ある日、森の中

香久山 ゆみ

ある日、森の中

「犬ってかわいそうだにゃあ」

 散歩中の犬のカグが顔を上げると、塀の上から子猫がこちらを見下ろしてにゃあにゃあ言っている。

「犬はいつでも人間にべったりで自由がにゃいもの」

「そんなことない。カグはユマちゃんと一緒ならいつでも幸せだもの」

 カグがわんわん言い返す。ユマははらはらしながらリードを握る。犬と猫、けんかにならなきゃいいけれど。

「ところであなたはそんな格好で何をしているの?」

 猫はずいぶんぼろぼろな長靴をはいている。

「オレは旅をしているのにゃ。自由気ままなひとり旅」

「へーえ。ひとり旅ってさびしくないの」

「ほんと。こんなに小さい子猫ちゃんなのに」

 カグとユマは感心して言う。

「ぜーんぜんへいきにゃ」

 子猫はえへんと胸を反らせる。

「どこまで行くの」

「ママに会いに行くのにゃ」

「ママはどこにいるの?」

「……わからないにゃ……」

 子猫はしょぼんとしてしまいました。

「元気出して。ほら、クッキーあげるから」

 最近できた町のお菓子屋さんで買ったクッキーは、犬でも猫でも食べられてとってもおいしいって評判なのよ。なのに迷子の子猫は「いらにゃい」と言う。

「ママのこと教えてくれる?」

「ママはふわふわ甘いにおいがするのにゃ。いつも一緒にいたんだ。だけど、ずうっと前にいなくなっちゃって、それからずっと会えにゃいんだ」

「おうちはどこ?」

「ママのうちは森の中にあるにゃ。けど、オレ道がわからにゃくて、見つけられにゃい」

 子猫はすっかりうなだれてしまった。

「カグはこの辺に詳しいから、一緒に探してあげるよ」

 確かに、犬の嗅覚なら見つかるかもしれない。ユマとカグは、子猫と一緒にママの家を探すことにした。

 みんなで森に向かう。森の中は木がたくさん生えていて、日の光が届かず薄気味悪い。

「オレはへいきだけど。犬は森が怖くにゃいのか」

 猫のしっぽはくるんと丸まっている。

「カグへいき。だってお姉ちゃんといっしょだもん」

「私もへいき。だってカグのお姉ちゃんだもん」

 ユマとカグは幼い時から一緒に育った家族。

「……人間と犬なのに姉妹だなんてへーんにゃの」

 ユマは強がる猫の手をしっかり繋いで、森を進む。歩きながら、子猫からママのことを色々聞いた。

 家は川の近くにあって、いつもさらさら水が流れる音が聞こえる。そばには大きなクヌギの木が一本立っている。ママは料理が得意なんだ。オレのために特別のごはんやおやつを作ってくれる。すっごいおいしいからお前らにも食べさせてあげるにゃ。冬にはあったかい服を作ってくれるんだ。この長靴も誕生日に買ってもらったにゃ。かっこいいだろ。

 ママの話になると止まらない。ふと、カグがピクピク耳を動かす。

「こっちから川の音が聞こえる」

 ふたりはカグに続く。森が深くなるにつれて、どんどん暗くじめじめしてくる。途上に大きな水たまりがあった。

「川はこの向こうに流れているみたい。だけど、これ以上進めないよ」

 目の前の水たまりに木の枝を突き刺してみるとユマの膝下くらいの深さがある。ミニチュアダックスのカグの短い足ではとても渡れそうにない。

「うーん。私もひとりなら抱っこできるけど、ふたりはむりだなぁ」

 ユマとカグが立ち尽くしていると、猫が言う。

「行こ。オレ長靴だから自分で歩ける。行こ!」

 ふたりの返事を待たず、猫はざばざば水たまりに入っていく。慌ててユマもカグを抱っこして追いかける。水たまりの下の地面はずいぶんぬかるんでいて、一歩進むごとにずぼりと足が沈む。ようやく水たまりを抜けた時には、もうへとへと。ユマのスニーカーはどろどろで、脱ぐと中からじゃぶじゃぶ水が出てくる。

「猫ちゃんもよく頑張ったね」

 見ると、猫は裸足。

「あれ、長靴は?」

「水たまりの中でなくしちゃった……。けど、へいき。オレ、ママに会うんだもん」

 行こ。猫はぎゅっと歯を食いしばって進む。

 しばらく行くと、猫とユマの耳にもはっきりと川のせせらぎが聞こえてきた。けれど、どれだけ歩いてもいっこう音に近づかない。同じ場所をぐるぐる回っているような気がする。

「あれえ、おかしいな。どうしてだろう」

 三人が木陰にへたりこんだところ、頭上から声がした。

「おやおや、こんな森の奥深くに小さいお客さんたち、どうしたんじゃな」

 フクロウのおじいさんが枝に止まっている。

 子猫のママの家を探しているのだと説明する。フクロウはほうほうと首を傾げて言った。

「うーむ、そんな家は知らんのう。じゃが、見つからない理由はわかる」

「なに?」

「この世界では心が大事なんじゃ。きっと会えると信じる心」

「オレ、本当にママに会えるって信じてるもん」

「ではなぜ偽りの格好をしておるのかね」

 嘘の姿? ユマとカグが振り返ると、子猫はもじもじしている。

「う、うそじゃにゃいもん……」

「姿かたちはさほど重要ではない。けれど、お前さんの場合はそれで本当の心を隠しちまっとる。迷いがあるから辿りつけないんじゃよ」

「……」

「じゃあ、どうすればいいの?」

 うつむく猫の代わりにユマが訊ねる。

「おじょうちゃん、手鏡を持っているね。それを猫に渡してやりなさい」

 ユマはポケットから出した手鏡を差し出したが、子猫はぱたぱた手を振る。

「やだ! オレはこれでいいんだい」

「でも、それだと迷子のままよ。私たちはあなたの本当の姿がどんなでも一緒にいるから」

「……わかったにゃ」

 頷いた猫に手鏡を向けると、そこに写ったのは子猫ではありませんでした。もうずいぶんおとなの猫。え? ユマとカグが鏡から視線を移すと、そこには鏡に映っていた成猫がいた。猫はもじもじしている。

「オレ、本当は十八歳にゃんだ……」

 なんと、ユマとカグよりも年上だったんだ。

「ほれ、猫さんや。その大きさならこの木も登ってこれるじゃろ」

 フクロウに促されて猫は木を登った。

「ごらん」

 木の上からは森の様子がよく見えた。フクロウの指す方角を見やると、一際大きなクヌギの木が見える。

「こっちだ!」

 木を下りた猫ははりきって声を上げる。フクロウにお礼を言って、三人は駆け出した。もう道に迷うことはない。

 辺りの木もまばらになり、日の当たる小さな草原のような場所に出た。そこには一本の大きなクヌギの木が聳え立っている。川のせせらぎが聞こえる。

「ここだ!」

 けれど、どこにも家なんてない。

「……にゃい……」

 猫はぽつりと立ち尽くした。

「だ、大丈夫だよ」

「そうそう。心配しないで、きっと」

 ユマとカグが慰めるのも聞かず、猫はにゃあにゃあ泣き出した。

「もうママには会えにゃいんだぁ」

 子猫の時にママと別れてから、もう何年も経ってしまったもの。きっとママはもうオレのことにゃんて覚えてにゃいよ。こんなに大きくなってしまったし、長靴だってなくしてしまった。猫は泣き続けます。それに、ママがいなくなってすぐに探しに来ず、よそで世話になったりしてオレだけぬくぬく暮らしてしまった。ママはオレのこと嫌いににゃっちゃったんだ。

 ユマとカグは泣きやまない猫の手を繋いで、一緒に町まで帰ってきた。きっと何年も何年も泣くのを我慢してきたのだろう。お菓子屋さんのカフェコーナーに座った。たくさん泣いたあとには甘いものが一番だから。

「オレはもうずっとひとりぼっちにゃんだ」

 目を真っ赤に腫らした猫が言う。

「そんなことない。もしも、見つからなかったら私達と家族になろう」

 ユマが言うと、猫はつんと口を尖らせる。

「猫と人間の家族なんて、へんにゃの」

「そんなことないよ。カグとユマちゃんも犬と人間だけど姉妹だもん! お互いが家族だって信じれば、それでいいんだよ」

「そうだよ。それに、猫ちゃんのママだって人間でしょう?」

「……うん」

 猫がこくんと頷く。

「ねえ、あなたの名前を教えて。大切な家族だもの、名前があればもう迷子にならないよ」

「マル。オレの名前、ママがつけてくれたにゃ」

「マル、もう安心して。お腹がすいていたら探せないよ。ほら、お菓子を食べて」

「わかった」

 猫はクッキーをさくりと齧る。

「ママの味だ!」

 にゃーん! とマルは席から飛び上がった。

「マル?!」

 その声を聞いて、店の奥からお菓子屋のおばあさんが飛び出してきた。

「マル!」

「ママ!」

 ふたりはひしと抱き合う。

「ママ! ママ! オレだってわかるの?」

「わかるよ、わかる。お前がどんな姿だって、泥だらけだって、あたしにゃわかるよ」

 おばあさんも泣いている。長いこと森の中に住んでいたんだけれど、最近町に出てきたのよ。評判になればお前も探しやすいかと思って。ずっと待っていたのよ。マル、大きくなったね。マルがしっかり生きてくれて、あたしはうれしいよ。マルもおばあさんも、もう二度と離れないでしょう。

 ユマとカグはそっと店を出た。ふたりで夜道を歩く。

「ねえ、ユマちゃんはどうしてマルのママが人間だってわかったの?」

「だって、猫は料理したり服を作ったりしないでしょ」

「それでわかったの。ユマちゃんすごいねえ」

 ユマはへへへと鼻をかく。いつでもカグにお姉ちゃんはすごいと思っていてもらいたいのだ。

「それじゃあユマちゃん、ここでお別れだね」

 町の外れでカグは足を止めた。ここは死んだものたちの世界だから。生きているユマは、時々夢の中で訪ねてくるけど長くいることはできない。

「ユマちゃん、遊びに来てくれてありがとうね。大好き」

「私も。ばいばいカグ、またね」

「ばいばいユマちゃん、またいつか」

 満天の星がきらきら輝くとても美しい夜でした。

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