第7話

『ねぇ、あれって悪女でしょ?』

『どうして白衣なんか着てるんだろ?』

『なんでも今日からここで働くらしいぞ』

『え、うっそ!?』

『どうせコネで興味本位の仕事に就きたかっただけだろ』

『ここは神聖な病院だっていうのに……』


 病院を歩いていると、ヒソヒソとそんな声が聞こえてくる。

 先生の後ろをついて歩いているだけなのにここまでの言われよう。この子は本当にどれだけ傍若無人だったの……?

 っていうか、聴こえてくるぐらいの声で話さないでよ。


(前世でも言われてたけど、あれはどちらかというと嫉妬系だったからなぁ……)


 これを懐かしいと言っていいべきか。

 居ずらくなりたくなかったのに、開始一日でもう肩身が狭く……。


「あまり気にするな」


 そう思っていると、ふと前を歩いていた先生がそんなことを言ってきた。


「周囲に認められた方がいいんだろうが、それはまだ先でいい。そもそも、あいつらよりお前の方が使える」

「使えるって……」

「なんだ? 貴族のお嬢様にはおべっかした方がよかったか?」


 むっ、陰口は嫌だけど馬鹿にされるのはもっと嫌だ。

 おーおー、よく言うじゃないか。これでも中身は大人の女性だぞ。


「普通でいいですよ、もう。子供扱いの方が腹立たしいですし」

「ルビア嬢ならそう言うと思ったさ。なら、周囲の声など無視してしまえばいい」


 どうせ、差を見せつけられることになるんだからな、と。

 先生は再び前を向いて歩き出した。


(なーんかこの先生って憎めないんだよね……)


 からかってきたりするけど、気遣ってくれている空気も感じるし。

 出会って間もないのに、何故かちょっと信頼されているような気もするし。

 でも、まだ特段何かをしたわけじゃないんだけどなぁ。


『急患ですッッッ!!!』

『誰か先生を呼んできてください!』


 そんなことを思っていると、急に病院が騒がしくなった。

 ここは一階部分が急患を集める場所となっている。

 今、私達がいる場所も一階部分。恐らく、急患が運び込まれたのだろう。


「行くぞ」

「はいっ!」


 見習いの私が言ってもいいのか分からないけど、とりあえず先生の後ろをついて行く。

 エントランス近くまで辿り着くと、先生は急患が運び込まれている担架に向かって真っ直ぐ向かった。

 救急室に運ばれようとしている患者。


「患者は?」

動脈瘤どうみゃくりゅう破裂です!」


 ───動脈瘤。

 大動脈の血管の壁が膨らむ病気だ。

 膨らみが大きければ壁が血液の流れを止め、血液が溜まり、大動脈が破裂してしまう恐れがある。

 大動脈が破裂してしまえば、致死率は90%。

 そのため、万が一を考えて事前に手術しておくケースが多い。


 だけど───


「……チッ、よりによって動脈瘤破裂か。俺はやったことねぇぞ」


 そう、この世界では動脈瘤の治療法は医学会で発表されたばかり。

 人工血管なんかは作られているけど、血管を塞ぐという行為だけならさほど難しくはない。


 ただ、場所が問題なんだ。

 大動脈は人間の体内で最も奥にある血管。周りにある臓器全てを剥離しなければ押さえることができない。

 出血箇所を見つけても止血が高度なため、多くの場合は手遅れになる。

 これが致死率90%の理由の一つだ。


(多分、この世界で一度破裂してしまえば助からない……日本でも難しい手術なのに)


 そう思っていた時、突然肩が掴まれた。

 何事かと思ったけど、掴んできた人は───


「お願いです……主人を、どうか主人を助けてくださいっ!!!」

「…………」


 必死な顔で、その言葉を言ってきた。

 諦めかけていた思考が、ふと現実に返る。


 ───いや、何を諦めてたんだ私は。


「他の人間は!?」

「またしても他の手術で……」

「なんだと!? 一応頭に叩き込んではいるが……医者が足りん。俺だけでできる手術じゃないぞ」


 なんで人がいないの!?

 仮に夜勤であっても手術チームは当直で残すでしょ!?

 この病院は国の中でも一番大きい病院なのに……そんなにも医者がいなくて、急患が多いわけ!?


(ふぅ……落ち着け。きっと私より今は先生の方が重圧凄いんだから)


 私は患者の奥さんであろう人の手に優しく自分の手を添える。


「最善を尽くします」

「ッ!? お願いします……」


 これでもかというぐらいに、奥さんは頭を下げた。

 この人にできることはこれで精一杯。けど、この人なりに精一杯のことをしたのだ。

 ───だったら、私も精一杯のことをするしかない。


「先生」


 私は先生の近くまで寄る。


「なんだ? 今は質疑応答の時間じゃ───」


 その瞬間、先生も他の人達の表情が固まる。

 あの悪女が何を言ってるんだ? なんて声が聞こえてきたような気がした。

 そりゃ、悪名高い私がいきなり手術に入りたいなんて言えば驚くだろう。

 そもそも見習いで、今日入ってきたばかりの女の子なのだから。


 けど───


「できるのか……?」

「できます、止血部と臓器を押さえ、先生の助手を勤めるのなら」


 真っ直ぐとした瞳が向けられる。

 前世では何度も手術をしてきた。流石に動脈瘤の手術はしたことないけど、過去にだって大動脈の剥離ぐらいは何度もしてきた。


「……時間がない、今から手術に入る」

「本気ですか!? こんな少女を助手として入れさせるなんて───」

「今は時間がない! こういう問答をしている時間が患者を救う可能性を奪っているんだ! 全部私が責任を取る!」


 その言葉を受けて、周りは黙りこんでしまう。

 先生に怒鳴られたからか、責任の問題を背負われたからかは分からない。

 そして、先生は周囲にいる人間に指示を飛ばすと───


「信頼を裏切るなよ、天才。俺の首が飛んだら一生養ってもらうからな」

「こんな子供に養わせないでください───ですが、最善を尽くします……先生」


 私は、再び先生の背中について行った。

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