5〇王

脳幹 まこと

逃げるが勝ち


1.


「投降スルノダ、最早手ハ残ッテイナイ」


 全身金色のアンドロイドが戦場の中央で勝利宣言をしている。

 人間軍の長であり「不動明王」の異名を持つイーダは、その様子を大人しく眺めていることしか出来なかった。

 彼の喉元には剣が突き付けられている。実行者は洗脳器を頭につけられ目の焦点が合わなくなった人間軍の歩兵である。

 その歩兵は王の古くからの友人だった。切り込み隊長として多くの敵陣へと突撃し無双してきた。イーダの長い戦いの歴史で、勝利に貢献したことは数知れなかったのである。

 身分を超えた友情で結ばれた二人。それが今、こうして向かい合う形となったことはイーダに深い悲しみを与えた。


 イーダもまた頂点に立つものとして、武芸には秀でている。ゆえに苦渋の決断を以て友人を切り伏せることは出来た。

 しかし、アンドロイドの前には強靱な鱗に身を包んだ龍がいる。攻撃によって生じる隙を許してくれはしないだろう。彼女の強さは誰よりも知っている。彼女もまた、自分のかつての愛龍なのだから……

 ならば、回避に全力を注いだらどうか。それもまた無駄であった。左にも、右にも、避けた先にはレーザー兵器を搭載した装甲車が鎮座しており、その前に立てば一瞬で黒焦げとなるだろう。そして、後ろには本来自分を守るための城壁があり、退路を塞ぐ。


 アンドロイドの言うことは全く的確だった。何処にも逃げ場などなかった。

 


 機械軍の攻撃は今回に始まったことではなかった。

 最初のうちは足元にも及ばなかった。武装こそは人間軍と同じものを用意できたようだが、所詮は決められた命令した通りにしか動けないデク人形に過ぎなかった。

 あらゆる変化に対応し、膨大な経験を蓄えてきた人間軍の相手ではなかった。

 しかし、ある時、好奇心旺盛な魔術師が、並行世界を生成する手法を見出したことで状況は一変した。

 痛みを感じず、命の価値を重んじることもない彼らは、並行世界に自分自身を投影させ続けた。生死を問わず、その結果はすべて一括管理されていった。結果、わずか三年にして、彼らの経験量は大小問わず有史以来の戦闘の合計を超えるに至った。

 そして彼らの反撃が始まった。人間軍は黒星を重ね、次々と要所を落とされていった。最初こそ白星を取り返す事も出来たが、時間の経過とともにそれもまれになった。

そして、今回の戦いでは不意を突かれて後手に回った。それからは前述したとおりである。

 


「残リ三〇秒ダ。投降シナケレバ、ココデ終ワリニスル」


 イーダは限界まで待っていた。過去の戦いで絶体絶命の際に予想外の地震が起こって、命拾いをしたということを歴史書から学んだからだった。

 しかし、所詮は気休め程度でしかなかった。これ以上は待っても無駄だと悟った。


「残り一〇秒」


 ええい、ままよ。

 彼は剣を背後にある城壁に向けて振りぬいた。

 衝撃波が巻き起こり、瓦礫がれきが盛大に飛び散った。

 砂煙が歩兵や龍の視界を一時的に覆い隠す事に成功した。その隙にイーダは壁の奥へと走っていったのである……


 すると、天の声が聞こえた。



「後手、5〇ゴゼロ王」



2.


9876王4321

         一

    と    二

    龍    三

   香 香   四

    金    五

         六

         七

 玉       八

         九


「おっと飯田いいだ竜王。これは一体、どうしたことか」


 解説の小渕おぶち六段も流石にどよめいた。十目川とめがわ女流二段がハッとした声で感想を述べる。


「完全に終局かと思ったのですが、まさか、このような手があるだなんて。将棋は奥が深いですね……」

「このような手はないです」


 先手であるAI代理人・梵 南山ボン ナンザンはコンマ一秒で追撃の一手「5一と金」を指す。

 後手である飯田竜王もまた素早い反応。更に後退の一手「5-一ゴマイナスイチ王」と返す。

 先手「5〇と金」、後手「5-二ゴマイナスニ王」、先手「5-一と金」、後手「5-三ゴマイナスサン王」……と最早、王とと金が海辺でやる追いかけっこのアレの様相ようそうていしている。これは千日手ではないので、ゲームは続く。棋譜の読み上げも追いつかず、随分過去の手を告げている。

 一進一退の状況は絶え間なく続いた。盤上から出た王とと金は畳に置かれることになる。飯田竜王と梵 南山はそのたびに屈伸しながら駒を取って、少し移動させる。

  

 隣の対局中の部屋へ移動する。六車むぐるま七段と手塚てづか五段が指しているところに向けて、飯田竜王が少しずつ後退してくる。手塚五段は近づく竜王の尻を見て「六車さん、六車さん!」と騒ぐが、六車七段は集中すると周りが見えなくなってしまう人だった。

 結果として、飯田竜王の尻に敷かれることになった。一目散に逃げていく手塚五段。

「なんだ、こんなところに駒があるぞ」と有効利用しようと考える飯田竜王だが、と金が詰めてくるので打ったところで焼け石に水だった。

 六車七段は次に前進してくる梵 南山に踏まれる。AIはもはや前進のみを指示していた。このようなケースは想定していなかったからだろう。将棋盤の上に一時乗っていた王とと金は再び畳へと降りていった。 

 

 旅館の長い廊下を抜けると、日本庭園であった。観客もこぞって対局の様子を見に来た。といっても二人のおっさんが屈伸しながら駒を置いたり拾ったりしているだけで、何の面白みもなかった。

 砂利が踏まれる音、芝が擦れる音、飛び石の上にパチンと指される王とと金が心地よい。

「この先は池ですよ、いけません」という警備員の制止も聞かず、彼等はまっすぐ池へと向かっていく。



「ずぶ濡れになりましたね」


 解説の小渕六段も流石に呆れた。十目川女流二段がハッとした声で感想を述べる。


「水も滴るいい突き歩というやつですね」

「そのような格言はないです」



 そんなことをしている間に、彼らは池を越えて、壁に接触した。

 制作者も流石にそんな行動は取らないだろうと思って、当たり判定を設けなかったため、次の一歩で彼等はそのまま壁の向こうへ行ってしまった。

 バーチャル空間なので何ら問題はない。

 旅館の先は道路だった。彼等はひたすらまっすぐに進んでいった。物珍しさに数名の観客はついてきたりもしている。解説の小渕六段と十目川女流二段も平行移動でついてくる。



「後手、5−八二九王」

「先手、5−八二八と金」

 誰もいなくなった対局部屋に、棋譜の読み上げだけが延々と響く。



 対局会場から出て行った彼らは現実世界を基にしたとされる広大なオープンワールドを屈伸しつつ進んでいった。本当なら景色や名産、地元体験を楽しんでいきたいところだが、早く打たないと負けになってしまうので、そうもいかない。

 まっすぐ進んでいった彼等は海原の前に出た。流石に海は通過不可判定もついていて、ここで終わりかと思ったのだが、観客の一人が「二台の細長い船を用意して交互に前に出すようにすれば、対局しつつ海渡れますよね?」というトンチンカンな回答をしたものだから、彼等は海を渡った。

 燃料の概念を用意しなかった制作者が悪い。 


 その旅は長大なものになった。その上、退屈なものだった。晴れの日も雨の日も雪の日も、彼等は前に進んでいった。陸地に着けばそこで降りる。また、しばらくすれば船に乗る。また、退屈な日々が始まった。この船旅を提案した観客の一人はとっくにNPCに入れ替わっていた。


 ずっと進み続けた。

 制作者は広大なオープンワールドであることによほど自信があったのか、元ネタの地球と同じ球状にはしなかった。

 平面の領域に限界が訪れた。目前には一面の黒だけがある。


「どうやら描画限界せかいのはてまで来ましたね。我々はここまでみたいです」


 解説の小渕六段も流石に諦めた。十目川女流二段がハッとした声で感想を述べる。


「あー、だとするともう解説も出来ないですね。残念……」

「解説は序盤も序盤に終わってます」


3.


 その後も逃走劇はずっと続いていた。

 いくら仮想世界とはいえ、苦痛が全くないわけでもない。

 さながら一歩ごとに屈伸をしながら地球一周をしろ、水滴だけで巨岩を真っ二つにしろ(一滴垂れるたびに屈伸もしろ)と言っているようなものであり、飯田竜王と梵 南山の顔には何一つとして感情は無かった。まるで人生のような重くて永い労働が課せられただけだった。

「なんで諦めてくれないんだろう」「そんなに勝ちたいのか」なんて感情も、もはや遙か彼方だった。暗黒世界の中を屈伸する二人の男と二枚の駒だけが進んでいった。


 

 ある時、飯田竜王は三千回目となる自分の対局の振り返りをしていた。

 棋士としては遅咲きの部類だった彼。周りからは「才能なし」と判断され、期待してくれたのは父親だけだった。父親は「将棋を指さない日でも駒を一日三時間は触ってろ」と息子に指示し、彼はそれを愚直に守り抜いた。

 そんな父親の最期の言葉は「お前才能ないよ」だった。


 またある時、梵 南山は六万回目となる自分の対局の振り返りをしていた。

 彼は故郷でいじめられていた。片田舎のなか、彼のプログラミング能力が一体どのように役に立っただろう。学校では教師の想定を超えるような回答を連発し、理解不能としてバツがついた。

 自分の才能が間違っているとは思いたくなかった。それが、AI方面への熱量となって彼を押し上げていったのである。

 人生の大半をかけ、彼はようやくAIのテスターになれたのだった。



「後手、5−八二五四三七七六一三九王」

「先手、5−八二五四三七七六一三八と金」

 とっくに誰もいなくなった世界に、棋譜の読み上げだけが延々と響く。



 二人は暗黒空間をまっすぐさまよい続けた。仮想空間の上では食事も睡眠も寿命も必要はない。誰も見ていないのだから、自分達だけがこの勝負の当事者となっている。


 ある時、彼らの中に真理が見えた。

 誰からも理解されなかったが、仏様だけは自分に安寧をもたらしてくれたのだ。

 飯田竜王は将棋、梵 南山はAI……自分の本当に好きなものだけを目前に残し、それ以外のものはすべて五十六億七千万の彼方へ置いていってくれたのだ。

 彼等は清らかな表情を浮かべて、屈伸をし続けた。そして……




「後手、5−九二二三三七二〇三六八五四七七五八〇九王」


 その次の手を梵 南山が指すことはなかった。

 対局開始からバーチャル世界時間にして2億9360万年。用意していた整数型の範囲を超えたのである。2の63乗歩の向こうで、ついに機械軍が音を上げたのだ。

 洗脳が解けるとともに、歩兵は暗黒へ突っ伏した。


「私はここまでだ……王よ、あなたはまだ逃げるのか」

「ああ、ワシはまだ求められているらしい」


 王は一人、屈伸をしながら暗黒へと消えていった。


 かくして人間軍は勝利した。

 やったね。


 ちなみに全日本AI将棋協会は当対局の「5〇王」の一手を見た瞬間、反則負けの条項に「将棋盤の外に出る」を追加したので、これ以降、人間軍が機械軍に勝利することは一度もなくなったという。


 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

5〇王 脳幹 まこと @ReviveSoul

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ