第8話
動脈瘤の治療自体は難しくないというのは理解している。
薬を飲んで処方したり、壁のある部分を止血した状態で切除して新しい人工血管に付け替えるだけ。
ただ、破裂ともなればこの難易度が一気に跳ね上がる。
出血による内部の視界の悪さ。
出血多量によるショック死。
どこにあるか分からない出血箇所の発見。
技術どうこうの話に、時間という制限も設けられるのだ。
並みの精神力では冷静に手術することが難しいだろう。
加えて、致死率が高いという事実が重圧と逃げ道を用意してくる。
―――失敗しても、そもそも死ぬ確率の方が高かった。
―――失敗したら、患者の家族になんて言えば。
だが、そんな感情に左右されてしまえば目の前にいる患者を助けられなくなる。
俺は医者という仕事に誇りを持っている。
貴族という身分でありながらも、人を助けるという素晴らしさにこの道を選んだ。
どんな患者だろうと、自分が担当すれば同じだ。
絶対に助ける。目の前で人が死んでたまるか。
しかし、ただでさえ難しい手術に人手が少ないというのは致命的だ。
俺も未だに動脈瘤破裂の手術などは行ったことがなく、論文を読んで頭に叩き込んでいるレベル。
本来なら経験を多く積んでいる教授が行い、他の医者が助手としてつくはずだ。
それが、覚えただけの医者と今日入ったばかりでアカデミーすら卒業していない貴族の令嬢ときた。
もはや絶望的と言ってもいい。
―――手術室に入った時の俺は、そう思っていた。
「先生、視野の確保が終わりました」
目の前には、貴族の令嬢らしいドレスなどで着飾る様子もないルビア嬢の姿。
初めて出会った時もそうだが、彼女には人の血に対する恐怖心がないのか淡々としている。
更には、こうした切羽詰まってテーブルデスが起こり得ない状況でも冷静に手術だけに集中していた。
(……明らかに現場慣れしている。どうして、このような少女が?)
病院に入る前、ルビア嬢の素性はしっかり洗わせてもらった。
しかし、やはりと言うべきかアカデミーに入っていたどころか医術に触れている形跡すらなかった。
なのに何故? 教えられてもいないこの手術を平気で当たり前のようにこなせる? どうして他の見習い以上に医術やこの動脈瘤を理解している?
まるで今まで何度も経験してきたかのような―――
(……いや、今はそのことはどうでもいい)
今のルビア嬢からは「目の前の患者を救いたい」という気持ちがありありと伝わってくる。
俺も、彼女に驚く前に目の前の患者を助けることに集中しなくては。
「出血部位を確認」
「出血部位、押さえます」
ルビア嬢が誰に指示をされるわけでなく見つけた出血部位を指で押さえていく。
(やりやすい……)
これでは、他の見習いどころかそこらの医者を助手にするより遥かにやりやすい。
おかげで、患者の負担が少ないまま進められている。
だからといって気を抜くな。このままケリー鉗子で上から挟んでいけばいい。
「剥離、始めます」
素早く行え。
いつまで患者の体が持つか分からないのだから。
「クランプ」
「分かりましたっ」
掴んだ下の血管を結紮して伸びた大動脈を切る。それから人工血管を繋げる。
ここからだ。ここからが時間との勝負で正念場とも言ってもいい。
「……助けるぞ、この患者を」
「はいっ!」
―――だが、ルビア嬢とならいける気がする。
不思議とそんな気がした。
♦♦♦
手術自体は早く終わった。
それもそうだ。だって、時間が切羽詰まっている状態でのものだったんだから。
(でも、久しぶりに助手なんかやったなぁ……)
手術が終わって、私は手袋を外しながら手術室を出た。
それにしても、先生って意外と凄い人? 傍で見ていたけど、まだ普及していない手術なのに手が止まることもミスも何もなかった。
あぁいう人こそが天才って呼ばれるべきなんだと思う。
私は知っている情報で立証された知識と技術をなぞっているだけに違いないし、今だって医術の根本を作った偉人は尊敬している。
先生みたいな人が教科書に載るような人間なのかもね。
(それにしても、手術がおわったあとから気づいたけど……なんか周りの視線が変?)
驚かれているような、興味を寄せているような、信じられないといったそんなもの。
なんだ? 私は特に何もしてないし、ルビアちゃんの顔はめちゃくちゃ可愛いんだぞ?
「先生っ!」
周囲の視線を浴びている時、私の下に患者の奥さんがやって来た。
うーん……見習いなんだけど、医者だって勘違いされちゃってるかな?
「主人は……主人は大丈夫なんでしょうか!?」
それは心配になるよね。
手術の終わった患者の家族は決まってこんな反応をする。
私が答えてあげたいんだけど、それを言うのは私じゃない―――
「手術は無事に成功しました」
手術室から、手袋とマスクを外しながら先生が顔を出す。
その言葉を聞いて、奥さんは涙を溢しながら嗚咽を始めた。
「よかった、本当によかった……!」
「油断はできませんし、数日は様子を見なければなりませんが……とりあえずは、胸を降ろしていただいても構わないでしょう」
それが最後の後押しだった。
奥さんは堪えきれなかった涙を流しながら安心しきった表情を浮かべた。
「ありがとうございます、先生……」
「…………」
その言葉は、不思議と胸に温かさと達成感を与えてきた。
手術で執刀したのは先生で、今の言葉は先生に向けられた言葉だっていうのは理解している。
それでも、この人を助けられた……その事実が、この言葉で思い出させてくれた。
「言っておくが、今回の手術は俺だけの功績ではない」
先生が、唐突に私の頭を撫でてくる。
「お前がいなければ、間違いなくこの奥様のご主人を助けることができなかった。誇っていい……お前は間違いなく、この患者を救ったんだ」
その手が妙に優しくて、言葉と一緒に胸に沁みてくる。
だけど、それが妙に気恥ずかしい。きっと、今の私は頬が少しだけ赤くなっているに違いない。
「……褒めすぎです」
「いいや、お前は自分が思っているよりも異常だ。病院で働き始めたばかりのご令嬢がいきなり手術の助手したんだぞ? しかも、滞ることなく常に手術を完璧にサポートしてみせた。流石は天才と言ったところか」
やめて、本当に恥ずかしい。
しかも、ご家族の前で言う言葉じゃないでしょうがそんなこと。
「医者が生まれ変わってルビア嬢に宿ったみたいだ」
「ッ!?」
い、いや、あはは……黙秘権を行使します。
「ま、そんなわけないか。さっさとレポートを纏めに行くぞ。あとは他の連中に任せればいい」
「あ、ちょっと!」
奥さんを置いて勝手に歩き始める先生の後ろを慌ててついて行く。
この人は優秀なんだか面倒臭がりなんだが……でも、それでも嫌いになれないからなんか悔しい。
(あぁ……終わったんだな)
先生の後ろを歩きながら、ふと思った。
命を預かる時間で、誰かの命を自分の手で繋ぎとめて。
最後に、あの嬉しそうな笑顔を向けられる。
感謝という言葉を向けられた時に訪れる多幸感、やり遂げたあとの達成感。
そして、それらが薄っすらと胸の中に残っているこの瞬間が、全てを終わらせたのだと自覚させてくる。
―――総じた話。
楽しかった。
あの空気も、患者に向き合っている時も、誰かを助けたいと思って一生懸命に動かしている時も、全部。
前世では失いかけた、真摯に患者と向き合ったあとに訪れるこの全て。
(やっぱり……医者になってよかった)
この世界ではまだ資格なんかとってないけど。
それでも、この世界に足を踏み入れられて……本当によかったと思う。
できることならこのままずっと、私はこの世界で生きていきたい、そう思った。
「おかげで俺の首が飛ばずに済んだよ、天才ちゃん?」
「先生、いい加減その鼻っ柱と頭を叩きますよ?」
からかってくる先生にため息を吐きつつも、今度は彼の横に並んだ。
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