第2話 パンがなければ――
「あ、これ異世界転生だ……」
「なにを言ってるんだ? まだ寝ぼけてるのか?」
「あーはい、そうですね……」
自分が寝ぼけてるのだと信じたかったが、どうやらこれは現実らしい。
フォークで自分の手のひらをぶっさすと、確かに痛い。
「おいおい、シャロンなにやってるんだ。寝ぼけるのはいいけど、怪我だけはするなよ」
「ご、ごめんなさい」
さすがにこれ以上は不審に思われるな……。
それにしても、異世界転生かぁ……まさか自分がするとは。
よく電車で通勤時間に、スマホのアプリでそういう漫画を読んだっけ。
いろいろ読んだけど、私の場合これはどうなんだ……?
記憶をたぐっても、女神様からチート能力をもらった覚えなんてないし、このシャロンという人生についても、なにも覚えてることはない。
あちゃーこれはもしかしてハズレなのでは……?
そんなことを考えつつ、またもぼーっとしていると。
シャロンの父と思しき人物が、さすがにしびれをきらして、
「おいシャロン! いい加減にしないか。寝ぼけるのはもう終わりだ。さっさと食事をすませてしまいなさい。せっかくの貴重な食事を無駄にするつもりか?」
「そうよ、お父さんもお母さんもあなたが起きるのを待っていたんだから」
母からもお叱りをうけた。
「ご、ごめんなさい……」
親から怒られるのなんて、何年ぶりだろう。実家にもずっと帰ってなかったしなぁ……。
なんだか怒られたというのに、ちょっぴりうれしくて。涙まで出そうになる。
そういえば、私ってやっぱり死んだんだなぁ……。親よりはやく死んじゃった。
たぶん、みんな悲しんだろうなあ……いや、どうだろうか。悲しんでくれたかな。だといいな。
また怒られるのも忍びないので、私はようやくテーブルの上に目を向ける。
食器類は木製だが、スプーンとフォークは金属製だ。だけど形はややいびつだし、そうとう使い古されている。さっきの父の口ぶりからしても、決して裕福な家庭とはいえなさそうだ。まあ、異世界の水準がどれほどのものか、知る由もないけど。
料理のほうは、とても料理とは呼べないようなもので、手をつけるのがなかなか勇気のいる感じだ。
でもせっかく作ってもらったんだから、食べないとなぁ……。
だけど、なにかもわからないものを口にはできない。
見たところ、なにかスープのようなものみたいだけど……。
ぐちゃぐちゃの紙粘土みたいな、そんな感じのドロドロスープ。なにが入ってて、どんな味がするのか、謎だ。
「ねえ、これってなに?」
恐る恐る、父にきいてみる。
「なにってお前、いつも食べてるじゃないか。スープだよ」
「なんの?」
某ピスタチオみたいになってしまった。
「なんのって、そりゃあお前、小麦のスープだ」
「小麦ぃ……!?!?!?」
意外なことに、ききなれた食材の名前が出てきた。小麦、なら安心……いや、安心か……?
小麦のスープっていうけど、これほとんど小麦にお湯入れただけじゃない……?
それに、忘れてはならないが、私は小麦を食べると体調が悪くなる。
一日一回の贅沢として高級パンを食べるくらいなら、まあ大丈夫だが(大丈夫じゃない)こんな小麦100%そのままどうぞみたいなのは、正直恐ろしくてしかたがない。
美味しいパンを食べて体調が悪くなるのは、甘んじて受け入れてきた。
でも、こんな謎のまずそうなスープを飲んで体調が悪くなるなんて、ただの罰ゲームでしかない。
「なんだ? 文句があるのか? 文句を言わずに食べろ。うちにはこれしかないんだ。不満なら、家を出て稼いで自分でなんとかしろ」
「い、いや……食べます、食べます」
いきなり異世界で家から追い出されるのは、さすがにごめんこうむる。
ただでさえ右も左もわからないのだ。チート能力もなしに異世界で金策なんて、この私にはできようもない。
くそ、こうなりゃやけだ。あとで体調が悪くなっても、まあ看病するのはこの人たちだ。
意を決して、そのまずそうなスープをすすることにする。
ええい、ままよ!
――ずずずずずず。
「うぇ……」
思わず吐き出してまずい、とか言いそうだったけど、なんとかこらえた。さすがにそれはこの両親に失礼すぎる。彼らにはこれが精一杯の毎日の食事なんだから。
あ、でも意外といけるかも。
シャロンの身体がこれを食べなれてるのか、思ったより嫌悪感はない。
味よりもまず、お腹がすいてるからなのか、一度口をつけたら抵抗なく飲める。
「ふぅ……ごちそうさま」
「よし、残さず飲んでえらいぞ。じゃあ次は仕事の時間だ。シャロン、手伝ってくれ」
「えぇ……!? 仕事ぉ!?」
「いやなら飯は抜きだぞ。いつものことじゃないか。文句をいうな。文句をいうなら、家を出て都会にでもいって自分で稼ぐことだ」
「はい…………」
そうか、そりゃあ仕事もあるよね……。
せっかく転生したのに、美味しいパンもなしに仕事かぁ……辛いな。
「でも、なんの仕事……?」
「はぁ? まだ寝ぼけてるのか。うちは小麦農家だろ」
「うぇえええええ……!?!?!? 小麦農家……!!!!!??!」
ってことは、これは蕁麻疹まっしぐらだ。
最悪だ……。
落ち込んだのもつかの間。
しばらく仕事をこなしていて、ようやく気付く。
あれ……?
さっきあれだけ小麦汁を飲んだのに、なにも症状がでていない。
農場のサイロで小麦粉を吸い込んだりもしたのに、蕁麻疹なんてひとつもでちゃいない。
「あ……そっか、シャロン。私がシャロンだからだ……!」
「まだ寝ぼけてるのか……こりゃ医者にでもみせないとだめか?」
私は転生して生まれ変わって、シャロンという別の人間になった。
ってことは、もちろんこの体は、以前とは違うわけだ。
もう小麦粉やグルテンに怯えなくてもいいってことだ……!
じゃあ、パンも食べ放題ってこと……!??!?!?
「ねえお父さん! 今日の夕飯はパンがいい! それだったら、お仕事もっと頑張れるかも!」
思わず、そんなことを口にする。
なんの得もない転生だと思ってたけど、これなら最高だ。
パンが食べられるなら、パンを食べればいいじゃない!
しかし、父の口から放たれた返答は、意外なものだった――。
「は……? パン……? なんだそれ。なにを言ってるんだ……? まったく、今日のお前はどうかしてるぞ」
「え…………?」
どうやらこの世界でも、私はパンにありつけないらしい――。
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