スカベンジャー
Slick
第1話
『スカベンジャー』は瓦礫の丘の上に立っていた。
多機能双眼鏡を調節しつつ、瓦礫平原の彼方にある、ボロボロの建物を注視する。
暫くして双眼鏡を下すと、手持ちの地図に目を落とし、目的地を確認すると満足そうに頷いた。
「あそこだな」
マスク越しに、くぐもった声が響いた。
□ □ □ □
地球文明は、既に滅亡した。
かつては繁栄を誇った人類も、今やほぼ全てが滅び去った。
人類以外の生物は遍く姿を消し、この地球は今や『死の星』となった。
そして今――この滅んだ星に生きる、一人の男がいた。
最後の人類。
彼は自身をこう呼んでいた――『
□ □ □ □
瓦礫の小山から飛び降りると、ブーツが地を蹴る感覚が身体全体に響いた。
曇天の下、そよとも動かない大気を肩で切るようにして『スカベンジャー』は歩み出す。
スラリとした高身長、鍛え上げられた体躯、その歩き方は威厳さえ感じさせるが、彼の素顔は金属製マスクに覆われ見えない。
大気中の放射線と高濃度の汚染物質のせいで『スカベンジャー』は防護服とマスク無くしては外に出られない。
その薄汚れた焼鉄色のヘルメットは防護服に繋がり、内部の気密を保っている。彼はいくつかの装甲を身に着けており、さらには端のすり切れた厚手のケープを纏っていた。
防護服はボディラインにフィットし、ヘルメットは茶色ケープのフードに半ば隠れている。
例えるなら『遠い昔の甲冑騎士』、もしくは『とある宗教の厳格な修道士』といった風情だ。
ケープを背後にたなびかせ、彼は瓦礫の間を歩く。
足元には、古い六角形のタイルが所々に残っていた。
遠い昔に、かつてここに街が広がっていた頃の、大通りの名残だった。
遠く彼方、燃え尽きた戦車の残骸がチラリと見えた。
□ □ □ □
すぐに彼は、先ほど見ていた建物に行き着いた。
ほかに残存する建造物と同様、今にも崩れ落ちそうな様子ではあったが相対的には良好な保存状態だ。
コンクリート製の外壁は、かつては白かったのだろうが今や黒く煤け、所々には大きな穴も空いている。灰色の世界に聳える平たいシルエットは、忍耐強い甲虫を思わせた。
そしてその壁一面に、ハチの巣の如き銃弾の跡が数多く残っていた。
建物の前、数段ある背の低い横長の階段を上る。
横に広い出入り口の縁からは、鋭いガラス片が突き出している。彼は注意してて身をかがめ、内部に入った。
中はガラス片が散乱しており、彼が歩くと「ジャリ」と音を立てた。暗い部屋は不気味な静寂に満ちていて、入り口から吹き込む風が寂しげに唸り『スカベンジャー』のケープをはためかせる。床の上に、彼の長い影が落ちた。
彼は何かを探すようにし、背後を振り返った。
汚れた入り口の内側に小さなプレートが掛かっており、そこに古い文字でこう書いてあった。
〝●●●博物館にようこそ!〟
『スカベンジャー』はそれから顔をそむけ、歩みを進めた。
〝受付〟と書かれた半円形のテーブルを回り込むと、その奥の〝保管庫〟と書かれたドアに手をかける。
――宝島にようこそ。彼は思った。
錆びついた取っ手に力を込めると、ギィと音を立て扉は開いた。
約一時間後、『スカベンジャー』は戻ってきた。
その手には――博物館の所蔵品だったのだろうか――、小綺麗な緑の手鏡が握ってあった。
扉を抜け、外界に出た。そのまま数歩足を進めると、建物全体を見上げる。
ここに来るのは、これが最初で最後だ。
『スカベンジャー』はそう思った。
――そして、この博物館にとっても彼が最後の来場者となるだろう。
□ □ □ □
滅んだ道。それはかつてと同じ道であり、もはや同じ道ではなかった。
あちこちに散乱する瓦礫、割れた窓ガラス、ほつれたケーブルが巻き付く折れた電柱……。それらを避けながら『スカベンジャー』は荒廃した世界を進む。
――ここも昔は、こうではなかった。
きらびやかな街が広がっていたのだ。
この舗装道路にも多くの人――子供から老人まで、数え切れぬほどの人々が行き交い、お喋りをし、仕事に励み、めいめいの人生を歩んでいたはずだ。
この地球にも、かつては未来があったはずだった。
――今ではその跡形もないが。
『スカベンジャー』――最後の人類である彼は、荒れた道を無言で歩き続けた。
博物館を去って一時間半ほど後、『スカベンジャー』は不意に路上で立ち止まると体をひねり、道を外れると瓦礫の中に分け入った。
数歩足を進めると、これまた急に立ち止まり、足元の地面に蹲る。
分厚いグローブで地面の瓦礫をかき分けると、程なくその下から、――四角いハッチが現れた。
『スカベンジャー』は満足そうにうなずくと、その捻りに手をかける。「プシュッ」という小さな音がし、それは開いた。
一メートル四方のハッチを引き開けると、その下には井戸のような縦穴が伸びている。内壁からは梯子が飛び出し、ずっと下、暗闇の中に下っていた。
『スカベンジャー』は梯子に取り付き、頭上のハッチに手をかける。扉が閉まり「ゴンッ」という音が縦穴に響くと、周囲は完全なる闇に飲み込まれた。
自分の手元も見えない暗闇の中、彼はスルスルと梯子を下り、地下へと降りて行った。
梯子は50メートルほど伸びていただろうか。ついに縦穴の底に降り立つと、『スカベンジャー』は真後ろを振り向いた。
長年の感覚で、闇の中でも正面の取っ手を探り当て、それを引く。
そこから繋がっていたのは、非常に狭い小部屋だった。電気スイッチを探ると明かりが付き、白塗りの部屋を照らし出す。壁の制御盤には別のスイッチとランプがあり、今まさに赤い光が付いたところだった。
『スカベンジャー』は制御盤に近付くと、スイッチを入れた。
――次の瞬間、部屋の四隅から彼に向かって、白い煙が噴き出した。
瞬時に煙に満たされた部屋の中、淡い影が煙の中に踊る。除染用の白煙が引くと、彼は再び制御盤に目を落とした。
赤いランプが「ピピッ」と緑に変わった。
それを確認すると、今度は部屋の反対側に向かう。入ってきた扉とは別の、内部居住空間に繋がるドアがあった。
ロックを解除すると、扉は開いた。
そして彼は足を踏み入れた――柔らかい光に満たされた、彼の『美術館』に。
□ □ □ □
内部居住空間は、数多くの美術品で溢れていた。
時代、ジャンルを問わず様々な美術作品が、およそ25メートル四方の床に所狭しと並べられている。
――かつてこの場所は、富裕層のための防空壕だった。
だが今は違う。
ここは彼が、全人生を掛けてきた場所だった。
『スカベンジャー』はフードを取り去ると、ヘルメットの気密を解きそれを脱ぎ去る。長く伸ばした髪を払うと、シェルター内部を見回した。
実に様々な作品が集められていた――踊り子を抽象的に表現した彫刻、古い動物の置物、見事なガラス細工、水晶を加工したグラス、落ち着いた色味の焼き物……。彼がすっぽり入れそうな壺は、昔エレベーター・システムが稼働していた頃に運び込んだ物だ。
また壁の上にも、様々な作品が掛かっている。
例えば意匠を凝らした掛け時計、古い民族衣装、奇怪な造形の仮面、その他様々な種類の油絵等々が、広い壁全体を埋め尽くしている。そのせいでシェルター自体の床と壁そのものが、美術品で出来ているようにさえ思われた。
――これらの作品は全て遠い昔、人類が戦争以外のことを知っていた時代の名残だ。
人類がかつて成しえたことを。
人類がかつてなりえたものを。
人類に歩むことが出来たはずの別の道を、かつてはこの星にも未来があったのだということを――、永遠に証明し続けるものなのだ。
それを最後の人類の彼が収集するというのは、何と適切なことであろうか。
『スカベンジャー』は美術館の隅、薄汚れた長机のそばに立った。ポケットから今日の拾得物・あの手鏡を取り出すと、金箔の張られた地球儀の隣にそっと置く。
――これで、1138点目だ。
そう心の中でカウントした。
□ □ □ □
その夜は古い缶詰めで手早く食事を済ませ、軽くトレーニングをするとシャワーを浴び床に入った。
生活に使う水は、水分凝結機の内でまだ動くものを地上に設置しそこから直接送っている。食料の缶詰めは、奥の食糧庫に大量に残されていた。
おそらくこのシェルターは結局、一度も使われなかったのだろう。発電機はまだ動くし、除染機能も故障した試しがない。
美術館の隅、擦り切れたベッドで彼はそう思った。
翌日は朝早く起き、乾パンの朝食を済ますと早速仕事の準備をした。
防護服を身に着け、その上から胸当てなどの装甲片と多装備ベルトを装着する。最後にヘルメットをかぶり、気密を確認するとケープを纏いシェルターを出た。
東から昇る朝日が厚い雲に透けてぼんやりと滲み、空を薄桃色に染めている。早朝の冷気が薄い防護服越しに伝わり、彼はブルッと身震いした。
さぁ、仕事に掛かろうか。
大きく伸びをすると、両手に握ったシャベルがキラリと光った。
昨日とは逆向きに道を進むと、程なくその道は瓦礫の下に埋もれていた。『スカベンジャー』は肩に担いだシャベルを握ると、その瓦礫をかき分け始めた。
実をいうと、美術品の収集は日常的にはやらない。普段はこのように単調な作業をして、日々を過ごしている。
薄い防護服を誤って裂かないよう、注意しながら作業を進めた。かき分けた瓦礫の下から古いタイルが覗くと、彼は小さな喜びを感じた。
それは、人類の繁栄の残滓。
遠い昔、かつては光り輝いていた物たち。
――それらを少しでも蘇らせることが、彼の仕事だと思っていた。
最後の人類として。
その、誇るべき遺産を、少しでも今の時代に復活させることが。
□ □ □ □
昼頃、急激に空が暗くなった。
天空の端から黒雲が沸き上がり、微かな陽光がさらに薄れていく。
空を見上げたヘルメットのバイザーに、一筋の水滴が流れ落ちた。
そしてそれを皮切りに、一斉に雨が降り出した。
――これは不味い。
時折急に降り出す酸性の雨は、長く当たると防護服を侵食して大変なことになる。『スカベンジャー』が装甲とケープとを着込んでいるのも、それが理由の一つだった。
土砂降りの中、彼はシャベルを抱えケープを体に巻き付けるようにして、シェルターに逃げ戻った。除染エリアを抜け、美術館に戻る。
防護服を脱ぎ私服に着替え、脱いだものを畳むと、もう彼にすることはない。彼は美術品を仔細にチェックして回り、いくつかの埃をはたいて暇をつぶしたが、それもすぐに飽きた。
ベッドに座り、ボロ布でヘルメットを磨くことにした。縦横に走る細い溝に沿って指を滑らせ、丁寧に汚れを拭い去る。
そのマスクの側頭部には、幾人かの名前が刻まれていた。
このマスクの、昔の所有者たちの名だった。
このマスクは、かつて地上軍兵士が使っていたものを彼が引き揚げ、改造したものだ。相当年季の入った代物で、拾った時には半ば壊れかけていた。
今、その名前の列の最後には、彼自身の名前も刻んである。
最後の人類となった今や、彼の持つ名にもはや意味はない。
――だが、ここに刻まれた先人たちの名前を見るときだけは、彼も、自身の名に意味があるように思えた。
刻まれた名前の数々を指でなぞりながら、『スカベンジャー』はしばし作業の手を止め、もの思いに耽った。
□ □ □ □
その夜、不思議と目を覚ました。
雨音が聞こえないところを見ると、雨は既に止んだのだろう。
時間を見ると、夜の3時を回ったところだ。再び眠るのにも微妙な時間である。
仕方なく早い起床と割り切り『スカベンジャー』は体を起こした。
外出の支度をすると、散歩のつもりで手ぶらのままシェルターを出る。
ハッチを開けた途端、身を切るような冷気が吹き込んだ。彼は一瞬尻込みしたが、思い切って外に飛び出した。
厚いスモッグで星の光は見えず、唯一銀色に輝く月光だけが周囲をぼんやりと照らしていた。あちこちの水溜りが、その月明かりで鏡面のように煌めいている。
『スカベンジャー』はライトをつけず、月明かりを頼りに道を歩き出した。
途中の交差点で角を曲がり、ここ数日歩いていない道を進む。この先に、彼の気に入っている場所があった。
月明かりの描く『スカベンジャー』のシルエットは、どこか亡霊のような雰囲気を漂わせる。滑るように闇を切るその影は、まるで死神のそれのように地面に染み込んだ。
――確かに、その通りだ。『スカベンジャー』は思った。
私はもはや、亡霊も同じ。
滅亡する運命にある種族の、最後の生き残り。
――そして私の命の灯が消えるとき、この地球も完全に死に絶えるのだろう。
彼が行き着いたのは、かつての公園の跡地だった。
瓦礫を撤去した平坦な土地には、木製シーソーの残骸が転がっている。敷地全体に焼けた土が積もり、端の方には半壊したジャングルジムが地面から突き出していた。
そしてその奥に、一本の古い木が立っていた。
――無論、既に死んでいるが。
真っ黒に炭化した幹はボロボロにひび割れ、途中まで裂けた割れ目には砂が詰まっている。だがその太い幹は未だ崩れず、公園の隅に忍耐強くそびえていた。
そしてこの木は『スカベンジャー』が知る内で唯一、かつての原型を留めている生命の残骸だった。
『スカベンジャー』は木に歩み寄り、ゴツゴツとした幹に指を走らせた。
銀の光がその歪なシルエットを、闇の中に不気味に浮かび上がらせる。彼はその影と溶け合おうとする様に幹へ身を寄せ、やがて地面に座ると黒い幹にもたれ掛かった。
肩から掛けたケープを引き付け、冷たい空気の中、頭上の月を見上げる。銀色の月は無表情なまま、彼のマスクを無機質にきらめかせた。
幹に頭を預け、軽く溜息を吐く。重いヘルメットの中で、熱い息が循環する。
遠い昔、平和な時代に生きた人々も私と同じように、こうやって月を見上げることがあっただろうか? その人々は、地球がこのような惨状になってしまうと果たして予想できただろうか?
人類は一体いつ、道を誤ってしまったのか?
もっと別の道は無かったのだろうか? 相争うのではなく、共に手を携え、最高の文明と未来を築けた筈ではなかったのか?
――もう、全て手遅れだが。
彼は空から視線を移し、頭を垂れて俯いた。そして股の間の地面を見つめ――
――弾かれた様に飛び上がった。
大慌てで幹の根元から後ずさる。ケープに足を取られそうになりつつその場から離れ、公園の中央まで下がると、それでもまだ足りないと言った風に入り口まで一気に駆け、ようやく振り向いた。
つい今さっき目にした〝モノ〟に鼓動が早まり、息が詰まり、また、手足が震え始める。彼は少しの間その場に座り込んでいたが、やがて意を決したように、再び幹の傍へ、ソロリソロリと歩み寄った。
ゆっくりと――、非常にゆっくりと『スカベンジャー』は元の場所に戻り、こわごわとその場の地面を覗き込んだ――。
――そこには、小さな双葉が一つ、ひょこりと地面から生えていた。
□ □ □ □
それは、非常に小さな植物だった。
繊細で白い茎は、およそ1センチほどの長さ。そしてその上には、ウエハースのように薄い葉が二枚、ちょこんと可愛らしく乗っていた。
その双葉は、木陰に守られるようにして生えていた。
『スカベンジャー』の息が荒くなり、手足の痙攣が激しくなる。
〝――ここには、生命がいる!〟
彼は恐る恐る、ゆっくりと、自分の手を双葉に伸ばし――。
――そして、その手が防護グローブに覆われていることに気付いた。
なんと醜い。
自分の手を見つめ、次いで顔を覆うマスクに手を当てる。
……私は、この姿でないと外に出られない。
マスクを脱げば、すぐに死んでしまう。
……でも私はまだ一度も、『地球』の空気を吸ったことがない。
双葉に目を下ろす。
……最後だけでも。ここで死んでも、せめて、ただ一度だけ……。
『スカベンジャー』はフードを払い、ヘルメットを解除した。
そして迷うことなく、確かな手付きでそれを取り外した。
月光の元、『スカベンジャー』の顔立ちがくっきりと浮き上がった。
――彫りの深い顔、鋭い眉、しわの多い素肌。肩まで長く伸ばされた頭髪は銀色で、同じ色の顎ひげは鋭くとがっている。
そしてその青い目から、今まさに滂沱の涙が零れ落ちた。
彼は生まれて初めて『地球』の空気を吸う。
防護グローブも外し、その震える指を、ゆっくりと双葉に近付けた。あたかも壊れ物に触れるように、不器用に、そっと……。
そして数十年の時を超え、再び地球上で二つの生命が触れ合い、――両者の間に、確かに何かが流れた。
「あぁ……っ!」
再び涙が頬を流れ、『スカベンジャー』はそれを素手でぬぐった。
……ずっと、この星は滅んだと思っていた。
……もう、滅亡しかないのだと。
……暗黒と絶望に閉ざされた、この地球の上で……。
でも、まだ希望はある。
今ここで、確かに新たな命が育ち始めている。
まだ生命は、滅んではいない。
頬を流れた涙が顎ひげから滴り落ち、尾を引いて双葉に触れ、パッと弾けた。
その涙の雫は一瞬宙を舞い、月光にキラリと輝いて――、
そして、地球の大地に染み込んだ。
スカベンジャー Slick @501212VAT
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