本文(プロローグにあたる部分)


 闇夜の静寂を切り裂くように響く、甲高いサイレンの音。

 その音が煌々と紅に輝くパトランプの点滅と共に自分が隠れている路地裏から遠ざかっていく様を耳にした男は、腕の中のアタッシュケースを大事そうに抱えながら満足気に微笑んだ。


「へ、へへへ……! あと少しだ、もう少しで俺は……!!」


 ケースの中には、ぎっしりと札束が詰まっている。

 金額にして数千万は下らないであろうその金は、真っ当な手段で稼いだものではない。


 男は犯罪者、それもゲス中のゲスと呼ばれる分類の人間だった。

 数時間前、とある金持ち夫婦の一人息子を誘拐した彼は、子供を解放する条件として多額の身代金を要求したのである。


 今、彼が抱えているアタッシュケースの中に入っている金は、子供と引き換えに得た身代金だ。

 その重みを感じている男は、湧き立つ興奮を表すように下品な舌なめずりをする。


「まったく、犯罪ってのは最高だぜ。こんなに楽しいことをしながら金が稼げるんだからな」


 キヒヒと、狂気が混じった笑い声を喉から絞り出しながら、込み上げる熱い感情のままに呟きを漏らす男。

 そのまま右手に嵌めていた手袋を外した彼は、意識を集中させると自身の能力を発動する。


 ヴンッ、という音と共に彼の右腕全体が淡い光を放ち、形状が変化していく。

 中指を頂点とするような鋭さと、鈍い銀色を持つようになった彼の腕は、ほんの数秒の間に一本の巨大な刃物へと変形していた。


「心臓をぶっ刺すあの感触、一度味わったら病みつきになるぜ。キヒ、キヒヒヒヒヒ……!!」


 刃先に残るあの感覚。つい一秒前まで脈打っていた心臓が、弱々しくその鼓動を静める時の感触が指先に蘇る。

 日常生活では役に立たないどころか邪魔でしかないこの能力だが、殺人の際には大いに役立っている。


 命を奪う実感、人を殺した時の仄暗くも血が沸き立つような感触が、男を狂気の道へと駆り立てた。

 誘拐も、身代金の要求も、メインディッシュの前のお遊びに過ぎない。

 金を貰おうとも、相手が警察に通報していなくとも……攫った子供を殺すことは確定している。


 今回もそう。泣きながら息子の無事を祈っていた両親を嘲笑うかのように、彼は誘拐した子供を殺した。

 心臓を貫かれる刹那、何もかもに絶望し、恐怖した少年の表情を思い返した男は、狂ったように笑い続ける。


「ひ、ひひひ、ひひひひひひひひ……! 最高だよ、殺しは。俺はもっと、この快感を味わいてえ……!!」


 人を殺すための武器と肉体が一つになっている自分の能力は、殺人者としての自分の願望を叶えてくれる。

 NEO-Sとして覚醒した力の誤っているが正しい使い方に狂喜乱舞する男であったが……その瞬間、闇の中から低い声が聞こえてきた。


「随分と、嬉しそうだな。何がそんなに楽しいんだ?」


「だ、誰だっ!?」


 あまりにも不意に聞こえてきたその声に、咄嗟に立ち上がった男が刃に変形させた右腕を振り回しながら周囲を見回す。

 そう広くない路地裏には自分以外の気配はないし、動く者の姿も見えない。誰も周囲にいるようには思えない。


 聞き間違いだったのかと、先の声はハイになった精神が作り出した幻聴だったのかもしれないと考えた男が緩く息を吐いて警戒を解いた、その時だった。


「えっ……?」


 何かが……いや、誰かが自分の右腕を掴んだ。

 鋭い刃となっているそこを強く握り締め、ゆっくりと持ち上げたその人物の姿を目にした男は、全身から血の気が引いていくような感覚に襲われる。


 そこに立っていたのは、漆黒の騎士だった。

 夜の闇が人としての形を得たかのような、あるいは暗黒を鎧として身に纏っているかのような、黒い宝石で作られた刺々しい甲冑を身に着けた男が、変形した自分の右腕を握り締めている。


 ゆらりと揺らめく蒼炎を思わせる眼光を男へと向けた漆黒の騎士は、ただ淡々と剣と化した右腕を握る手に力を込めながら、彼へと質問を投げかけた。


「教えてくれ。何がそんなに楽しい? 何がそんなにお前を昂らせる? 命を奪うことは、他人の悲鳴を聞くことは、そんなに楽しいことなのか?」


「ぐっ!? は、放せ……っ!!」


 刃に変形しているとはいえ、騎士が握り締めているのは男の右腕だ。

 ミシミシという音と共に自身の腕が悲鳴を上げ、その痛みを感じる男が抵抗を試みようとするも、騎士はびくともしない。


 非情とも、残酷とも違った。この漆黒の騎士は、ただ成すべきことを成そうとしているだけだ。

 そんな、無機質な感情を目の前の謎の存在から感じ取った男が背筋に寒気を感じた瞬間、漆黒の騎士が断罪を開始する。


「……なら、俺も試してみよう。お前の気持ちが少しは理解できるかもしれん」


「は……?」


 バキンッ、という音が響いた。

 あまりにも唐突で、小気味のいいその音を耳にした男は、自分の右腕がへし折られている様を目にして間抜けな声を漏らす。


 能力が解除され、右肘から先の腕が消滅している様を目にしてようやく現実を理解した彼は襲い掛かってきた痛みに絶叫しようとするも、漆黒の騎士はその声が飛び出す前に男の喉を叩き、悲鳴を押し留めてみせる。


「あぐっ!? がっ……!?」


「時間を考えろ。寝ている子供を起こすつもりか?」


「がふっ、がっ、ぐぅぅ……!!」


 たった今、へし折ったばかりの男の右腕を、それが変形したままの巨大な刃を見せつけながら騎士が言う。

 最大の武器である右腕を失い、悲鳴すら上げさせてもらえない状況に追い込まれた男は、左腕で抱えていたアタッシュケースを騎士へと差し出しながら涙目になって必死に首を左右に振った。


「ご、降参、じまず……! でいごう、がふっ! し、しないがら、許して……!!」


 半ば潰れている喉から声を絞り出し、降伏の意を示す。

 抵抗の意思を持たない犯罪者に対しては、警官もヒーローもそれ以上の武力制裁は行ってはいけないという国際規則に基づいた安全の確保を試みようとする男であったが、漆黒の騎士は小さく鼻を鳴らすと、男の顔面へと左のストレートを叩き込んでみせた。


「ぐぶぅっ!? ぶべっ!」


「何か、勘違いをしているな。俺はお前を逮捕しに来た警察でも、ヒーローでもない。ルールなんて関係ないのさ」


「がっ、がぶっ……! ま、まさか、お前……!?」


「想像の通りだ。俺はお前を殺しに来た。お前の末路は、絶望しかない」


「ま、待って、た、たずげ――」


 騎士の正体と目的に気が付いた男が、目に涙を浮かべながら必死の命乞いをする。

 しかし、漆黒を纏った騎士は小さく首を横に振ると……そんな男の目を真っ直ぐに見ながら、無情な死刑宣告を口にした。


「何の罪もない子供を、楽しみたいという理由で殺したんだろう? そんな奴の命乞いに耳を貸す価値があると思うか?」


「ひっ! い、いやだ、いや……がぶっ!!」


 懸命に死を拒もうとする男の額を、左腕で押さえつける。

 上を向かせ、急所である喉を無防備に露出させた騎士は、そこに彼の右腕が変形した巨大な剣の切っ先を突き刺した。


 喉の奥から血があふれさせたような呻きを漏らして、男が白目を剥く。

 じわり、じわりと痛みを感じさせるように、一瞬で楽にするのではなく、死の恐怖と絶望を存分に味わわせるかのようにゆっくりと刃先を男の喉へと押し込んでいく騎士が、静かに彼へと語り掛ける。


「これが絶望……そして死だ。己の身で味わった気分はどうだ?」


「がぼ、がぼぼぼぼぼ……」


「遠慮するな、じっくりと味わえ。なにせ、人生で一度しか経験できない感覚だからな」


「ごぼっ、ご、ご……」


 男の抵抗が、どんどん弱くなっていく。

 自らの腕で喉を刺し貫かれ、自らの血で溺れる彼の表情が苦悶と絶望に染まる様を目にした騎士は、彼の意識が途切れる寸前に最期の言葉を贈ってやった。


「……残念ながら、俺にはお前の気持ちはわからないようだ。お前を殺しても何も感じはしない。高揚感も愉悦も、何も覚えない」


「が、ぶ……」


「無意味に、無価値に死んでいけ。それがお前のような外道に相応しい末路だ」


「ぐっ……」


 完全に力を失った男の体が最後に一度痙攣した後、ぐにゃりと脱力してその場に崩れ落ちる。

 喉と口から大量の血をあふれさせる男を一瞥した騎士は、無言のまま歩き出すと、夜の闇に溶けるかのように姿を消した。


 残されたのは絶望に満ちた表情を浮かべ、自らの血の池に倒れ伏す殺人者の遺体のみ。

 十数分後、現場に駆け付けた警官たちは凄惨な処刑の様子を想起させる光景に衝撃を受けると共に、犯罪者を裁いた漆黒の騎士……オニキスの関与を確信し、息を飲むのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

①DARKNESS HERO 烏丸英 @karasuma-ei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ