プロローグ

 2035年9月2日。

 22時少し前。 

 夏が終わろうとしていたこの日、僕は皆既月食かいきげっしょくを見るためにボーッと星空を見上げた。


「今日は平和だ」

 じじくさい台詞せりふがさらに休日の夜にふさわしく聞こえて、ゴロンと砂浜に寝転がる。目を閉じると人々のざわめきが心地いい。



 そこに悲鳴が混じる。


「忘れてた」

 平和は永く続かない。


 まるで夜空を描いた絵をやぶくように、空が引きかれていき、僕の休日が終わった。


 呪いにかかったような紅い月を背にし、真っ黒い魔物たちが空から落ちてくる。

 身を切るような咆哮ほうこうは、人類への挑戦なんかじゃない。

 魔素のない世界への恐怖からだ。


「まったく」

 僕のぼやきが聞こえたのか、腕時計に着信ありと出る。


れい、できるだけ魔力を回収」

 それだけ言って、チーム長である神道明しんどうあきらはブチっと通信を切った。

 思ってなくても「休みの日に悪いな」とかないのか?

 やる気が全然おきないが、じいちゃんのきたえた刀をにぎりしめるとピンと背筋が伸びた。


「よし、やるか」

 海の上を跳ねるように歩き、未だここが地球だと理解していない魔物を片っ端から切っていく。


「運がなかたっな」

 筋肉も骨すらも感じられない切れ味に、テンションが上がった。


 切って切って切りまくる。



「じいちゃん最高だぜ!」

 今なら魔王も切り裂ける気がする。

 身体中の血がきたって、魔力が巡る気がした。



「ちょっと、なに楽しそうに切り捨ててるのよ。まるで魔王様みたいよ」

 せっかくのいい気分が台無し。

 お前にだけは言われたくない。


 悪魔のような女。

 アンナは真っ赤な髪を潮風になびかせて、腕を組んで偉そうに浮いていた。

 深く入ったスリットから黒の編みタイツがのぞいている。

 美人と一言ですませられない程の派手な容姿は見ているだけで腹が立つ。


「魔力回収は?」

「言われなくても、大物は砂浜に投げてある。そっちこそ、早くしかばねを回収しないと沈んでくぞ」


 ニヤリと赤い下唇を親指でゆっくりなぞると、アンナは両手を広げてそれを空に振った。

 ザバザバと沈んでいった魔物が海からちゅうに浮く。


「よくもまあ、こんなに魔力を無駄にしてくれたわね」

「別にいいだろ」

 僕は魔力がなくても生きていけるからね。

 あんにそう匂わすと、「ガキね」とアンナはあげていた手を握りしめた。


 同時に屍が宙から消える。


「ほら、サクサク回収」

 背中を押されて、僕は仕方なく砂浜に戻ると、気絶させてあった魔物の心臓に刀を刺した。


「何回みてもなげかわしい」

五月蝿うるさいぞ」

「名刀を突き刺して使うなんて神への冒涜ぼうとくだわ」

 そんなのわかってる。


「いつまでも昔のこと引きずって、さっさと勇者の剣探せば?」

 お前がそれを言うか!


 僕は咄嗟に拳を振り上げたが、次の瞬間、頬を砂に押さえつけられていた。


「クソっ」


「嫌だわぁ。女子に手をあげる子に育てた覚えないのに」

 グリグリと押さえられている頭を更に強く押されて、ムカつくが「降参」と叫んだ。


「わかればいいのよ、わかれば」


1話

 大阪、千日前せんにちまえ商店街を人の流れに合わせて歩いていると、突然携帯から高周波音が流れた。


 その音は街の雑踏ざっとうにもかき消されることなく、辺りの人の動きを止める。

 咄嗟に超音波遮断ちょうおんぱしゃだんイヤフォンを耳に押し込んだが、頭の芯がキーンとしびれた。


「あぶな」

 両手でこめかみをぐりぐりほぐすと、いくぶん頭がすっきりする。



「さあ、立って避難しないと」

 僕は背中にラケットバックを背負い座り込んだ少年の腕をつかみ、牛丼屋に押し込む。


 大手チェーン店だけあって、対魔物シャッターには最新の磁場じばが流れていた。

 この磁場は体内の魔力の流れを掻き乱すとかで、面白いように魔物が避けてくれる。



「この子、頼みます」

 シャッターを閉めるのを待ってくれていた店員が、僕も早く入るようにと叫ぶ。


 ドン!

 とガス爆発のような音が響き、人々の悲鳴が上がった。

 これはちょっと派手だな。


「僕は大丈夫だから、他の人を入れてやって下さい」

 慌てる店員に片手をあげて、人々が逃げる方向とは反対に駆け出す。

 商店街のアーケードのせいで、どの辺に亀裂が入っているのか見えない。


「近くなのは間違いないのに……ビルが邪魔」

 上を向いてキョロキョロしていると、もう一度ドンっと、なにかがぶつかり合う音がして、甲高かんだか咆哮ほうこうが空気を震わせた。


「あっちか」

 まさかとは思うが、なんば駅を攻撃してる?


 空が見えないのでアーケードを避けて駅に向かって走ると、ビルの隙間から黒煙が上がっているのが見えた。


「映画館か」

 駅前の老舗デパートの最上階に入っている映画館は屋上から崩れ落ちている。

 なんだってあんなところに突っ込んだんだ?


 巨大な蛇のしっぽとドラゴンの羽をもつ魔物がガラス張りのエレベーターホールに顔を突っ込んでいる。中に侵入しようと短い足で周りの壁をグイグイ壊し外に押しでしていた。


「コカトリスか? 下からじゃよく見えないな」


 右手を軽く振ると音もなく使い慣れたかたなが出現した。

 勇者の剣ではないけれど、それに負けないくらいの切れ味を持つ。


 人影はすっかりなくなっていて破片が当たる心配はなさそうだけど。

 ガラスとコンクリートの破片がバラバラと地上めがけて降ってきて、乗り捨てられた車の上に落ちて炎上した。


「フー」

 深く息を吐き、意識を集中し破片はへんと一緒にもがき苦しみながら落ちてくる魔物を切り裂いていく。

 心臓を一突きしたいがズレれば暴れまわって人間に被害をもたらしそうだ。

 しかも毒を持っているようで、返り血を浴びたパーカーがとけて皮膚がひりひりした。



 中に入って、止まってしまったエスカレーターで駆け上がると、コカトリスの叫び声でビルのあちこちがぎしぎしときしむ。

 崩れ落ちたりするなよ。


 さらに上を目指していると、ふとわずかに、血の匂いがする。

 この階に誰か怪我人でもいるのか?

 大声で呼んでみたが、誰からも返事はない。

 怪我人を探し回るより、まずはもとを駆除くじょするか。


 咆哮ほうこうが絶叫に変わり、相当パニクッてるのは間違いない。もともと凶暴な魔獣だけど危険を察知するくらいの知恵はあったと思ったのに、地球に落ちてきて前後不覚でビルに突っ込んだのか?




 7階の踊り場でいったん足を止め、一息吐いてからゆっくりとエスカレーターを登っていくと、そこには怒り狂ったコカトリス2頭と一回り小さなコカトリスが首を切られて、紫の血を流しながら倒れていた。


 あれはこいつらの子供か?


 でも誰が?

 考えている暇もなく、僕に気が付いた親コカトリスが真っ黒な牙をむき出しにして品定めしてくる。


 ごくりとつばを飲み込んで、その場で動きを止め、目をそらさずに睨み返す。

 彼らの習性として、動かなければ襲ってくることはないはずだけど今の状況でも有効かは分からない。


 羽を動かすたびに、バラバラと天井が崩れ落ちてきて身体に当たった。

 素早く首を落せば勝機しょうきはある。


 ただ、コカトリスが持つ膨大な魔力は魅力的だ。できれば回収したい。

 



 来る!


 僕は魔力の回収を選んで、心臓を一突きした。


 流石さすが爺ちゃんの鍛えた刀。

 折れることなく固い皮膚を押し進み真っ直ぐに心臓にたどり着く。

 気が狂ったように羽をばたつかせ頭を床に打ち付けながらもがくコカトリスにあっけなく振り払われ、背中から柱に叩きつけられた。


 すかさずもう一頭が僕を嚙みちぎろうと口を大きく開けたのが視界に映る。


「駄目か……」

 覚悟を決めて、ギュッと目をつぶったが牙が僕に傷をつけることはなかった。



「お前、面白いことしてくれるね」


2話

 

 目を開けると、そこには青い電流に包まれピクピクと痙攣けいれんするコカトリスと、柔らかそうな栗色のちょっと癖のある髪に、銀ブチの眼鏡をした男がピストル型スタンガンをもって立っていた。


 言葉とは裏腹に面倒そうな顔をして「あれは」といまだコカトリスの心臓に刺さったまま魔力を吸い込んでいる刀に視線を移す。



「困るんだよ。素人が勝手に自作した武器で魔物から魔力を詐取さしゅするとか。もしかして君も魔物?」

 コカトリスに向けられていたスタンガンが僕の頭に向けられている。

 一般的なスタンガンの3倍はありそうで、威力はコカトリスを見るに10倍はありそうだ。

 こんなので撃たれたら死ぬだろ。


「人間です」

 思いっきり断言したのに、男は疑わしいものを見るように首を傾けて僕を観察してきた。

 長身のせいか、優しそうな顔立ちなのに妙に威圧感がある。

 僕の勘だと、こいつは絶対に悪人だ。


 ドキドキと音が聞こえそうなくらい高鳴る鼓動がうるさい。それをしずめるように心臓に手をやると、男がスタンガンを下ろし僕に手を差し伸べてきた。


「出戻りか」

 え?

 何その元も子もない言い方やめて欲しい。


「これ違法だから。押収おうしゅうおよび連行。しばらくは監視付き」

 男はさして僕には関心はなさそうに、いまだコカトリスの魔力を吸い続けている刀に視線を戻す。



「それは困る」

 せっかくこの刀とはがいいのに。

 しかも押収されたなんて知れたら爺ちゃんに殺される。


「押収って手続きすれば返してもらえますよね」

「そんなわけないだろ。君、未成年だよね。いくら魔物捕獲の為でも銃刀法違反」


 逃げよう。


 捕まるくらいなら、刀を捨てて逃げた方がまし?

 どうせ僕しか使えないんだ。


「逃げれないからな」

 静かに一歩後ろに下がると、心を見透かしたように男がゆっくりと自分のスタンガンを指さし、トントンとつつく。

 妙に使い古された皮手袋が、それが嘘ではないと言っているようだった。


「別に逃げる気は……」

 公安でもなさそうだし、こんな物騒な武器を持っているということは。


「もしかして、あんたは捕縛師ほばくしか?」

 捕縛師はチームで動くって聞いたけど、どうみてもこの男は一人だ。他に隠れている者はいない。

 しかもこいつ「人間じゃないのに」思わず漏れた言葉に、ピクリと男の眉が上がった。


 ヤバイ。

 ご機嫌をそこねてしまったようだ。

 でも、先にと馬鹿にしたのはそっちじゃないか。


 コカトリスに流れる電流のピリピリが僕達にも伝染したのか、空気がチリチリしてる気がする。

 捕縛師なら、どうせ魔物をここに置き去りにできない。

 刀が魔力を吸い終わった時がチャンスか。


 探り合いの中、とうとう刀がコカトリスの魔力を吸い尽くす。

 それと同時に、輪郭がぼやけコカトリスの色素が薄くなって最後は透明になって消えた。


 まるで、そこには初めからコカトリスなんかいなかったように、心臓に刺さっていた刀がカタンと地面に落ちる。

 その寸前、僕は猛ダッシュでそれを掴むとコカトリスが侵入したエレベーターホールを目指した。

 これだけの魔力を吸収していれば、飛行魔法くらい楽勝!

 ビル風があちこちから吹き込み、気を抜くと中に戻されそうだ。

 床ぎりぎりにに立って、男を振り返る。


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくだった男の表情に、初めて焦りの色を見て笑いがこみ上げてきた。

 片手をちょっと上げて、ふてぶてしくニヤリと笑うと僕は一度はやってみたかったビルの上から後ろ向きに飛び降りるという、映画みたいなシーンを再現した。



「このガキ!」


 景色が反転し、視界いっぱいに青空が広がると、僕は声を出して笑いなが落ちて行った。


 しかし、逃亡を確信して少々やりすぎてしまったようで、崩れ落ちたエレベーターホールから顔を出した男が、躊躇なくスタンガンをうち放った。


「うそだろ」

 音もなく青色の線光が稲妻のように向かってきたのを避けることもできずに、僕の記憶はそこで途切れた。


 死んだな。



 *


 目を覚ますと窓のない地下室で両手両足を鎖につながれ、コンクリートの床に寝転がっていた。

 どうりで、身体中痛いわけだ。


 部屋には誰もいなくて、裸電球にがたかり、ゆらゆらと揺れるたび、床に広がるどす黒いシミが不気味に浮き上がった。

 血痕じゃないよな。


3話


 1時間くらい寝転んであれこれ考えていたが、さすがにもうそろそろ誰か来て欲しい。

 これが僕に恐怖心を与え、話を聞き出すための演出ならいいけれど、この鎖を見る限り、ガチヤバそうな組織だ。

 こんな細い鎖くらい魔力で簡単に外せそうだけど、身体の中の魔力の流れが乱されてなんとも居心地が悪い。


 鎖に魔法が掛かっている訳じゃない以上、金属の性質かもしれない。

 いったい化学はどこまで魔法に対抗できるんだ?


 魔力の流れが乱されると普通なら魔法は使えない。たぶん魔物くらいの魔力量ではこの鎖を解くことはできないだろう。

 早々に外して、逃げ道を探すことも考えたが、これを僕が破壊できると知られてしまう方がなんか、まずい気がする。


 しかも、この部屋全体にこの鎖と同じ金属が使われている。

 ただ、希望もほんのちょっとだけあった。


 刀の気配が僕の中に存在している。

 多分、気を失う直前に上手く戻ることができたのだろう。

 あの男、ずいぶん刀に興味があったみたいだから、それで俺をここに連れて来たのかもしれない。



 

 腹が異常にすいてイライラしてきたころ、やっと捕縛師の男が顔を出した。


「お待たせ」と軽いノリで入って来た男は、さっきとちょっと雰囲気が違うように感じた。あの時は殺し屋みたいな殺気をまとって、本気でスタンガンで殺されるかもと思ったが、今はどこにでもいそうな大学生みたいだ。


「まあ、そう硬くならないで。ちょっと君のこと調べさせてもらっただけだから」

 やっぱりな。そうだと思った。

 この無害な男アピールも、僕を油断させるためだな。


「俺は神道明しんどうあきら、さっきは答える前に君に逃げられちゃったけど、捕縛師であってる」

「……」

姉崎麗あねざきれい君。16歳。君って案外いいとこの坊ちゃんだったんだね。小学生のとき数日家出。子供の個人情報は数年で保管義務なくなるけど、流石に捜索願出してたやつは記録なくても公安で追えたわ」

 男、神道明はすみに置かれていたパイプ椅子に自分だけ座ると、スマホから目を上げ人好きのしそうな顔で笑った。

 でも、その瞳の奥は全く笑ってない。血を流して死んでいたコカトリスの子供を見るような冷めた眼だ。

 ゾクリと背中に冷たいものが流れる。


 前言撤回、やっぱりただの大学生にはとても見えない。



「家出中に異世界に召喚されてたのかな? れい君」

「なっ、なんでそれを……」

 答えてしまってから、それが引っかけだったことに気づく。

 家出だと思われたた数日は、実は異世界では4年もの歳月であり、勇者として召喚されていたなんて誰にもないしょだ。

 魔法を使う所をみられた以上、異世界と接点を持ったことは知られていたと思ったけれど、なんで俺が勇者だってわかったんだ?


「そう怖い顔で睨まないでくらないかな? 君だって気づいたんだろ。俺が人間じゃないって」

 お互い様だ。なんでもないことのように神道明は暴露したが、魔物を退治する捕縛師は人間しかなれないはずじゃなかったのか?


「俺達、お互いに秘密があるもの同士、仲良く協力できると思うんだが」


 胡散臭うさんくさく微笑むと、神道明は隠していた気配オーラを解き放った。

 ズン、と部屋の中の空気が一基の重くなり、僕の中の刀が身震いする。

 圧倒的あっとうてき強者のオーラ。

 魔王と戦ったときにも感じたけど、勝てる気がしない。


 魔王と同等の存在……。


「お前……竜なのか?」

 乾いた声でそう訊ねれば、「はずれ」と大げさにがっかりした様子で肩をすくめた。

 逃げ道を探ったが、どこにも隙が無い。


「麗君、素直なのは美徳だけど、もう少し頭使って本質をみようか」

 なんだかもの凄く馬鹿にされてような気がするが、言われた通り俺はこいつの本質を暴こうとじっくりと観察する。

 確かに膨大な竜の気配を漂わせているけれど、そこに義務と呪いが織り交ぜられている。


 そういえば聞いたことがあるかも……竜を見守る「竜族」

「正解。やればできるじゃん」

 馬鹿にしきった言い方は、全然褒めていない。


「それにしても君、生きてこっちの世界に戻ってたんだ。勇者麗は魔王に心臓を一突きされて死んだって聞いてたから、気になってたんだ」

 やっぱり僕は死んだことになってたんだ。

 カルミアはどうなったんだろう。僕のことを知ってるんだ、聖女のことも知っているかもしれない。

 のどまで出かかったその質問を、かろうじて飲み込む。

 こいつは味方じゃない。



4話


「僕をこれからどうする気?」

 これでも未成年である。昔と違い一日じゃあ捜索願を出したりしないと思うけど、家族には苦労かけてる自覚はあるので、心配はさせたくない。


「うーん。みんなここに連れてくるとビビるんだけど、勇者君だとあんまり脅しになってないみたいだね。そりゃそうか、8階からも平気で飛び降りちゃうくらいだもんな」

 さっきのことを思い出したのか、面白そうにフッと笑う。



「捕縛師は数が足りないんだ」

 何が言いたいのかピンとくる。


「簡単に言えば、スカウトだよ。みたく人間で魔法を使える人間は珍しい」

 表向きは、警察とか自衛隊の特殊部隊からの選抜された人間のみということになってるけど、それだけじゃあいつらとは渡り合えない。

 亀裂の影響で魔法を覚醒しちゃった人間とか、亀裂から落ちてきた人間を保護地区で教育し、捕縛師にしていると噂で聞いたことがあるけど本当だったんだ。


「あなた、人間じゃないですよね」

「人の話聞いてた? 俺がなのは秘密なの」

 なんで、秘密を僕に打ち明けるんだよ。

 罠でしかないだろ。


「捕縛師になるつもりはありません。僕は普通に生きていきたいんです」

 もう、勇者みたく人からめたたえられたり、期待されるのはまっぴらだ。


「普通ねぇ。まあ、気持ちはわかる。君の相棒もせっかく他人のために魔王討伐に行ったのに、失敗したら手のひら返したように責められて、奴隷みたくこき使われたらしいからね」

 誰? と聞き返しそうになって止める。

 そんなの一人しか思い浮かばない。


「カルミア……」

「ああ、確かそんな名前だった。聖女カルミア」

「彼女は生きてるの?」

「さあ、うわさでしか聞いたことないからね。ただ、教会を出されて平民になったはずだよ」

 平民に!


 聖女が平民に落とされるのは、死ねと言われたも同然だ。

 治癒魔法を扱う聖女は、教会で力を使いすぎないように守られている。

 勇者に同伴するときは、その力は勇者が代わりに責任を持つ。


 護衛もつけず聖女だとバレてしまえば、治癒してほしいと大勢人が押し寄せる。

 病気を治さなければ、恨むものもいるし治癒の力を独り占めしようとする者もいる。


「帰らなくちゃ」

 もう二度と異世界には行きたくないと思っていたけれど、カルミアを守らなくては。


「方法を知っているのか?」

 それまで余裕そうに、腕組み見下ろしていた神道明が、見るからに慌てて椅子から立ち上がると、僕の前に膝をつき襟首をつかんだ。


「え?」

 あまりの豹変ぶりに、一瞬呆然としてしまう。


「帰る方法を知っているのか?」

 怒鳴りつけるように、繰り返すと襟首をつかんだまま乱暴にゆすられる。


「知らないよ」

 やっとのことで縛りだした言葉に「チッ」と舌打ちされ「まぎらわしい事を言うな」と怒られる。

 勘違いをしたのはそっちなのに。


「帰る方法を探してるんですか?」

「別に……」

 いや、あきらかうそでしょ。

 今現在、研究所でもあの亀裂の向こうに行くすべはないと報道されている。研究所所属の捕縛師がこの様子だと、本当にあの亀裂は地球に来るだけの一方通行のままなのか。


 どうにか自力で、行く方法を探さないと。

 一番の早道は聖剣を探し出すことかもしれない。


「その前にやることがあるしな」

 神道明のその言葉に、ドキリとする。

 もしかしてこいつも聖剣を探している?


「吸血族を退治する」


 *


「吸血鬼? ってあの血を吸う?」

「そうだ。あの子供コカトリスはおとりだったのに、お前のせいでまんまと取り逃がした」


「あれが囮?」

 こんな街の真ん中でコカトリスを囮にするなんて、正気の沙汰さたじゃない。


「そもそも、こんな昼間に吸血鬼が現れるのか?」

 ちょっと、呆れたように質問してみれば、眉をひそめて「お前って本当に勇者か? ちゃんと教育受けてないだろ」と馬鹿にした後、吸血族について教えてくれた。


 そもそも吸血族とは闇に生きるとかではなく、普通に栄養源が血液だというだけなのだ。

 寿命も長いが不死ではないらしい。

 ただ、魔法の使い方が人間や魔物と違う。

 身体の中を巡る魔力を使う場合、磁場などの外的要因で簡単に乱されてしまうが、吸血鬼のように血液自体に魔力が宿っていると、簡単に魔力を乱すことはできないそうだ。


「まあそれも、こっちの世界の奴の研究だから、本当かどうかはわからんし吸血族本人もなぜ自分たちに超音波がきかないのかわかってないはずだけどね」


 改めて、人類って怖ろしいな。

 異世界に召喚されてるときは魔法は最強だって思ってたし、空を裂いて魔獣が襲ってきたときは、地球はもう滅びるんだろうと思ったけれど、いまだ人類は生き延びて、あまつさえ科学で魔法に対抗するとか、凄すぎだろ。



「お前には吸血鬼を逃がした責任を取って協力してもらう」

 決定事項とでも言うように、神道明は俺につけられた鎖を外した。


「あのさ、僕が逃がしたわけじゃないから。映画館に着いた時には吸血鬼の姿なんてなかったし」

 変な言いがかりはつけないで欲しい。


「でも、6階のエスカレーター付近で『怪我人はいませんかぁ』とか探し回ってただろ」

 あ、ちょっと血の匂いがしたときか。


「コカトリスの親が襲撃してきて、ビビった吸血鬼が逃げるところを俺はあとをつけてたのに、お前がぎゃあぎゃあ騒ぐから感づかれた」

 いやいやいや。

「それは僕のせいじゃないよね」


5話


「いいだろう。百歩譲って取り逃がしたのは仕方ないとして。民間人のくせに、コカトリスの魔力をどんどん減少させたのはどういう了見りょうけんだ? お前が吸血鬼だと思われても仕方ないだろ」

 ウッ、それはまずい所をみられた自覚はある。


「しかもあれだ。恩を仇で返すってのはああいう事だな」


 コカトリスに食いちぎられるのを助けてもらったことか?

 刀に魔力を吸わせてたことか?

 ビルから飛び降りたことか?


「確かに、戻って来てもらえなかったら、もう一匹の親コカトリスにやられたかもだし、それは申し訳なかったけどそれと、手伝うのは別の話だ」

 よし、言った。


 勇者のときみたく、もう子供じゃないんだから絶対に丸め込まれないぞ。

 これでも、それなりに修羅場をくぐって来たんだ、にらみ合いには負けないから。


「なるほど、受けた恩は返さないと」

 別にそうは言ってない、それじゃあ僕がひどい人間みたいだ。

 駄目だ。そんな言葉でほだされちゃ。

 捕縛師は公務員なんだから。警察と同じ、市民を助けてくれるのが当たり前。恩なんか感じる必要はない。

 そうだ。

 こいつに受けた恩は、また別の誰かに返せばいいんだから。

 こんな腹黒そうな奴に、恩を返す必要はない。


「ふーん、まあいい。君が思ったよりじゃなくてよかったよ」

 やっぱり、こいつには恩を返すなんて考えなくてよさそうだ。

 確信と共に、自分の成長を自覚する。

 僕だっていつまでもいい様に利用されたりしないんだからな。




「そんなことより忘れてるようだけど、これはお願いじゃなくて決定事項だから」

「は? それってどういう意味だよ」

「言葉通り。少しは自分の立場を自覚したらどうだ? 君、なんでここにいるか自覚ないだろ」

 ここ……。


「公務執行妨害に、窃盗。証拠隠滅、もちろん銃刀法違反に器物破損。罪状には事欠ことかかない」


「ふざけるなよ。僕がいったい何を窃盗したって言うんだよ」

 公務執行妨害はまだしも窃盗とか器物破損には全然心当たりがない。

 どう見ても言いがかり。



「亀裂から入った魔物はその国の所有物なんだよ。貴重な研究材料だし、それを綺麗さっぱり消したんだから窃盗罪だろ。しかも、飛び降りるとき、壁の一部を崩したよね。あれ、立派な器物破損だ」

「汚いぞ、そんなのでっち上げだ」

「何とでも言ってくれ。権力ってのはそういうものだ。勇者のとき嫌というほど味わっただろ」

 だから、もう権力とは関わりたくないんだ。



 *


「で、なんで難波なんばなんだ?」

 結局、僕は権力に負けて吸血族を捕まえる間だけ、神道明しんどうあきらに協力することにした。




 あの日、「今日はここに泊まってもらって明日、親御さんに迎えに来てもらおうか」と、さも自分は言いたくないんだけど、といったていで「勇者だったこととか魔力を吸い取る刀の話とかきちんと調書ちょうしょに残さないとならないからね」と、しれっと脅しをかけてきた。


 どんな罪しろ、家族に僕のしていることがバレるのはまずい。


「吸血鬼を捕まえたら、今回のことはチャラだからな」

 そう何度も、念を押したがいまいちこいつは信用できない気がする。

 しかし、今の僕に選択権が無いのも確かだ。


「はぁ」

 なんで僕がせっかくの休日、男とうろつかないとならないんだ?


 初めはコカトリスの事後調査かと思ったら、そこには立ち寄らず、なんば駅を中心に男二人で2時間ふらついているだけだ。

 ため息も出るだろ。






「まあ、そんな暗い顔してなあいで、ちょっとお参りしてこ」

 腕を引かれ鳥居をくぐると、ガイド雑誌によく出ている巨大獅子が大きく口を開けていた。


「始めて見たかも」

 住んでいても案外観光スポットと呼ばれるところには行った事が無い人多いんじゃないかな。


 へー、写真で見るより迫力あるな。


「動くなよ」

 腕を掴まれたまま振り向くと、いきなりボールペンでぶっ刺される。


「イテ!」

「身分証チップな」

 腕をさすりながら、刺されたところを見ると、うっすらと何かが埋まって赤くなっている。


 冗談じゃない、僕はペットか?


「なにすんだよ」

「ほら」

 スマホを取り出し、僕の腕にかざす。

「ピッ」と電子音が鳴ると、画面に顔写真と名前が表示された。

「警察に職質されたときは、ここに身分証が埋まってることを言えば大抵のことは免除されるから」

「大抵のこと?」

「そう、もちろん拳銃を持っていても刀を持っていてもだ。ちなみに交通機関は乗り放題。公共施設も全て入場できる」

 それは、凄い。


「でも、俺アレルギーあるんだけど」

「生体適合ガラスでおおわれているし、磁石なんかも大丈夫だけど、ちょっと、魔力流してみろ」


 言われた通り、自分の腕にちょっと強めに魔力を流してみる。

「流したか」

「うん」

 神道明はもう一度僕の腕にスマホをかざす。

「大丈夫みたいだな。よし、今日はこれで解散」

「え? もう」

「じゃあ、また連絡するから」

 訳が分からず、立ち尽くす僕を置いて神道明は神社を出て行った。


「いったい何だったんだ?」



6話


 なんだかだまされてる気がするが、神道明の言う通り銃刀法違反を免除めんじょしてもらえるなら、かなりお得である。


職質しょくしつでもされて、試してみるか?」

 神社の境内けいだいにいても仕方ないので、南海なんかいさかいの爺ちゃんの所にでも行くことにする。


 コカトリスに刀を突きさしてから色々あり、手入れをおこたっていたので報告ついでにいでもらうか。

 爺ちゃんは、堺市の人間国宝と言われる鍛冶師で、廃刀令はいとうれい以降も刀を作ることを許可された数少ない刀匠とうしょうだった。


 南海なんば駅に向かうと体育館横の交番にお巡りさんが2人立っているのが見える。

 うーん。

「よし」


 気合を入れて歩き進む。

 一人の若いお巡りさんが、僕に目を止める。

 目が合うか合わないかで、すっと視線をそらし、回れ右をしてもと来た道を引き返す。


「ちょっと君」

 はいはい、わかってますよ。怪しいですよね僕。

 心の中で返事をして、ゆっくりと振り返る。

 お巡りさんはにこやかに笑っているが、目が全然笑ってないし、なんだったらすぐにでも警棒けいぼうに手が届きそうだ。


「話を聞かせてくれるかい?」

「はい」

「身分証もってる? 学生証とか?」

 来たぁ。

 思わずガッツポーズしたくなるのを我慢して、僕はすまして腕を見せた。


「腕のチップでいいですか?」

 お巡りさんは一瞬、動きを止めて考え込んだが、すぐに「じゃあ、交番に来てもらえますか」とタイル張りのおしゃれな交番を差した。



 神道明が持っていたスマホとそっくりな機種を腕にかざすと、「ピッ」と音と共に僕の情報が表示される。


「手間を取らせました」ときちんとお辞儀すると、若い警察官は「君みたいな少年が捕縛師なんて危険なことをして、親御さんは心配だろうね」と同情された。

 うん、親にばれたらね。

 気を付けて、と何度も言われて交番を後にする。

 あまりに親切な警察官だったので、ただの確認で時間を取ってもらい申し訳なかったなと反省した。


「あいつのいうことは本当だったんだな」

 ちょっと、安堵して堺駅で降り爺ちゃんに向かう。



「ふふふ、大抵たいていな事ってどこまでだろう」

 神道明の言葉を思い出して、思わず笑いがこみ上げる。

 現役のお巡りさんにはもう迷惑かけれられないので、確かめることはできないけれど、免罪符めんざいふがどこまで通用するかは興味がある。


「あ、南海で切符かって乗っちゃったよ」

 たしか、交通機関も乗り放題って言ってたのに、でもどうやって乗るんだ?

 今度きちんと聞かないと、交通費がタダって大きい。


 考え事をしながら歩いていると、目の前に目のくぼんだガリガリの男が立ちふさがった。

「な……」

 なんですか? と聞く前に正体がわかった。

 警戒して、一歩後ろに下がり距離をとる。


「驚かせて申し訳ないんだけど、ほんの少しでいいから君の血を分けてもらえないか?」

 やっぱりこいつがあの時の吸血鬼。


 こいつが目の前に現れたってことは、もしかしなくても今日の難波なんば歩きは僕がだったってわけか。


 くそー。

 まんまとやられた。


「で、どういう方法でどのくらい欲しいわけ?」

 断られるだろうと予想していた男は、驚きに目を見開らく。


「いただけるんですか?」

「いや、聞いただけだから。断るにしても話くらい聞こうと思っただけだし」

 白髪交じりに、カサカサ肌の男があまりにも哀れで、つい聞いてしまっただけなんだけど、期待させたみたいだ。


「そうですよね。ちょっと刃物で指の先に傷つけて、舐めさせてもらえれば十分なんですが」

 何でもないことのように男は言ったが、ぞわぞわと鳥肌が立つ。


「無理、血を吸われるとか。ちょっとなんて信じられないし」

 吸わせたら最後、彼の干からび具合を見る限り放してくれそうもない。

 間違いなく、きっぱり断る案件だ。


 そこに「きゃゃゃゃゃゃゃゃ」と甲高い悲鳴が響き渡る。

「何?」

「あ、たぶん相棒が我慢できずに人を襲ったのかも」

「どこ?」

 のんびりと首をかしげる吸血鬼を問い詰め、彼らがさっきまでいたという公園までもどる。


 公園に着くと、一人の少女が、わしくらいもありそうなこうもりにのしかかられ、手を振り回し抵抗している。

 吸血鬼を引きずるようにつかんでいた手を放し、ためらいなく右手に現れた刀を握りしめる。


「ほんのちょっとだから」

 さっきまでおどおどと僕をうかがうように震えていた吸血鬼が、豹変したように力強く左腕を掴んで離さない。


「放せ」

 骨と皮の腕のどこにそんな力が隠されていたのか、掴まれた腕を振り払うことができない。


「放さないとあなたも切り捨てます」

 もう一度強く言うが、吸血鬼は動じることもない。


「俺達は好きでこの世界に来たわけじゃない」

 そんなのは僕だって、いやって程わかってる。

 振り払おうと腕を引くけれど、長い爪が食い込んで振り払えない。


「きゃ」と短い悲鳴を上げて少女は気を失った。

 こうもりがゆっくりと彼女の首に噛みつく。


 チッ。

 舌打ちして、僕は刀を振り上げこうもり目掛けて放った。

 真っ直ぐに、刀はこうもりに飛んでいき心臓に突き刺さる。


「間に合った」

 多少血を吸われたかもしれないが、死ぬほど吸い取られてはいないだろう。

 僕が安堵する横で、吸血鬼は「ああ……」と低く呟くと、僕の腕を振り払いこうもりの所まで走っていく。


 ひざまずき刀を抜いてやるのかと思ったが、吸血鬼はこうもりにかぶりついた。

「マジか……」


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①紅の月~吉兆は仇桜な君たちと 彩理 @Tukimiusagi

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