食卓
佐伯 安奈
食卓
タデウシュ・ブラウンソン氏の邸宅を訪れた者は誰でも、一家の食卓に招かれた時一驚せざるを得ないだろう。その中央からにょっきりと、なめらかなスーツと革靴に包まれた男のものと思われる両足が、天井に向かって伸びているからである。
この足は食卓から生えているのだろうか?ただ載せてあるだけか?ブラウンソン氏はそうした大方の質問に対し、肉の薄い端正な、だが英国の金融業者風の皮肉な色をちらと見せてこう言うだけだろう。
「いやはや、そんなに疑問に思うのであればいっそのこと、あれを引っ張ってみてはどうですか?」
しかし誰しも、足がいかにも仕立てのいい(と思われる)スーツを着用しているとは言え、それに触れる勇気はなかなか持てないものだ。ブラウンソン氏はそういう質問者の好奇心と戦慄のカクテルした感情を見抜いて一人で面白がっているようである。食えない御仁である。
疑問は膨らむばかりだ。この両足は最初からこの食卓に生えていたものなのか。それとも後からくっつけたものなのか。足の持ち主は誰なのか。体の他の部分はどうなっているのか。そもそもこれは本当に人の足なのか。スーツに包まれているだけで、中は円筒形の発泡スチロールだったりするのではないか?
ブラウンソン氏にこれらの疑問をぶつけてみても詮ないことである。例の英国風の冷笑をもって受け流されるだけであろうから。
それでは一家の主婦でありながら奇妙に影の薄いヴィスワヴァ・ブラウンスカ夫人に尋ねようとしても、夫人は「え、え、え・・・」とあからさまに狼狽して話頭を他に転じてしまうだけであろう。
ある人が食卓の中がどうなっているのか気になって、テーブルクロスを持ち上げて中を覗こうとしたことがあるらしい。
「ああ、おやめになって!その中にはメルニーがいますから!」
ただちに声を上げたのはブラウンソン家の長女、繊弱な印象のエリザベス嬢である。
「メルニーは知らない人には何を仕出かすかわかりませんから、おやめになった方があなたの身のためですよ」
三白眼の目立つ次女のハツコ嬢も姉に加勢する。
「メルニーにも実に困ったものだ。もうあれから3年も経つというのに一向に変わろうとしないのだから。」
クロイトニシキゴイのヴァレリー風ムニエルをフォークに突き刺しながら、ブラウンソン氏も気のない感じで口を開く。
ヴィスワヴァ夫人は、俯いて何も言わない。
それにしても、まだうら若いこの家の二人の令嬢が、食卓から両足が生えている光景に何ら動じていないようなのは不思議である。まさかとは思うが、二人ともどこの家の食卓にも足が天井を向いてそびえ立っているものだとでも思っているのだろうか。それともただ単に、昔からこの食卓を使っているので見慣れてしまっただけだろうか。
「二人とも足には見向きもせずに笑い転げながら若草色の堅焼きマカロンを積み上げて遊んでいましたね」
結局持ち上げかけたテーブルクロスをそのまま降ろすしかなかった客人は後でそう振り返っている。
確かに人間の適応能力というのは馬鹿にはできないもので、傍目には異常と思える環境であっても、長いことその中にいる人にとっては当たり前になってしまうのだろう。
見慣れてきた視点で何気なく観察していると、足は常に直立不動の姿勢を保っているようだが、時にはその姿勢に疲れたのか垂直線上から外れてやや傾いているようにも感じられるし、両足がほんのわずか開いていると思えることもある。とすると、やはり本物の人の足なのだろうか。
ブラウンソン家を知る人は、あの足はあの家の食卓にとっては卓上を飾るブーケのようなものなのだと解釈する。
「ちょっとした装飾みたいなつもりなんでしょうよ。ご主人のタデウシュさんは、そう変り者ってわけでもないけれども、どこか人と違ったことをやってみたいというタイプの人ですからね。誰だってユリやゼラニウムなんかが溢れんばかりに盛られているはずの食卓の中央から誰のものとも知れない足が突き出ていたら、度肝を抜かれるでしょうからね。そういう客人の反応を楽しんでいるんですよ、あの人は。大体無口でポーカーフェイスですけどね。」
またある人は足に関するこんな話を披露する。
「あの足は最初からあの大きさではなかったんです。私が初めて見た頃はもっと小さかったはずですよ。奥さんがね、誰も見ていない時に世話をしているらしいんですよ。世話と言っても何をするのか。相手は足ですからね。まさか花瓶の花じゃあるまいし、水をやっているわけではないでしょうが。前に執事を勤めていた老人が薄ぼんやりと話していたことがありましたが、ある日の午後食堂のドアが締め切ってあったので、不思議に思ってこっそり隙間から室内を覗いてみたそうです。そうしたら奥さんが食卓の上に乗って、足が履いている靴を磨いていたというんですよ。わざわざそんな行儀の悪いことをしなくとも、靴を脱がせればいいと思いますがね。そうすることのできない理由でもあったんでしょうか。その人は長くブラウンソン家で働いてきたそうですが、食卓から生えている足に気づいたこともなければ、家族から説明された記憶もない、と断言していました。そう言いながらも老人の顔からは急速に血の気が引いていくように見えましたが。」
食卓 佐伯 安奈 @saekian-na
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