ホームエレベーターと太陽光で町おこし

らんた

ホームエレベーターと太陽光で町おこし

 かつてこの国のニュータウンは希望にあふれていた。


 高度成長期の現業職が住宅すごろくの栄光のゴールとして買った一軒家。


 受験戦争の勝利者としての終点。それがニュータウンである。


 しかし、この国は「ニュー」タウンを失ってしまった。


 バブル崩壊以後碌に経済成長も出来なかった。


 帳簿上の不良債権を人的不良債権に置き換えるという「飛ばし」を行ったのだ。


 運よく仕事を得て独立した者で勝ち組は主に都心のタワマンに引っ越した。負け組はそもそも大学を出ても非正規雇用者にしかなれず親の家を根城にした「子供部屋おじさん」となった。


 気が付けば東京都心から一時間半もかかるこの町は団塊世代の引退と共に「オールドタウン」となった。くしくも団塊世代引退時にリーマンショックが起き、いつまでも自立できない我が子を養うために第二の人生を謳歌することなど夢のまた夢であった。


 一部の息子や娘が帰って来る。ブラック企業で体や精神を壊した者、結婚生活が破綻したものなどである。年金受給が減額される。生活に苦しむ元企業戦士たちは三十年ローンで莫大な金額を払ったはずなのに家を売ることにした。しかし査定額はたったの百万円だったりして。家具代にもなりやしない。家を売る事すら出来なくなっていた。気が付けば「フリーターとは何事か!」と罵声を浴びせていた自分がフリーターに落ちていた。夫も、妻も、息子も、娘も。


 こうしてニュータウンはオールドタウンになった。


 子どもたちの声であふれていた公園には誰も居ない。オールドタウンの特徴はゲートボールの音すらしないのである。近所の家に集ってファミコンで遊ぶ子供たちの声もない。商店街はシャッター商店街。みんなSCに根こそぎ客を持っていかれた。そんなSCで六十代後半や七十代の人々が働く。そしてお客も六十代や七十代だったりして。


 本当は住宅は売れるのだ。


 第一に太陽光発電を付けること。ここまではやっている家庭も多い。しかし、ただ太陽光発電を付けるだけでは意味がない。


 第二に蓄電池を付けること。なんで蓄電池なのか? 夜間に電気を利用するからか? 違う。それもあるが本当はもっと大きな目的がある。千葉電柱台風(二〇一九年)の時のように大規模停電の時に太陽光と蓄電池は本領を発揮するのである。台風だけではない。地震の時にも威力を発揮する。そう、非常用電源としても活用できるのである。太陽光は役に立たないとか挙句は原子力を再稼働させようとする。アホか。二〇二九年に真の意味でのゼロエネルギーハウス(ZEH)が実現する。このままの技術で行けば二〇二九年頃に太陽光と蓄電池で約六年で投資額を償還できる。つまり電気代が事実上タダになるのである。あまりに太陽光の性能が良すぎて最近は夏場を中心にメガソーラーを中心に事業者に対し発電抑制を強いられている。


 二〇一九年に大泉環境大臣は火力も原子力も削減すると国連で明言した。「どうやって?」の声に「太陽光です」となぜ答えられなかったのか。そもそも透明電極ヒーターの発明校はあろうことか大泉環境大臣の母校八景学院大学のものである。ちなみに雪国でもLED信号機が見やすくしたという発明品だが実は太陽光発電にも使えるのである。それどころか雪下ろしという危険な作業が消えるのである。豪雪地帯だから太陽光は要らないというのは過去の話である。しかし二〇世紀で時が止まっている日本人は自分の国で発明した製品の意味すら分かってなかったのだ。


 もし国産太陽光と国産蓄電池が日本全国に普及すればこの国の電機業界は生き返ることであろう。わが息子、娘をニートやフリーターに落とさずに済んだのである。太陽光産業は原子力産業よりもはるかにすそ野が広い製品である。それどころか無電源地帯を電化できる。中国はそうやってアフリカ諸国に大量に大量の太陽光パネルと蓄電池を売っているのだ。電化製品と共に。二〇〇五年頃まで太陽光パネル世界シェア一位はなんと日系メーカーのカープである。カープ、大セラ、五洋電機…。この国は最後の勝機(商機)を、チャンスを逃したのである。


 蓄電池は主にリチウムイオン電池を使う。そう、何で日本人はリチウムイオン電池でノーベル賞を受賞出来たのか受賞理由すらよくわからないまま「日本スゴイ」と自画自賛していたのであった。単にPCなどでリチウムイオン電池が普及してるから受賞したのではない。リチウムイオン電池は太陽光+蓄電池という地球環境の切り札にして無電源地帯を電化する必需品だからである。人類の進歩に貢献したからノーベル賞が受賞出来たのである。


 第三にホームエレベーターを設置する。これも大きい。自分はいつまでも健康体ではない。人間はいつか高確率で車いす生活になり、そしていつか死ぬ。つまり自分がいつかは確実に破滅するという予測を平成や令和の人間は出来なくなっていたという証拠である。そう、車いす生活になってもQOLを維持するための製品がホームエレベーターである。そして高確率でこの手のオールドタウンの各住宅には「ホームエレベーター」が普及していない。皆自分の「死」から逃れていたのである。よって足腰が弱ると二階がデッドスペースとなり荒れ果てる。だから資産価値がさらに下がるのである。それだけでなく洗濯物などが余裕で二階へ、一階へ運べる。


 何? 電気代がかかる?そのための太陽光と蓄電池って言ったじゃないですか。ちなみに余談だが空きアパートの切り札もこのホームエレベーターである。アパートは特に二階が空き家になりやすい。不便だからである。なぜ二百万程度の投資をケチるのであろうか。


 それだけではない。ホームエレベーターというのは法定点検が義務なのである。売って終わりという商品ではない。だからホームエレベーターを設置すればするほど「保守員」の雇用が生まれるという非常に優れた商品なのである。保守費用で電機業界はさらに儲けられるのである。ホームエレベーターだから日本全国どこにでもある住宅地に作れる。すると地域に雇用が生まれる。するとわざわざ上京せずに地元で生活することができるといういいことづくめの「地域創生商品」である。しかもホームエレベーターは超大手の電機産業の子会社が製造し、保守する。要は超大手企業グループの子会社職員になれるのである。すると…。ニュータウンの新しい入居者となるのである。お金は回して初めて経済が動くという事の意味がここ約三〇年の日本人は分かっていなかった。もしかしたらニュータウンの横にホームエレベーター工場なりエレベーター保守点検の事務所が出来ていただろうに。


 このようにホームエレベーターというのは太陽光+蓄電池と共に日本最後の電化製品のフロンティア商品である。


 第四にそれでも人口減少国の日本は空き家が生まれてしまう。ニュータウンは景観協定もある。そこで空き家が多く発生した場所を児童擁護施設や保育園に転用するのである。空き家は極力発生させない。空き家の原因となる少子化を食い止める。残念ながらこの国はそんなことも分かってないのである。しかも自分の住所の近所に保育園があったら正社員女性だけでなくパート主婦もどんだけ助かる事であろうか。


 第五にニュータウンは鉄道沿線に作られるのが基本である。よって鉄道を高速運転すればオールドタウン化が防げる。現にはくばEXは最高営業速度時速一三〇キロの高速運転を実現し秋葉原から都心から約七〇キロ離れているつくば中央まで乗車時間たった四〇分である。もちろん運賃は高いが高い分早い。日本はこのはくばEXのような高速運転をほとんど実現せず、ただ自社の沿線の衰退を黙って見ていただけであった。特に私鉄は不動産事業も主力産業の一つである。本当は乗客が多少の運賃値上げに我慢する分ホームドア設置と最高営業速度時速一三〇キロの実現をというべきだったのである。沿線自治体連合が鉄道会社に要望するという手もあった。こうれば都心部タワマンに住民を取られずに済んだのに。しかもタワマンは五〇年後には廃墟となる可能性が高い。維持費がべらぼうに高いのである。それを考えると低層マンションや戸建てというのは極めて住宅地として健全な姿である。


 第六に無電柱化である。日本の風景は汚いと言われている。それだけでなく千葉電柱台風によっていかに電柱が凶器と化すか思い知らされたのである。そこで電柱を地中化する。景観が向上し固定資産税の税収増が見込める。なのにしない。デベロッパーもしない。アホとしか言いようがない。あるいは無電柱化税という税金を課してもよい。一人月額二百円ぐらいならば。この無電柱化の最大の利点は雇用である。そう、公共事業にかかわる人間が救われるのである。電柱を無くしただけでこの国のニュータウンの光景は一気に邸宅地となることであろう。


 第七に宅配ボックス設置の義務化である。え? そんなことでと思うかもしれない。しかし「そんなこと」が重要なのである。オールドタウン化したニュータウンはまるでIT社会に適応できていないのである。このため通販で買った商品の再配達が深刻化しインフラともいえる宅配便業者が悲鳴を上げている。送料という形で跳ねあがっている。自分の住宅を少しでも高く売りたいのならば宅配ボックスを設置するというのは最低限の投資である。宅配ボックスの普及は無電柱化とセットである。そう、将来はドローンによる配達が普及する。電柱は邪魔なのである。


 第八に急速充電器の普及である。そう、ここでも「オールド」なのである。つまり電気自動車社会に適応していない。世はいつまでもガソリン車で動くのではない。電気自動車の普及はもうそこまで来ている。くどいようだがなんで太陽光と蓄電池が大事なのか? それは日々の移動手段の確保とガソリン車よりも燃費を安くするためである。こうすることによって災害時にガソリンスタンド付近に発生する長蛇の列と無縁になるのである。セニアカーではなく超小型電気自動車を普及すれば、きっと行動範囲が広がり坂道が多いからと言ってニュータウンにある家を売り払うという人も減らせるだろう。


 第九に生ごみ処理機の普及である。ゴミは勝手に消えるのではない。自治体が委託したゴミ処理業者がゴミ収集所にあるゴミを環境センターに運んでいるからゴミが消えるのである。しかし自治体も少子高齢化・人口減少・産業空洞化によって財政難となり老朽化した環境センターをリプレース出来ないでいる。そこで環境センターを長寿化するため生ごみ処理機を普及させる。ゴミ排出量を減らすのである。それでなくとも高齢者は認知症が進むとゴミを貯めやすくなるのである。要はゴミ屋敷が生まれるのである。そこでゴミを元から絶つのだ。そしてこの生ごみ処理機も家電製品である。本当に日本の家電業界は残念な部分が多い。新しい需要を生み出せなかったのである。プラスチックごみの圧縮機も売れたであろう。


 以上九点をざっと挙げて見た。何がオールドなのかもうお分かりいただけたであろう。そう、住む人が単にオールドになってるのではない。住宅そのものが古い思想で作られたいろんな意味で「オールドタウン」なのである。


 ニュータウンにある商店街がシャッターになるのも商売がオールドだからである。リモートワーク対応のサテライトオフィスを提供したら? 学習環境が荒れた家庭に対応するべく自習室を作ったら。残念なことにこの国のニュータウンは「個」に対応出来てなかったのである。SCに敗れたから店じまい?ならばSCに出来ないことを商売にすればいい。そんなことも分かってなかったのである。


 買い物難民? ならば無人コンビニに無人スーパーを作ればいいのである。コンビニの撤退原因はだいたい「人件費」である。スーパーに至ってはさらにそうである。無人コンビニの場合は営業時間の全てを(間違っても二四時間営業など問題外である。営業時間外に商品の搬入と売変業務とクリーン業務と発注業務を行うのである)、スーパーは営業時間の半分以上を無人化すればいい。これだけでもスーパーの撤退リスクが低減できる。しかもスーパーやコンビニの労働環境を「ブラック」から「ホワイト」に変えることまで出来る。


 外国人による住み替えも効果的である。よって近所にベトナム系仏教寺院が出来ても眉をひそめないことである。あるいは既存の仏教寺院が積極的にベトナムやネパールの方々を受け入れるべきである。さらに仏教寺院に新しい仏像を建立すると…。なんとニュータウンの近所が観光地として蘇る。思い出してほしい。ニュータウンの近所に観光地はあっただろうか?ないから街の魅力は低減するのである。普通の街というのは成熟すればするほど街の魅力が増すのである。ニュータウンには何が欠けていたのか? それは「伝統宗教」であろう。つまりニュータウンというのは成熟できない町ということが証明されてしまったのである。


 日本のニュータウンとは実はベッドタウンでしかなかったことも分かっている。要はただ寝て帰るだけの街である。ということは勤務者が定年退職した後は?そう、そんなこともデベロッパーは考えていなかったのである。


 失われた「思想」とは何だろう。それはおそらく「ニュー」つまり新しさである。かつてのニュータウンは本当にいろんな意味で新しかった。本下水完備。カーポート完備。都市ガス管完備。洋式水洗トイレ完備。かつてこれらの設備は高度成長期初期において当たり前ではなかった。ゆえにニュータウンは栄光の場だったのである。キッチンは洋式でリビングは洋風の家具が置ける。子供部屋は二部屋ちゃんとあり下手すると夫の書斎まである。終戦直後にまでたしかにあった家父長制社会を否定した「新しい家族像」をも提供したのがニュータウンなのである。単に新しい造成地だから「ニュー」タウンなのではない。戦後に本格的に誕生した核家族の理想像をニュータウンは作ったのである。


 では新しい家族像を平成時代後期や令和時代のニュータウンは作っているのか。例えば「夫が専業主夫で妻が大黒柱」対応のニュータウンとか。残念なことに平成や令和のニュータウンは新しい家族像には適応できてない。だからニートの約七割は男性だったりする。別に男が「あなた、お帰りなさい。お風呂にする? ご飯にする?」と言ってもいいのである。


 ニュータウンにある図書館がこれがまたありきたりだったりする。一階が児童室で二階が一般室で三階がレファレンス室とか。こんなことだからダメなのである。音楽資料に特化した音楽図書館があってもいい。それだけでなくライブハウスも備えた音楽図書館があってもいい。別に下北沢や高円寺や新宿に行かなくても最先端の文化を作れるようにする。もちろん図書館にライトノベル文芸講座などを作ってもよい。公立漫画図書館を作って漫画講座を開設してもよい。しかし全く出来なかった。やはりいろんな意味で「オールドタウン」なのである。


 子供がおらず学校は次々統廃合となった。気が付けばニュータウン内から学校は消えていた。


 地元の不動産営業マン山本信也はこれらの案を自治体に売り込んだ。ことごとく失敗した。前例がない。住民の理解が、負担が……。結局何も変わりたくないのだ。何も変わりたくないからニュータウンがオールドタウンになるのだ。


 かつての日本は常に新しいものに渇望していた。いつから新しい物に対する渇望が無くなって行ったのだろう。そして山本信也はニュータウンの壊滅をことごとく見ることになる。家屋が崩れた空き家。ゴミ屋敷。要介護認定となり介護施設に行くことで居なくなった住民。スーパーが消えて買い物難民化する高齢者ばかりのニュータウン。家の売却価格が一円でも売れない。災害が来るたびに体育館で雑魚寝。そしてボランティア頼み。どうもボランティアは便利屋だと勘違いしているようだ。


 人間は老いるとたいてい新しい事に拒絶反応するのだ。市役所も同様だった。失敗すると責任を取らされる。だから何もしたくない。こんなことだから我が国は「失われた三二年」なのである。


 結局唯一実現した新サービスは「空き家見回りサービス」と「独居老人見回りサービス」である。そんな時雑草バイオマス発電が出来ることが分かった。空き家や単純に手入れできない一戸建ての庭の雑草を刈るだけでも発電燃料として売却すれば儲けられる。ゴミがお金になった瞬間であった。しかし、この案も拒絶された。理由は「よくわからないものに手出ししたくない」という経営陣の判断であった。


 そして山本は見てしまった。「独居老人見回りサービス」の最中に。おそらく風呂場で滑って頭を打ったのだろう。周りは誰も気が付かない。親族ですら三週間も安否を確認しなかったようだ。死体は異臭を放っており虫がたかっていた。猛暑日が続いたこともあり周りはエアコンの音で気が付かないので。


 山本はあまりの凄惨な光景に嘔吐物を吐いた。すぐさま警察を呼んだ。


 「災難だったな」と上司はいう。「お前一回虫がたかる死体を見て見ろ」と言いたい。このセリフをぐっと山本はこらえた。山本はニュータウンがオールドタウンとなりやがて「デッドタウン」にまで到達する街を見ていくことになる。家の解体費用がある親族はまだましだ。解体費用すら無い親族はただ相続した家屋が朽ちていくのを黙って見ていくだけだ。行政が危険家屋指定をし、家屋解体する代執行を行う。更地にしても売れない。まあ、レアケースであるが隣に住む住民が駐車場が足りないから駐車場として買いたいというケースも出てきた。ありがたい。山本は売買手数料で稼ぐことが出来た。しかしそれはその場しのぎであった。駐車場代よりも安いから隣の土地を買っただけに過ぎない。でも駐車場を買った家主も老いていく。住み替えが進まないとニュータウンの再生など不可能なのである。


 公園はとうとう遊具の維持も出来ずブランコもジャングルジムもすべり台も撤去となった。「ボール遊び禁止」という実に狂った看板を見ながら山本は何もできずに破滅していく公園を眺めている。結局この公園はゲートボール場にも出来なかった。今や老人は必死にバイト代を稼ぎ減額された年金を補填しているのである。「ボール遊び禁止」ということは当然ゲートボールも禁止という意味である。ここで行われていた夏祭りもいつの間にか消えていた。もう夏祭りなど高齢化が進行していくと不可能になるのだ。こうしてまたしても当たり前の光景が消えていった。


 どんどん更地の土地が増えていく。バスの便数が減っていきさらに不便となっていく。後期高齢者は運転免許を返上するべきなのに車が必須の道具となっていく。こうして逆走ドライバーが誕生するのである。


 何もできない……。


 何も変われない……。


 そして山本に悲惨な運命が訪れた。


 勤務していた不動産会社が民事再生となった。宅地分譲したニュータウンの売り上げは年を経るごとに減っていった。アパートに至ってはサブリース商法を繰り広げアパート供給過剰に陥れる悪質な大手不動産によって消耗戦を強いられしかも自社物件のアパートは空き家だらけとなっていた。つまり家賃どころか仲介手数料すらろくに入って来ない状況であった。


 同期も上司も部下も転職すらままらない。警備員やタクシー運転手に決まればいい方だ。決まっても年収は半減程度減るのだが。若い奴はどうにか宅建士と運転免許を使って同業に就職できるのだが。しかしそれも三〇歳までの話である。


 山本は既に四〇歳を超えていたために就職は苦難の連続であった。ようやく決まったのはタクシー運転手であるが激務と薄給で一年と持たなかった。気が付けば妻も子も居なくなっていた。ようやく決まった職は飲食を運ぶ個人事業主であった。自分も持ち家を売るとは思ってもみなかった。幸い住宅ローンは残らずに売れた。まさかこの年になってまで学生時代と同様の生活をするとは……。


 自分がかつて担当したニュータウンを訪れる。飲食物を届けるために。独居老人だってたまには外食したい。しかし身体能力が低下して出来ないのでこうしたデリバリーサービスを使うのだ。


 ニュータウンはものの見事に壊滅していた。


 何もしないと社会は破滅するのだ。


 「ははっ、自分と同じじゃねえか」


 (自分はなんで法学部時代に宅建を取ったのだろう。なんで不動産という業界を目指したのだろう)


 涙が流れた。


 ここは壊滅ニュータウンなのだ――!


 当たり前のものを全部失った街、それが壊滅ニュータウンなのである。


 そしてこの街は日本の鏡である。


 「そんな結末いいわけないじゃないか!!」


 山本は思い切って自分の住む選挙区の政治家に請願書を出した。


 なんと政治家は快く快諾した。


 そして国会でなんと全会一致可決したのである。


 そして日本の電機産業は中国製に駆逐される事無く「エレベーター大国」として新しい道を歩みだした。電気代? そのための太陽光発電と蓄電池である。セクシーでしょ?

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