第5話 やさしい領主さま


 なんと私たちの出店の前に現れたのは、領主さまだった。

 領主さまはいかにも裕福そうな、高価な衣服に身を包んだ初老の男性だ。

 領主さまはこちらに近づいてきて、パンを一つ持ち上げてそれをしげしげと見つめた。


「ふむ、これが噂のパンとやらか。どれ、一つ頂いてもいいかね?」

「は、はい……もちろんです」


 私はてっきり領主さまには無料でお渡しする気だったのに、領主さまは律儀に小銭を机に置いてから、パンを口に運んだ。

 こんなときでも、しっかり領民にお金を払うなんて。どうやら物語なんかによくでてくる悪徳領主みたいな人ではなさそうだ。


「ふむ、臭いは普通の小麦だが……。味は確かに美味い……! こんな食感のものは今までに食べたことがない……!」

「あ、ありがとうございます!」

「それで、これを考えたのは誰だ?」

「わ、私です」

「ほう、君が……! まだ小さいのにすごい才能だな……」


 領主さまはしばらく考え込んだあと、父に向って真剣な顔で話を切り出した。


「どうだろう。この子を私の屋敷で働かせるというのは」

「りょ、領主さまの元でですか……!?」


 私は会話をききながら困惑していた。

 そんな……異世界に来たばかりだというのに、領主さまのもとでなんて……。いきなりすぎて、どうしたらいいのかわからない。

 それに、父や母と離れるのもいやだ。

 なにより、せっかくパン作りの基礎ができあがって、これからもっと売っていこうというときだというのに。

 だが父は領主さまの言葉に目を輝かせて、


「そ、それは……とてもありがたいことです! ありがとうございます! ぜひお願いします!」

「ちょ、ちょっと待って……!」


 私は思わず父の口にふたをしていた。


「どうした。なにが問題なんだ。せっかく領主さまが申し出てくださってるのに」

「だ、だって……家族と離れ離れになるんでしょ? それに、せっかくのパン作りだって……」


 そんな私の言葉をきいて、領主さまが再び口を開いた。


「なんだ。それなら問題ない」

「はい……?」

「もちろん、パンについては全力で支援するつもりだ。必要なものをなんでもそろえよう。他にもおもしろい料理なんかがあれば、どんどん作るといい。君の才能は活かすべきだ」

「ほ、本当ですか……!? で、でも……どうしてそこまで」


 縁もゆかりもない私に、なぜ領主さまはそこまでのことをしてくれるのだろう。


「それは、君のパンが美味しかったからだ。ぜひこれを街にも広めたい。きっと人気になる。いずれは、王都にまで広まるかもしれんぞ。いいものはみんなに広めたい。領主として、領民の楽しみを増やすのもまた仕事だと思っている。それに、君がこれからどんなパンをつくるのか、間近で見てみたい」

「そういうことですか……ありがとうございます」


 すごい、領主さまって、そこまで考えてるんだ。でも、私の作った未完成のパンにそこまでの可能性を見出してくれるなんて……。その期待には、応えたいと思ってしまった。

 領主さまのもとで、もっといい設備でパンを作れば、きっともっといいものができるはず。それこそ、私の大好きなメロンパンに負けないようなものが……。


「でも……申し出ては本当にありがたいんですが……。家族を捨てて街に行くなんて、私……」


 まだ出会って数日の家族だけど、身体には同じ血が流れている。だからか知れないけど、どうしても家族と離れたくないという思いが強かった。


「そうか。ならこういうのはどうかな? なにも私の屋敷にこなくてもいい。街に空き家を用意するから、そこに家族全員で越してくるといい。そうだな、空き家の一階はパンの工房と店にしよう。そこでパンを売って暮らすといい」

「い、いいんですか……!? そこまでしていただけるなんて……」

「なあに、君の焼きたてのパンが食べられるのなら、そのくらい。それに、家族は一緒にいるべきだと、私も思う」

「ありがとうございます……!」


 なんだかとんとん拍子に話が進んで、私のほしいものがすべて手に入ってしまった。

 お店とパンの材料があれば、いくらでも好きにパンを作れる……!

 しかも家族もいっしょに、二階建ての家に住めるなんて……!


「本当に、なんと言ったらいいか……ありがとうございます!」


 お父さんも、深々と頭を下げた。

 こうして、私たちは来週から領主さまの屋敷がある、街で暮らすことになった。

 元々の家や農場は、領主さまが買い上げてくださったので、個人的な資金も得られた。

 それとは別に、毎月パンの材料費などを支援してくれるというので、本当に太っ腹だ。

 ただのパンなんだけど、過大評価されすぎな気もする。まあ、この世界にまだパンがなかったのだから、それも無理のないことか。私は、自分で思っているよりもとんでもないことをしてしまったのかもしれない。


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