせていた。その少年は、あなたたちの金品を盗んでしまったわね」
情報屋に金を払って、探ってわかったこと。もちろんガイではない。
「ううん? 覚えとらんな。そんなガキ、腐るほどいたからな! しかしまぁ、部下たちが葬ったんだろう。がはは、なんだ、家族だったか?」
カス野郎が。
俺はボンネットをはずし、外套を脱ぎ捨てた。
ドレスの段のように重なる裾が冷たい風にあおられる。
ハンナに協力を得て、高級娼婦が着るような見栄えのいいドレスを手に入れた。
色はもちろん、目の覚めるような青だ。
マリアがまとった、勝負の色。
雲の間からたまにのぞく空より、ずっと青い。
パブでの会話から、こいつらも娼婦を家畜のように扱う商売をしていることがわかる。
マリア、ショーン。
俺はこいつらを地獄へ送ってやるよ。
「むぅ!?」
目を見開く老テリアに向かって一歩踏み出した、その時。
ばしっ!
横から入れられる拳を手の平で受け止めた。びりりと肘までしびれが走る。
底の見えない黒い瞳とにらみ合う。
この黒い怪物とも、決着をつける時だ。
空気を切るような蹴りが顔面に向かってくるのをぎりぎりでかわす。
黒髪野郎はそのまま、軸足を変えて回し蹴りを食らわしてきた。
腕でガードするが、衝撃でバランスを崩しそうになり片足を下げた。そこをすかさず狙った足払いで俺のからだは地面に引っぱられるようにして倒れる。
まずい。
すぐさま転がると、地面をえぐる音が聞こえ、飛び散る雪が視界に入った。
片手を地につき、飛びのくようにして立ち上がる。
数年前にストランドの通りで一戦交えた時よりも動きに切れがある。こいつも色々と修羅場をくぐってきたのだろう。
だが、俺もあの時とは違うんだ。
鋭利な足技をなぐようにかわしながら、相手の隙を突くように掌打を加える。体勢が崩れたところに膝、肘で重いダメージを与える。
相手はそれでも、俊敏な動きで体勢を立て直しながら攻撃のリズムを崩さない。
地面に薄く積もる雪をかく音と、お互いの短い息づかいだけが耳に入る。
追って、追われて、近づいては離れる。
くるくる回る、青と黒。
ダンスのような、はたまた猫同士のじゃれ合いか。
いや違う。
殺し合いだ。
張り詰める糸一本みたいな緊張状態のためか、時間の感覚が薄れてくる。
そろそろケリをつけなければ。
相手も限界が近いのは、吐き出す白い息で見てとれる。
次だ。
次の大きな一撃で、勝負を決める。
奴の黒い瞳が無言で語りかける。
おまえも同じ穴のむじな。世界を憎み、牙をむいて自分を守る生き物。
ああ、そうだよ。
それでも俺は、己の正義で生きていく!!
裏拳がこみかみに入った黒髪野郎がほんのわずかにふらつく。
ここだ。
俺は踏み込み、奴の心臓めがけて掌打を加えた。衝撃が相手のからだにまともに入ったのが伝わる。かはっ、と息を吐きながら、しかし奴は倒れない。
とどめの一撃を加えるため、俺は息を吸った。
しかしその時、銃声と同時に、黒髪野郎の左胸から血しぶきが散った。
「なっ!?」
振り返ると、老テリアが銃口を向けていた。
「ううぬ! もう見ておれん! 女に手こずるとは、使えない奴だ!」
俺を狙ったわけじゃないのか。
黒髪野郎が両腕を広げた恰好で雪の上に倒れる。声も上げずに。
「何を考えてるかわからん奴だ。手を噛まれる前に、そろそろ捨てようと思っていたところだ! がはははははっ!」
俺は歯を鳴らした。なんでかな、腹が熱くなってくる。
ありがとよ。心の底から殺してやりたいと思えたぜ。
女王がインドの王になった姿をてめぇが拝むことはない。
一直線に走りだす。
パンッ!!
響く銃声。老テリアの銃口が火を噴いた。
それでも俺の足は止まらない。
もう、銃声に怯える俺じゃない。
かがみながら、ももに固定した銃を抜く。コルトМ1848。六発勝負のリボルバー。
最後に教えてやる。
「清との戦争は、終わってねぇよ」
目を見開く老テリアの眼前に踏み込む。立ち上がり、その眉間に向かって引き金を引いた。
後頭部から血しぶきが広がる。驚いたような顔のまま膝から堕ちた。
「うわぁ! 親父ぃ!!」
残る五人がわめきながら銃を取りだす。
ひとり、二人と銃弾を撃ち込んでやる。無駄なく、一発で終わらせる。三人目の頭部を撃ちぬいた時、銃弾が俺の腕をかすった。
わずかに力が緩んだ隙に、銃を持つ手を蹴り上げられた。やられた。銃が弧を描いて飛んでいく。
後方に回転するように飛びのく。銃声があとを追う。
立ち上がると、ひとりが眼前にいた。
「ぜぃ、ぜぃ。やってくれたもんだぜ。だがもう終いだ。観念しな!」
俺に銃を突きつけ、息を荒げているのは一番アホそうだった男。
「俺たちも焼きが回ったもんだ! まさか、こんな女装した小僧に一本取られるなんてな!」
さすがに男だと気づいたか。
俺は遠くに落ちている銃に視線を向ける。取りに行くには離れすぎているようだ。
「あきらめろ。お前を始末したら、次は家族、仲間だ。すべて皆殺しにしてやる! 俺たちに手を出したこと、あの世で悔いるんだな!」
男の、引き金にかかった指が白くなる。
瞬間、俺は後方にのけぞるようにして男の顎を蹴り上げた。
よろめいた男が落とした銃を拾い上げる、その視界の端でもうひとりが銃を向けるのが見えた。
「野郎!!」
この一瞬。勝負が決まる一瞬。
一撃で決めろ。
銃口を向けながら引き金を引く。
男の頭がのけぞり、そのまま膝が折れる。
「うぐ……」
顎をおさえながらうめく男の前に立ち、銃を向ける。怯えた眼が俺を見て、口が開きかけた瞬間、ためらいなく撃った。
どさりと落ちる男のそばに銃を放り投げる。
「家族、仲間? 俺にはそんなもんねぇよ」
白い雪に血を吸わせる男に向かってつぶやいた。
殺したいほど憎かった者たちの亡骸を前に、決して心は晴れ晴れとはしていない。ひどく疲れた、それだけだった。でもそれも、予想はしていたんだ。
警察が飛んでくる前に、早くこの場を離れよう。銃を拾おうと一歩踏み出した俺は、首の後ろに冷たい物を押しつけられる感触に全身が凍った。
それはすぐに離れる。
こちらを向け、という指示だ。
ゆっくりからだを後ろへ向ける。
予想通り、黒髪男が俺に銃を向けて立っていた。
肩の下あたりがぐっしょりと濡れている。銃弾は心臓を外したようだ。
眉間に銃口を突きつけられながら、俺は男の黒い眼をまっすぐに見据えた。
のっぺりとした、底なしの黒が迫ってくるようだ。
きっとこの男、あの少年グループの連中やヤクザたちの中でも、ずっとひとりだったのだろう。そんな、空虚な眼。
俺は目を離さない。もう、飲みこまれやしない。
にらみ合ったのは数十秒、あるいは数秒だったのか。
ふいに奴は飛び散った血で濡れた顔を傾け、鼻で笑った。
なぜだろう、そこから不気味さは感じなかった。
「……弾切れだ」
その一言だけ発し、奴は手を下ろすと俺に背を向け、のろのろとした足取りで歩きだした。俺はじっと立ったまま、遠ざかっていく後ろ姿を見ていた。
復讐は、いつ終わるんだろうな。
その黒い姿は夜の景色に溶け込んで、すぐに見えなくなった。
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