奇跡のバラは枯れた
霞(@tera1012)
第1話
「由々しき事態だ」
所長の口調は、無駄に重々しい。
「魔力研究所始まって以来の危機だ。『魔核』の信頼が揺らいでおる」
「……はあ」
いまさら信頼など、気にする方がおかしい。
だが、「魔術不審事解決係」という、厄介な肩書がついた俺は、この老人の命令をはねつけられない。
「『奇跡のバラ』が、枯れたと」
苦虫をかみ潰したような顔で、所長が首肯する。
奇跡のバラ。
敵国の王女であった前王妃が、輿入れの際に祖国より持ち込んだものだ。気候風土が大きく違うこの地で、30年来美しい花を咲かせ、両国の結束のシンボルとなっている。
「国王のたっての依頼で、『不老不死』の魔核を使用したバラだ。万に一つも、枯れるなどあってはならないし、あり得ない」
「枯れて見えるだけでは……」
さすがに、不老不死の魔核を使用した生物が、完全に命尽きるとは信じがたい。言いかけた俺の言葉を、所長の言葉が遮った。
「いや、樹木医の診立てでは、バラは間違いなく枯れている。しかも、直前まで、何らかの魔術の介入の痕跡があるというのだ。万万が一にも、魔核の効力が魔術師によって破られた、と言うような風評が広がってみろ……」
所長の瞳には、ありありと焦燥が見て取れる。俺は多少の同情を込めて、その目を見やった。
この人たちは、未だに、自らの手で葬り去った魔術師の幻影に怯えているのだ。
20年前、魔術大国として名をはせたこの国から「魔術師」の称号が消えた。
その数年前に開発された、『魔核』が変革の契機だった。その利便性の高さは革命的で、使い手に魔力がなくとも魔術の効果が再現可能、人体への悪影響がない、術者の死亡により消える従来の魔術とは異なり、効果が半永久的に続くなど、まさに秘薬と言えた。
伝統的な魔術を死守しようとする魔術師と、魔力研究所の間で、静かな闘争が繰り広げられ、最終的に勝利を手にしたのは、魔力研究所だった。
つい最近、俺たちは、最後の「元大魔術師」ベルナールの獄中死を、見届けたばかりだった。
「あり得ない。不老不死の魔核は、地上最強の魔術効果を持つ秘薬のはず」
「しかし、実際にバラは、枯れたのだ。お前に、その原因の調査と解決を命じる」
所長の目が俺を見据える。
これは、俺の人生最大の難局だ。俺は深いため息を押し込めた。
*
『奇跡のバラ』の残骸は、王宮の一角、バラ園の中にあった。俺はそれを苦々しく見下ろし、背後を振り向く。
「もう一度聞く。このバラが、突然枯れた理由について、心当たりはあるか」
「『心当たり』の定義をご教示ください」
柔らかな人工音声が答えた。俺は軽く舌打ちをする。
「バラが枯れた原因は何だ。不老不死の魔核を使用されたこのバラが枯れることは、あり得ないはずだ」
「ご質問には、お答えできません。バラが枯れたことと、不老不死の魔核との関係が、当方には理解しかねます」
先ほどからこの押し問答が続いていた。
そして、ふいに理解した。
俺は踵を返すと、足早に王宮の建屋内へと向かった。
*
「何をお聞きに、なりたいのかしら」
「『奇跡のバラ』が、枯れました」
「……そう」
老婦人は軽く目を見開きつぶやく。
「何が起こったのか、ご存じですね」
「……さあ?」
前王妃の瞳には、ただただ面白がる光がある。俺は苛立ちを押し殺す。
この女は、「最後の大魔術師」ベルナールとの不義密通の咎で、20年間、この石塔に幽閉されているのだ。
「それでは、俺からお話しします」
「どうぞ」
「あのバラは、この国に来たはじめから、枯れていた。あの枯れ木に花を咲かせていたのは、ベルナール師の魔術だった。あなたが、祖国を偲ぶよすがに、毎年バラの花を見せてほしいとでも、彼に懇願したのでしょう」
老婦人の目が細まる。
「不老不死の魔核が効果がないのは当然です。はじめから死んでいるものに、不老不死の魔術をかけようとも、意味がない」
「お見事ですわ。謎は、解決ですわね」
「……いいえ」
立ち上がろうとする彼女を、俺は目で制する。
「貴方の、本当の目的はなんだ」
その時、突然扉が開き、所長からの伝令が飛び込んできた。
「大変です。隣国アストワの軍勢が、国境線を突破し進軍中です」
「何だと」
アストワ。目の前の女の、祖国である。
「魔力研究所の所員には、即刻戦闘態勢をとり『魔核』を選別せよとの、ご命令です」
「……戦闘態勢……」
『魔核』が引き起こす魔術効果は、人体への害がない。言い換えれば、人間を攻撃する魔術を行うことなど、不可能だ。
20年前、魔術師連合が崩壊したのち、王国がその所在を把握している元魔術師は一人もいない。そう、半年前に獄中死した、希代の大魔術師を除いては。
バラは枯れた。希代の大魔術師の死を、それは意味していた。
俺は、目の前で妖艶な微笑みを浮かべる老女を、ただ見下ろしていた。
奇跡のバラは枯れた 霞(@tera1012) @tera1012
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