1 囚人ショーキと霊体のモローグ

 凍てつく風が小さな窓を叩く。窓ガラスは分厚く粗雑で、外の景色はおぼろげにしか映らない。もっとも鮮明に見えたとして、目に入るのは氷山、雪原、樹氷…一面の白銀だけだ。


 あのとき冥王ダーク・ロードに敗れた俺は、目を覚ますとこの氷の塔の中で倒れていた。塔は五階で、最上階に粗末な寝具やテーブルなどがあるだけ。殺風景だ。塔の入口は鉄の扉で閉ざされ、ダークエルフの屈強な衛兵が常に目を光らせていた。これが俺の牢獄だったのだ。

 こんな鉄扉と衛兵などひとひねり・・・・・。そう思った俺は、火の神に呼びかけた。だが詠唱ができなかった。声が出ないのだ。必死に喉を励ましたが、声にならない弱々しいうめきが出るだけでまったく徒労に終わった。俺は膝をついた。

 その後も俺は何度も詠唱を試したが、声は決して戻らなかった。冥王の呪いは強固だったのだ。俺はすっかり諦めてしまった。


 そして今に至る。あれからどのくらいの時が経ったのだろうか。俺は今日も虚無の中にいる。何もない場所、何もない日々だ。味気ない冷たい食事を口に運びながら、敗北と絶望を思い知らされる。これが冥王の課した刑なのだ。死ぬまでこれがつづくのだ…。


 そのとき突然、大声が鳴り響いた。

「いた、いた~!魔術師ショーキだろ?探したよ~!」

 声はどこから?いや、これは俺の頭の中からか?


 そして、俺の目の前に女が現れた。銀髪の五十歳くらいの女。紫のローブの上に同色のマントをまとい、金の帯を締めている。何よりも印象的なのは、ちょっと体が透けてることだ。霊体か?


 俺は話すことができないから、身振り手振りでお前は誰だ?と尋ねようとした。

 すると女は言った。「頭の中に直接話してるから大丈夫よ。しゃべれるよ~!」

念話テレパシーだと?」俺は混乱して、目の前の不思議な女を見つめた。


 誰かと話すのは一体いつ・・ぶりだろう。うめき声しか上げられない俺と「フン」と鼻で笑うだけの生意気なダークエルフの牢番とでは、会話とは言えないからな。


「ちょっと待ってくれ。久しぶりに人と話したけど、それ以上に頭の中がとっ散らかってるんだ。まずアンタは一体誰で、なんで念話が使えるんだ?アンタも魔術師か?で、どうやってここに入ってこれた?そもそもアンタ体が透けてるよな?あとさっき『探したよ』って言ってたけど俺を探してここまで来たのか?」

 俺は久々の会話への興奮も相まって念話で一気にまくしたてた。


「落ち着け落ち着け、若いの。まずお察しの通りあたしは魔術師だ。モローグ、と言えばわかる?」

「なッ!アンタ、あの大魔術師モローグか!?黄金竜を倒したあのモローグ!?家族で冥王討伐に出かけたまま消息不明になった、あのモローグ…」

「そうそう。まぁあたしもちょっとした有名人だよね~。ハハハ。で、あたしもキミと同じように冥王アンガリムに挑んだわけよ。うちの息子たちと、ペットのワイバーンと一緒にね。でも負けちゃった。アンガリムはあたしたちの体を破壊した上で、霊魂だけを捕まえて宮殿の魔物の彫像に閉じ込めたのよ。ひどい屈辱だよね。あたしは彫像の中で動くことも泣くことも出来ず、宮殿のホールでずっと責め苦のような時を過ごした。」


「やっぱりアンタたちも冥王に敗れていたのか。」

「悲しいよね~。で、あたしは彫像の中で、冥王に挑んでは倒れていく者たちをずっと見ていた。ある者たちは殺されたけど、アンガリムは基本的に敵を生かしたままいたぶる・・・・のが好きだからさ、あたしたちみたいに霊魂を像や調度品に閉じ込めたり、操られて召使にされたり、牢獄に入れられたり、いろいろ。」

「そうだったのか。俺は声を奪われて、ここにずっと幽閉されてるんだ。」


「もちろん知ってるよ~。キミたちが宮殿のホールにやって来たのも、戦ってアンガリムに倒されるのも全部見てたからね。像の中で。」

「まったく、恥ずかしいぜ。」

「いやいや、むしろ健闘した方だよ。あたしが見た中では、だいぶいいとこまで行った戦いだった。」

「まぁ一応、お褒めにあずかり光栄だ…。で、アンタは像に閉じ込められたのに、どうやってここに?」


「それがねぇ、キミたちのおかげなのよ。冥王と勇者たちの戦いってパワーが半端じゃないからさ、宮殿のホールもけっこう衝撃がすごいのよ。あたしが閉じ込められてた魔物の彫像もちょっとずつヒビが入ってね、ついにキミたちが来た時に…」

「砕けたと。」

「そーゆーこと!で、あたしは冥王に気づかれる前にビューンと逃げ出したわけ。すぐにでも憎きアンガリムに復讐したかったんだけどね、霊体だと何もできないのよ。だからあたしは願いを託せる強い戦士を探す旅に出た。」


「それでここに辿り着いたのか。だけど、なんで俺のところにわざわざ来たんだ?おれはもう声を出せない。それはアンタもわかってるはずだ。俺の魔術の力は、無くなったんだよ…。詠唱で呼びかけなきゃ、神々は答えてくれない。」

「いやー、そこがね。そこなのよ。あたしも最初キミのことは諦めてたんだけどさ。こないだ古い文献を見つけてね、なんと、詠唱しないでも魔力をくれる神がいたのよ。」

「詠唱せずに?そんなことが可能なのか?」


 俺は半信半疑で、モローグをにらみつけた。

 だがモローグは俺の胡乱げな視線を意に介さず、熱っぽくつづける。「オベタル神の指輪魔術って言うのよ。」

「指輪魔術?」

「そう。キミももちろん、魔道具は知ってるでしょ?スタッフとかワンドだったり、防具、剣、照明具、アクセサリー、その他いろいろ。神の力が宿るもの。」

「俺も杖と腕輪とペンダントを使ってたぞ。ぜんぶ取り上げられたけど…。」

「そう、でも普通それはあくまで魔力を増幅するためのもの。でも指輪魔術ではそれが主役になるのよ。」そう言うとモローグは階段の方にちらりと目をやった。「さて、そろそろだね…」


 そのとき、階下で音がした。一日二回、牢番が差し入れる食事が来たのだ。

 俺は鉄扉の前に行き、トレーを取り上げた。…今日はずいぶんと重い。最上階の部屋に戻り、テーブルにトレーを置く。いつもの大きいだけでまずいパンを持ち上げると、なんとその下に、古びた指輪がゴロゴロといくつも隠れていた。

「なんだこりゃ?」

「あたしがいろいろ手を回してさ、運び込ませたのよ。さぁここから魔術師ショーキの復讐がはじまるよ~。くたばれ冥王アンガリム!」


 こうして俺の新たな挑戦が幕を開けた。やってやるか!

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