晴れない心のてるてる坊主

緋那真意

目を覚まして外を見る

 私は晴れの日が嫌いだった。

 部屋には常に逆さまのてるてる坊主が吊るされている。雨の日を好むわけではないのだけど、晴れよりもずっといい。

 止むなく晴れの日に外出するときは不機嫌な顔を日傘で隠すようにしながら急ぎ足。最近は買物を宅配で済ませられるようになり、幾分か生活は楽になった。けど、仕事はテレワーク主体でも定期的に出社せねばならない。

 憂鬱な晴れの日に出社するのは避けたいのに、天気というものはいつも期待を裏切ってくる。雲一つない青空を見て部屋の逆さ吊るしを八つ当たり気味にピンピン指で弾きつつ家を出て、日傘の影に怯えるように隠れながら足早に歩く。



 帰り道、オレンジ色の夕日が重くのしかかる。ただ、沈みゆく太陽は今の私にはお似合いかも知れない。私は捨てられ沈んていくだけ。

 こんなんじゃ『彼』に合わせる顔がない。頭をよぎる顔に私の心はより一層重くなる。

 少しでも気を紛らわそうと持てるだけの酒を買い込んで家で浴びるように飲み干し、そのまま意識は闇に沈んでいく。



 翌朝はひどい頭痛と吐き気に襲われ目を覚ます。ふと、すぐ側にあるスマホを見ると、着信ランプが点滅しているのに気が付く。どうせ会社からだろうと思って気怠げにその通知を見た途端、一気に酔いが吹き飛ぶ。

 昨夜届いていたメールを何度も読み直した私は、荒れ果てた部屋の惨状をよそにシャワーを浴びて酒臭さを洗い流すと、念入りにメイクをして服装を整えて急いで家を出る。外の天気を気にしている場合じゃなかった。



 私がその場所に着くと『彼』こと新崎にいざきさんが笑顔で待っていてくれた。前に会ってからもう三年は過ぎただろうか。


「元気そうで良かった」

「ああ、なんたって今日は姫ちゃんに会いに来たんだ。しょぼくれてちゃ格好がつかねえよ」


 いつも通りの『姫ちゃん』呼びに少し心が軽くなるけれど、歩く姿に覇気が感じられないのが気になった。また少し、前よりも衰えている気がする。

 しかし、私が心配を口にする前に新崎さんは私の目を見つめて鋭い一言を放つ。


「姫ちゃん、また何か抱えてないかい?」

「え? えっと、その……」

「図星か? え? そうだろそうだろ?」


 新崎さんは口に出した言葉とは裏腹にどこか穏やかな笑みを浮かべている。


「まあ、どこか座れる場所で話をしようや。いい歳してちゃらんぽらんな爺さんかも知れねえが、少しは姫ちゃんの役には立てると思うぜ」


 先手を打たれた私は苦笑を浮かべて頷き、新崎さんと近くのベンチに腰掛けると、最近の出来事をゆっくりと語り始めた。



「……ま、人生は都合よく行かないわな」


 仕事のことを聞いた彼はあっけらかんと笑って言う。


「でも、私、納得がいかなくて……」

「そりゃそうだろうな。でも、姫ちゃんの都合だけで世の中動いちゃいねえ。姫ちゃんの順番が来るまでは我慢するしかないわな」

「順番、来るかなぁ……?」

「来る来る。必ず来るとも」


 新崎さんは気楽そうな口調で言う。他の人だったらたとえ親でも腹を立てていたかも知れないけど、新崎さんだけは特別だった。忘れられないあの事故からずっと。


「俺は姫ちゃんの二倍以上長生きしてるが波乱万丈さ。姫ちゃんをかばって車に轢かれたのもそう」


 小学生の頃、私は空を眺めるのが大好きだった。ある日の下校途中、目の覚めるような秋の青空に気を取られていた私は、車道を走る自動車が見えていなかった。私がそれに気がついたのは見知らぬ誰かの体に包まれた後のこと。

 思い出したくもない瞬間が過ぎ去ったあと、私は側で血を流して倒れているおじさんを呆然と見つめながら、途切れることのない涙を流し続けた。

 それ以来、私は青空を見るのが嫌になった。青空の下にいる限り、私は罪から逃れられない。

 そう、私は罪から逃げ続けていた。大人になった今も空に責められるのが怖くて、嫌で、てるてる坊主を生贄に捧げて自分を誤魔化していた。

 新崎さんは真面目な表情で続ける。


「だがな、後悔はしてないぜ。今俺は生きてるからな」


 新崎さんは事故で重傷を負い、一年間の入院を余儀なくされた。その間、暇さえあれば新崎さんの病室に通い続け、親に止められても先生に止められてもやめなかった。あまりに通いすぎた結果、当の本人から「ここじゃなくて学校に通いな」と言われる始末で、私も仕方なくちゃんと学校へ通うようになったが、その後も折に触れて手紙を書くなどして交流を続けていた。社会人になった今となっても。


 昔を思い出しながらふと考える。私はいつまでこうしているのだろう。いつまで新崎さんに助けられ続けているのだろうと。

 私が俯き加減だった顔を上げると、そこにあったのは屈託のない新崎さんの笑顔。

 その手が私の手をぎゅっと握る。


「そろそろ自分を許してやりな。地面ばかり見てないで空を見るんだ」

「え……?」


 新崎さんに言われて見上げる空はすっきりとよく晴れ渡り、美しい青色を描いている。あの時以来、直視するのを避け続けていた青い空。


「綺麗なもんだろ? 姫ちゃんに無理強いするつもりは無かったけどよ、今年こそは言っておこうと思ってな」

「新崎さん、もしかして……」

「俺のことは、まあ、気にすんな。姫ちゃんが会いたいと思うならいつでも呼んでくれ。何処だろうと駆けつけてやる」


 私の不安を吹き飛ばすように元気な声で彼は言う。


「……ただ、これだけは約束してくれ。空を仰ぐことからもう逃げねえ、と」

「うん……きっと守るよ、おじちゃん……」


 私と新崎さんは座って手を繋ぎながら空を見つめる。もう目を背けなかった。



 翌日、部屋で目を覚ました私は、真っ直ぐ窓に吊るされたてるてる坊主を見て微笑む。

 窓の外は快晴。今日も空は青かった。

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