第3話 22歳が5年ぶりに恋をして思ったこと②

22歳が5年ぶりに恋をして思ったこと①の続き。


 「その人にはすでに彼氏がいるらしい」という報告を「事実」としてすんなりと受け止めることが出来たのは,友人を信頼していたからということを書いたが,理由はそれだけではない気がする。報告を聞いた当時,同時に抱いた感情としては,


「あんな素敵な人に彼氏がいない方がおかしい」


というような感情も抱いた(本当に心から湧いて出たのか,言い聞かせようとしたのかはわからない)。ただ,自分に言い聞かせるにしても,本当に心から湧いた感情にせよ,この考えで,当初の僕は妙に納得して受け入れてしまっていた。受け入れて納得したつもりだった。


 報告を聞いた日の夜,僕は全く眠れなくなってしまった。思考が堂々巡りを繰り返した。あの人とその相手は愛し合っていて,ただ僕は,一方通行の行き場のない感情をいまだにに抱えながらこの同じ時の流れの中で孤独に夜を過ごしているというこの現状に,とてつもない,寒さと絶望感を感じてしまった。


 唯一救いだったのが,このような経験が初めてではなかったことである。5年ぶりに恋をしてという前提で文章を書いてしまっているが,約5年前に(僕が高校生の時代ということになる)初めての本格的な恋愛を経験して,それに伴って大きな挫折もした。私生活にも,勉強にも大きな影響が出て,3日間ほど部屋に引きこもるという,人生でも初めての本格的な「精神を病む」ような状態になってしまった。


 その時のことは思い出そうにも詳しくは思い出せなくなっているが,当時は,勉強もしなければいけない中,また,精神が未熟で社会を知らない中(今も社会を分かり切っているとは言えないけれど),行き場のない思いと,どこから湧いてくるかもわからない無条件の絶望的な感情に押しつぶされてしまった。下校途中の電車の待ち時間,このプラットフォームの黄色線を飛び越えればどんな感じなんだろうと思ってしまったことも実はあった。いまこう書いているだけでも不快感があるけれど,書かないと整理できないので書いてしまった。


 そのストレスかどうかは分からないけれど,しまいには肺に穴が開き,入院を伴う手術をする事にもなってしまった。


ただ,自分はいまこうして大学に通い,興味ある分野で学び,考える時間を与えてもらっている。


 高校の下校途中,一歩を踏み出さなかったのも,呼吸困難でここからいなくなっていないのも,家族,支えてくれた友人,お医者様のおかげであって,いろんな人の時間と労力を消費しながら生きていることは,その当時のずっと前から分かっていたつもりだったけど,改めて,身をもって,気づけた出来事だった。


 今思えば高校生の僕は考えること「思考」というものが深くまでできていなかったと思う(今はできているのだろうか…)。考え,いろんな感情をどうにか言語化して,自分の暗黙知を理解しようともしなかったおかげでずいぶん理性的な感情に振り回されてしまっていたと思う。


話は現在に戻って,そのような高校時代の体験からか,大学に入ってからは,ある程度「自分の機嫌は自分で取る」方法を模索し,趣味を見つけ,対処法を考えてきた。いまこうして文章を書いているのも,その対処法の一つである。


とにかく考えることがとても重要で,考えることは自分を保ち続けるための武器でもあることにも今回の恋愛で再認識することが出来た。寒さを感じても,絶望感を感じても,限られた時間の中で考え続けて,いろんなものを受け入れて,許容して,諦めて,生きていくしかないんだと思う。


 僕の尊敬する人の言葉を思い出した

「やらないことを決めていくのが人生」

それだけ人の一生は短いらしい。最近それを自覚してきたが,本当に時間が過ぎるのはあっという間である。


とりあえずは僕が5年ぶりに恋をした話はここまでにする。

この考えるきっかけを与えてくれた素敵なあの人に会えたことが,無駄ではなかったと思えるように,考え続けて,できる限りの努力をして本気で生きていく。







 






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「眼鏡は運転のときだけ」 はこねこ @Hayasaki_O

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